電車の最終地点

 太陽が南中にあり、肌に心地よい風が当たる。
 町中の軍人たちに見られながら、駅へと急いでフォークたちは走っていた。
「軍人があちらこちらにいるな」
「顔パス……は無理そうね」
 フォークが押す車椅子に座りながら、セプテットは茶髪をかき上げて言った。
「坂だからブレーキ、怖くないのセプテットちゃぁあああん!」
 叫ぶのはハンドルを握り、手を離せない同じ茶色の髪のがっしりとした体格の少年だ。
「ふふ、お昼美味しかったわね~」
 と、横から編み込んだ黒髪を風になびかせながら駆け下りる、記者のウィズベットがちらりと軍人を見る。
「どうも~」
 旅行者ということ、そして軍人で軍服を着用しているセプテットのおかげで、静止の声はかけられなかった。
 それに半分感謝しながら、ウィンストンたちは坂っを降りきり、駅につく。
「検問してるな」
「そっちは私がなんとかしておくから、切符買ってきなさい」
「うぅ、わかったよぅ」
 ウィンストンのしょんぼりした背中を見送り、電灯の下まで歩いてきたセプテットたちは、若い初見の軍人に待て、と止められる。
「手荷物検査をしている」
「そう、ご苦労さま。私はエルニーニャ王国西司令部遊撃隊所属のセプテット」
「セプテット? 一般人の護衛をしている、という女か」
 軍人は車椅子の彼女を見て、眉をひそめた。
「戦えるのか?」
「とあるゲームでは、車椅子から銃弾をひっきりなしに飛ばせたというけれども」
 あ、それ知ってる、とフォークは内心で思ったが、口にしなかった。
「……昨日の事件の解決者だと言われているが、一応規則で」
「いや、通していいぞ。たしか、四人組だと聞いていたが、一人足らんな」
 背後から降ってきた声に、一同は顔を上げ、その姿に瞼を大きく開いた。
「上将、どうしてここに」
 スキンヘッドの大男が、嬉しげに顔をほころばせていた。
「あー、セプテットー、切符買って――っておわ!」
 現状を見て驚いたウィンストンは、切符を落とさぬよう慌てて体勢を立て直した。
「昨日、たまたまここにいたんだったな」
「はい、そうです」
 淡々と、でもどこかぶっきらぼうに告げるセプテットに、気にした風もなく男は前に出る。
「うん、嘘はいってない。だから、この四人は通していいぞ」
「しかし」
「なーに、本来なら感謝状を贈れるほどの活躍をしていたんだ」
 その言葉に、セプテットの視線が鋭くなる。
「それを歯牙にもかけないところは、西の遊撃隊ってだけのことはあるな」
「そんなもの、いくら貰っても置く場所に困るだけです」
「と、話していたらもうすぐ時間よ~」
 軍人たちの話を断ち切ったのは、ウィズベットだった。
「このままお話してると、先に行ったウィンストンくん以外置いてきぼりよ~?」
「それは困るな。では、旅、気をつけてな!」
 ハンドルをしっかり握って、フォークと手ぶらなウィズベットが電車の出入り口へ駆けていく。
 その後姿を見つめながら、スキンヘッドの軍人が、眩しいものを見るように目を細めていた。
「あの、行かせて良かったのですか?」
 おずおずと、下手に出た軍人が問う。
「止める理由がねーからな」
 そして、彼は仕事ちゃんとしろよーと言いながら、青年に背を向けた。
 検問している軍人は、息が止まるかと思うほどの緊張がとけて、思わずほっと息をこぼした。
「全く、心臓に悪い人だ」
 だが、どこの出身の軍人なのかはわからないんだよな、と心の中で独りごちる。
 最近入ったにしては上将で、どこの所属だったのか、知らないのだから――。



 がたごとがたごと。
 ウィンストンがすでに乗っておりその後を、フォーク、セプテット、ウィズベットたちが乗り込むと、電車の戸が閉まった。
「お前ら、遅かったな」
 はらはらした様子のウィンストンは、息を切るフォークたちを見て感想を述べた。
「あら、待っていてくれたの?」
 車椅子に座っているセプテットが、ウィンストンを見て微笑んだ。
「いや、一人旅なんて危険じゃね―か!」
「そもそも護衛なのにしきれてなかったわね~」
「ウィズベットさん、それじゃ意味ないって」
「町ぐるみの事件に巻き込まれちゃってたんだから、仕方がないよー」
 と、肩を落としてフォークがあーもーいやーという顔で言った。
「検問もクリアできたし、よしとしなさい」
 電車の連結部分で会話していた四人は、ふと窓の外を見る。
「ところで、昼に出るのになぜ切符を買ってなかったの?」
 痛いところを突かれた、とウィンストンは頬を掻く。
「次に行くところの人との連絡で、ちょっと変わった村というか、村落らしいんだ」
「 へぇ」
 と、フォークが目を輝かせる。
「 ふふっ、フォークくんは初めてかしら~?」
 ウィズベットがメモ帳をしまいながら笑う。
「電車というよりそろそろ汽車になるのでは?」
 セプテットの問いに、背中を壁に預けてウィンストンが頷いた。
「ちょうど面白い噂もある場所なんだ。きっと驚くぞ。オレも驚いたしな」
 にっと笑みを浮かべると、セプテットは小さく息をついた。
「好奇心は猫も殺すわ」
「大丈夫。ちゃんとネットにも載ってる観光スポットだから!」
 力説するウィンストンに、フォークは目を見開いた。
「観光……食べ歩き」
「楽しそうね~」
「いえ、なにしに来たの、あんたは」
 一人、セプテットだけが静かに怒りを込めて呟いていた。
「そりゃあ郷土料理食べたり研究だ!」
「まあ、この先けっこう行くみたいだし、乗り換えとかあるの?」
「いや。そこで汽車に変わる。電車の最終地点だ」
 ウィンストンは楽しげに言い切ると、ウィズベットが笑みを浮かべた。
「あら? 聞いたことある気がするわ」
 ウィズベットが唇に指を当てて、んーと唸る。
「なんだろう?」
 見当もつかないフォークは、動く電車の中、車椅子のブレーキを止めつつ待つ。
「そうだ、たしか十年以上生きれない人は入れない結界がある。という伝承がある町だったわ。村は、その中にあるはず」
「へ?」
 ウィンストンはそれだ、と胸を張るが、フォークは目をぱちくりさせた。
「なにそのファンタジーじみたもの」
「なんでも、寿命が十年以上と確定している人しか中に入れないという崖に、すごく美味い料理があるってメールで聞いたんだ」
「もしかして、郷土料理がありそうだからそんな怪しげなところに寄る気なの?」
 セプテットは疑わしげに目を細める。
「嘘でも本当でも、どのみち宿はとるからさ。着く頃には夕方だぜ?」
「えっ、この電車そんなに長いの?」
 なにも知らないフォークが、目をパチクリさせながら呟く。
「おう、そうだぞ。大陸一長い電車だからな」
「乗り継ぐよりはましでしょ」
 セプテットが呆れたふうに呟いた。
「でも、その噂が本当なら、寿命がわかるのね~」
 ウィズベットは記者の精神からか、うきうきさせて言葉を紡いだ。
「なにがいいのよ……」
 はぁ、とセプテットが言葉とともに、重い空気を吐いた。
「私たちの寿命が十年未満なら、入れないってことでしょ」
 その言葉に、三人はおお、と声を揃えて驚いた。
「そりゃそうだな」
「でも、未来のことなんてわかるのかしら~?」
 ウィズベットが不思議そうに言葉を紡ぐ。
「それは、行ってみてのお楽しみ、なんでしょ、きっと」
「セプテットも知らないんだなー」
 ウィンストンが隙見つけたりと嬉しげに笑う。
 セプテットが思わず張り倒したくなったのを見て、フォークが声を上げる。
「そ、そうだ! そこにはどんな料理があるんですか?」
 強引だったかな、と胸をどきどきさせながら、茶髪の男同士、師弟同士の会話に移る。
「行ってみて入れたら、と言われたな。まあ、その前の町というか、集落にも郷土料理あるっていうし、別れてもいいかな」
 顎に手を当てて、ウィンストンはうむ、と言葉をこぼす。
 それを冷めた目で見つめるセプテットは、大事だという部分に切り込む。
「で、さっきの町みたいな危険はあるのかしら?」
 その問いに、ウィンストンはないない、とウィズベットを見た。
「あら、料理雑誌で特集されるくらい有名だから、そこは問題ないわよ~」
 と、思わぬところから援助の言葉が飛んだ。
「え? 本当ですか?」
 と、ウィンストンが敬語になるくらい、ウィズベットが狭い電車の中で、パソコンをいじる。
 持ち歩けるのって便利だなーとフォークが見ていたが、くすっとウィズベットは笑うだけだった。
「えっと、これね。ほら」
 背を壁につけながら、画面を三人に見せる。
「なんか、ボロい町ね」
「でも、料理店が多いんだー」
「料理雑誌だもの~。料理店がメインになるのは自然よ~」
 フォークの感心に苦笑し、ウィズベットはそうそうと、手を叩く。
「ここは別れて行動するのはどうかしら~?」
 がたごとと揺れる電車の中、提案されて三人は顔を見合わせる。
「全員中に入れるんじゃね?」
 ウィンストンがもっともなことを言う。
「老人ならまだしも、十年以上生きられないって人、ここにはいないと思うけれど……」
 それに、とセプテットは言の葉を吐く。
「もしいたら、その時はどうするの? 一応護衛任務だから、私は中から出たいんだけど」
「うん、もし全員入れなかったら~、セプテットちゃんと二人で別れて行動しましょう~」
 パソコンをしまいながら、ウィズベットが言い切った。
「……え?」
 驚くセプテットを尻目に、記者は男二人組を見る。
「もともと護衛は頼まれたもの。ね~?」
「う……んー、そう、か。まあ、そこは行ってから決めましょう」
 セプテットは額をぐりぐりとえぐるほど強く押しながら、頷いた。
「結界とか、なんか凄いね」
「フォークの運動神経よりはましだと思うわ」
 とはっきり言われたフォークは、目を白黒にしてから首を小さく傾げた。
「あれって運動神経ってレベルなの?」
 首を傾げた彼に、フォークは誤魔化すようにあはは、と乾いた笑いで誤魔化した。
 まさか元暗殺者と軍人の合同演習みたいなものに強制参加させられてやられたとは口が裂けても言えない。
 フォークは過去の思い出が深く心に刻まれていることに、リタルという師のいろんな意味での規格外を考えずにはいられない。
「うーん、師のスパルタ教育が、運動神経を覚醒させた、かな?」
 とはいえ、料理も野性的だったがそれなりに教えてはもらった。
 そんなレジーナから離れた北の町での出来事を回想しながら、フォークはふう、と息を吐いた。
「ある意味、先輩と一緒だったよ」
 真意は伝わらないだろうが、フォークは素直な気持ちで言った。
「うーん、それは喜ぶべきか嘆くべきか悩ましいところだな」
 と真剣に受けて、ウィンストンは眉根を寄せた。
「そこ。思い出話に花を咲かせるのはいいけれど、私のいないところでやりなさい」
 怒られた男二人は、背筋を伸ばしてはい、と怒鳴られたかのように返事した。
「セプテットちゃん、行ってみないとわからないこともあるのだから、今はそれに任せましょう~」
「たしかに、考えて解決する中身じゃないものね」
 それで納得した軍人は、ちらっと周囲を見回す。
「まあ、何事もなく着くならいいわ」
「なにか起きて欲しそうな言い方だなぁ」
 ウィンストンの言葉に、セプテットは髪をかき上げた。
「そうとらえるのは自由よ」
「平凡無事な旅は、護衛の仕事がないからつまらないのかしら~?」
 ウィズベットの言に、セプテットは顔を赤くする。
「そうなのか?」
「セプテットちゃんは、仕事の鬼だったのかー」
 と、フォークが揺れる電車の壁に身を預けながら、生徒時代を思い出す。
 そういえば、父も溺れるように仕事をし、自身も男女問わずいろんな服を着せられたものだ。
 それでクライスに女と勘違いされて、いろいろあって友情にまで発展したんだっけ、と。
「そ、そんなことより、まだ着かないの?」
「今度はトラブルがないといいけどなぁ」
 先輩の言葉に、フォークは首を上下に振る。
「あら? そうね……命のやり取りになるほどのトラブルはないといいけれど~」
「口にしないで……ありえそうだから」
 セプテットは額を指先でぐりぐり押し込みながら、面倒事を思い浮かべて嘆息した。
「仕事だからやり遂げるけれども、一年もあんなこと続きだったら耐えられる自信ないわよ」
「そうか? まあ、人それぞれってやつか」
 ウィンストンの言に睨みつける護衛に、フォークはあわあわとアホ毛を揺らしてウィズベットに助けを求める。
 も、彼女はおかしそうに笑みを貼り付けていて、こりゃだめだとフォークは自分でなんとかせねばと意を変える。
「と、とりあえずついてから、だね!」
 ありきたりなフォークの言葉に、三者三様の表情が返ってくるだけだった。



 昼の残した陽気が、風とともに電車の終着点で過ぎ去った。
 屋根と椅子が奥にあり、ちかちかと長い蛍光灯が光るだけの駅で、電車はその一日の役目を終えた。
「わあぁ……」
 フォークの感嘆は、テレビでしか見たことのない景色に心躍った。
 それを横目で見ながら、車椅子に腰掛けるセプテットと、そのハンドルを握るウィンストン、そして記者のウィズベットが降りた。
 車掌が顔を出し、最終地点まで来て誰も残っていないことを確認すると、頷いて中へと戻っていく。
「結局、ここまで来たのは電車と私たちだけだったわね」
 セプテットが棘のある言葉を使うと、記者が口角を上げて黒髪の編み込んだ髪をいじる。
「他の人は一つ前でほぼ全員降りちゃったものね~」
「けっこう大きな町だったよね」
 フォークが思い出して、んーと目を瞑る。
 橙色と藍色が交じる空の下、身体が凝っていたが波のように人々が降りていく姿を思い出す。
 連結部分にいたため、もみくちゃにされたり睨まれたり謝られたりといろんな態度と出会った。
 とはいえ、それは一時のこと。
 がらんとして空いた席に座り、最終地まで待っていた。
「にしても、ここって町なんだよね」
「ああ。間違いなくな」
 断言するウィンストンは、ハンドルから手を離すと伸びをする。
「半日は乗ってたわね~」
「今日は早く宿を見つけて泊まりましょう」
 冷たく見えるセプテットだが、一日中駆け回ったのだ。
 今は興奮して疲れを覚えてないだけで、十分身体ば疲労に疲れている。
 それを意図してかしなくてか、彼女は経験で自然と呟いていた。
「じゃあ、最初に見つけた宿にしよう」
「ウィンストン、あなた相手方と連絡とってないの?」
 冷ややかな声に、先輩は村がある方角を見る。
「その人、結界の中にいるみたいなんだ。来てもらうのも悪いし、今夜は自分たちで寝床見つけよう」
 リーダーらしく判断を下す。
「賛成ー。ぼくも疲れた」
 フォークは明日の朝もランニングしないとだめだな、と思いつつ、賛同。
「ええ。とりあえず、町中に入ってしまわないことには始まらないわ~」
「わかったわ。それじゃあ、ウィンストン、車椅子押して」
「フォークでいいよねそれっ!」
「坂道の町でないだけましでしょう?」
 そこを突かれると前科があるのでなにも言えなくなり、先輩であり考案者はしぶしぶ重い車椅子を押す。
 駅のホームを抜けると、夜の帳が支配する、砂利道に石が点々と道を作る村と、石造りの家が広がっていた。
「わぁ……本当に、町だー」
「それ、人によっては失礼よ~、フォークくん」
 ウィズベットにたしなめられて、茶髪の少年はアホ毛をぴんっと立てて眉を下げる。
「ごめんなさい、つい……」
「まあ、街灯もついてるし、本当にふつうの町だな」
「私は軍の施設に一応挨拶に行きたいんだけれども」
 空気を読まずに、セプテットが周囲を見回した。
 不意に、その表情がこわばる。
「そういえば、車椅子直す経験したことある人いる?」
 不意に、砂利道を動かすウィンストンが、手を止める。
「いや、そういうのは疎い」
「先輩と同じく」
「材料さえあればできるわよ~」
 三者三様の意見に、セプテットはウィズベットの黒瞳を真っ直ぐ見る。
「自分でできないこともないけれども、もしものときは頼んでいいかしら?」
「当然。断る理由はないわ~」
 のほほんと、ウィズベットは笑う。
「これを機に、他の二人もできるようにしてもらうから」
 その宣言に、ウィンストンとフォークは苦渋の顔になる。
 きっとセプテットは二人を睨みつけ、肩を震わせた先輩後輩コンビははい、と素直に返事した。
 蛙を丸呑みするような容赦のない睨みつけに、二人は震えをこらえた。
「と。それはいいとして」
「案内して、ウィンストン」
 護衛対象に敬意が全くない年上のセプテットに、彼は大人しく寂しい後ろ姿を見せて歩き出す。
「セプテットちゃんは、軍の詰め所に行くんだよね?」
「一応別の管轄の人たちだもの。礼儀よ。上司の受け売りだけど」
「明日でいいか?」
「理由次第で考えるわ」
 待ったをかけたウィンストンに、セプテットは鋭い視線を飛ばす。
「いや、もう遅いからまず休んだほうがいいと思う。ガイドブックは持ってるし、まあ、高い部屋でもお金は気にしなくていいって言われてるから」
 ウィンストンが一気に説明すると、彼女は目を細めた。
「そうね。疲れた状態で戦闘行為になったら問題あるものね」
「そっち!」
 とフォークが突っ込む最中でも、空は夜の気配を濃厚にしていく。
「ええ。全く、この国の治安の悪さはどうにかしてもらえないかしらね」
「前のほうがきっと異常なほうだと思うのだけれども~」
「ウィズベット、甘いわ。フォークが作るパンケーキ並みに甘い考えをしている」
「なぜ食べたこともないぼくの料理が引き合いに出されるの!?」
 少し潤んだ目をするフォークを無視し、セプテットは髪を梳く。
「遊撃隊としてあちらこちらエルニーニャ大陸を巡っているけれど、大都市はともかく、こういう町なんかは薬の闇取引とかの場所になってるのよ」
「そういうことって守秘義務ないのか?」
 なぜか手足を震えさせながら、ウィンストンが言う。
「何事もなかったら言わなかったわ。でもね、あったでしょう?」
 つまり、この旅は危険を十分に孕んでいるのだ、とセプテットは言いたいのだ。
「うん、よくわかったよ、セプテットちゃん」
「まあ、フォークの手慣れた戦闘風景見てたから、電車で行ける範囲、と提案したかったけれども撤回したのよ」
「まあまあ、セプテットちゃん、何気に二人のこと気にかけてるのね~」
 ウィズベットの声に、セプテットは言葉を詰まらせてから。
「護衛として当然の判断をしただけよ」
 と、点灯がぽつぽつとついてきた家々を遠目に、セプテットはウィンストンを睨む。
 それを受けて、彼は目をそらすように手に持っていたガイドブックに視線を落とす。
「町だからかわからんが、駅の近くに民宿とか宿やはたくさんあるから、近いところから順に当たっていくか」
「ちゃんと男女分けられて、お風呂ついてる宿にしてね」
「お姉さんは一緒でもいいわよ~?」
「正反対なこと言ってる!」
「あー、はいはい、ちゃんと高そうなところ狙っておくからー」
 と、ウィンストンたちは宿の連なる道路へ歩き出した。
 車の行き交う姿もなく、町の人々は夜闇を避けるように家の中へこもっている。
「静かだね」
「ここからがホテルっていうか、宿屋だな。交渉してくる」
 フォークがセプテットの車椅子のハンドルを握ると、ウィンストンが背を向け民家のような宿へ入っていく。
「慣れてるのかしら~?」
 ウィズベットが後ろ姿を眺めながら、言の葉を紡ぐ。
「馬鹿だからなにも考えてないだけでしょう」
 辛辣なのはセプテットだった。
「だいたい、本当にここが宿だって」
「二部屋一階取れたぞー!」
 と、不満を紡ごうとしたセプテットの声を遮って、ウィンストンが勢いよく出てくる。
「……底なしの馬鹿ね」
「なに! どうしていきなり罵倒されるの!?」
「えっと、運が悪かったんです、先輩」
 フォークが頭をかきながら、苦渋の笑みをこぼす。
「ま、まあとりあえず先輩が取ってくれた部屋に行こう!」
「それもそうね。ここにいつまでいても時間の無駄だもの」
「はぁ……」
 ウィンストンの嘆息に、セプテット以外は苦笑を浮かべた。
 ゆっくりと、フォークら四人は場所を取った中へと入っていく。
 闇夜をはらうような電灯の眩しさが彼らを出迎えた。
 広いロビーにソファが点在しており、受付が物置きかというくらい土産物っぽい手作りの物にあふれていた。
 ウィンストンが鍵貰ってくるとフォークたちに言い残して誰もいない受付に向かう。
「広いわね~」
 ウィズベットが物珍しげに辺りを見回す。
「年季が入っているね」
「古いのね」
「そこはあえて避けたのに!」
 セプテットの辛辣な意見にフォークは目を見開く。
「よし、鍵も貰ったから、部屋へ行こう!」
 長方形の鍵を二つ、じゃらりと鳴らしてウィンストンが戻ってくる。
「まあ、車椅子の人への配慮もあるからいいところね」
「セプテットちゃん、ちょっと言葉がきついよ」
 と、フォークは遠慮ない言葉を吐く彼女に告げた。
「ところでご飯はどうするのかしら~?」
「う、そういえば腹ペコだ」
 ウィズベットが頬を包み込むように手を当て、フォークは片手をお腹に手を当てる。
 ぎいっと、車輪を回して、セプテットは腕をゆっくり上げて壁を指差す。
「食堂があるみたいだから、行ってみましょう」
「セプテットも腹減ってるのか」
「昼は抜きだったものね」
「だから駅弁買おうとしたら護衛対象は勝手に動くなって言ったの、お前じゃん」
「当たり前のことをして文句を言われる筋合いはないわ」
 まるで水と油のような口論に、残りの二人は苦笑いする。
「仲が良いわね~」
「そうですね。ところで、もう夜も遅いし、食堂開いてるかな?」
 小首を傾げると、先程までセプテットとやりあっていたウィンストンが目を輝かせる。
「よし、調理に使えるか聞いてみるか!」
 水を得た魚のようなウィンストンに、ウィズベットが手を打つ。
「それはいいわね~」
「フォークも手伝ってくれ。というか、まずは受付の人に聞いてみる!」
 ばっと走り出す彼を止めることができずに、三人はその背を見送る。
 いろんな置物のある受付に、声をかけたウィンストンに反応して初老の老人がひょっこりと顔を出す。
「すみません、そこの食堂って使わせてもらえますか?」
「ん? そこの美女がどうしたかの?」
 照れるウィズベットと、視線で人を射殺せそうなセプテットに、ウィンストンは声量を張り上げた。
「違います! しょーくーどーおーの台所使わせてもらえませんか! あと食材っ!」
 怒気を孕んだ声に、受付の老人はふむふむと首を縦に振り――。
「おーい、残り物の野菜と魚あったかのう?」
「あーはいはい、いいですよいいですよ。俺が立ち会うから」
 と出てきたのは、オールバックな髪型に金髪が似合う、フォークと同年代に見える青年だった。
「すまんのぉ、オードル」
「ここ引き継ぐのは俺なんで。お父さんは休んでてくださいというか勝手に出るな馬鹿親父」
 受付前で意表を突かれたウィンストンに、彼は老人の横に並んで微笑を浮かべた。
「あれ、明らかに営業スマイルね」
「零円ね~」
「はは、では、残り物しかありませんが、食堂へご案内します。こちらで作りましょうか?」
 丁寧な所作で受付から出てきた彼に、ウィンストンは首を振った。
「いえ、こうみえても、料理は得意なのでやらせていただけませんか?」
「お客さんに言われても……」
「ふふ、お口に合う絶品な料理を用意しますので」
「笑い方が気持ち悪いわよ」
 セプテットが露骨に顔をゆがめるが、ウィンストンは全く気にとめてなかった。
「伊達に学園一の成績トップじゃないんだぜ?」
 その言葉に、指も立てて、ウィンストンは満面の笑みで宣言する。
「そういえば、郷土料理をオードルさんから教えてもらったら、先輩の目的も一緒に果たせるのでは?」
 名案だと、フォークは手を叩いて好奇心を隠さず提案する。
「そうねえ、それなら記事にもできるし、わたしも助かるわ~」
「やるなら、さっさとすることね」
 茶髪の先を指でいじりながら、セプテットはそっぽを向いた。



 食堂の電気をつけると、四人座れる椅子のテーブルが六卓あった。
 入り口の向こう側には、メニュー表が書かれた紙が一品一品貼られた紙が、受け取り口を賑わせていた。
 その奥に、厨房があった。
 こじんまりとした中、しかし銀に輝くその世界は、料理人以外を拒絶していた。
「んじゃ、行ってくるわ」
「案内しますね」
 ウィンストンは頭を覆うバンダナとエプロンを自然な手付きでまとうと、オードルの後をついて厨房へ入っていく。
「先輩、すごいなぁ……」
「彼、伊達にレジーナの学生部門で三本の指にはいるほどの料理の腕前なのよ~」
 かたかたとキーボード―を打ちながら、ウィズベットが記者らしいことを告げる。
「変なもの出したら締めましょう」
 長い軍人生活のせいか、味を求めていないセプテットがつまらなさげに息をついた。
「あはは……。先輩、大変だなぁ」
 と口では言いながら、フォークはいつか、その域ではなくとも、食堂で働ける程度の腕前を持つシェフになれたらいいな、と。
 一瞬よぎった宿命から目をそらすように、作ったほほ笑みを浮かべた。



 厨房自体は、一般家庭にある厨房を倍にした程度の小さなものだった。
 だが、設備に不備はない。
 心配なのは、四人分の料理が作れるかどうかの食材があるかだけ。
「うーん、これと、これと、これは明日のために使えないから、これかな」
 オードルが取り出した食材に目を光らせると、ご飯もあるからこれを作ろう、と提案する。
「よく知ってるね。この辺りでしか出回ってないはずなんだけれど」
「郷土料理の本とか読んで、勉強しましたから!」
 びしっと指を立てると、オードルは元気が有り余ってる若さに少々嫉妬を覚えた。
「でも、実際に勉強のため危険な大陸旅行しようとするなんて、よく許してくれたね。貴族の子とかかい?」
「まあ、そんなようなものです」
 本当は父親が軍お抱えのシェフだった、とは言わない。
 十分色眼鏡がかかっているが、こんな旅とお金と護衛まで出してもらったのだ。
 そもそも一日目からトラブルがあったのだ、こうして平凡に料理が作れるのは幸せだろうと解釈する。
「かぼちゃ使うんですね」
「皮は取るんだ。そして、玉ねぎをみじん切りにして」
 とんとんとん、と二人は横並びになりながら包丁を動かす。
「手付きがいいね」
「……え? あ、すみません、ありがとうございます」
 ウィンストンは集中しすぎて聞こえなかった声に、頭を下げた。
「いや、すごいね」
「え?」
「でも、仕事でないのなら、話をしながら料理を作るのも大切だよ」
 片目をつむって、オードルが告げる。
 ウィンストンは思わぬ指摘を受けた、と目を丸くした。
「はい、気をつけます」
「あまり気にしなくてもいいけどね。ふふ」
 と、オードルが微笑むと、ウィンストンたちは包丁の作業を終えた。
 調味料を用意すると、切り刻んだ材料を持ってガス台へ行き、オードルが深めの鍋を用意した。
「こうして鍋に油を引いて……」
 オードルは見本だと言いたげに、ウィンストンに油を入れていくさまを見せる。
「いい香りですね」
「ああ。この地域で取れるもので作った、極秘の製法で作った油だからね。当然食用だよ」
 片目を瞑って、オードルはウィンストンの手さばきに息を吐いた。
「プロみたいだね」
「まだまだ、未熟者です」
 とウィンストンは返した。
「えっと、さっきは集中しすぎて迷惑かけてしまったので……」
「いや。それくらい熱意があるのは、いいことだよ」
「でも……」
「いや。熱意がなかったら、あんなに集中はできない。でも、他の人とやるなら、もう少し気配りしたほうがいいかもね」
 プロとしてやってきたオードルの指摘に、ウィンストンは魂に刻むように、彼の手元を見ながらその言葉を繰り返した。
「しかし、運が良かったね。閑散期だから、空いてたんだよ、部屋」
「え? そうなんですか?」
「うん。別の国――東に行くならともかく、そうじゃなかったら、ここは通過点だからね」
「あんな噂があるのに、ですか?」
 一瞬、手を止めてオードルは訝しる。
「寿命がわかる崖ですよね。その中に入りたいんです」
 ウィンストンの無垢な発言に、オードルは嘆息した。
「出れなくなる場合もある……なんて言っても、行くのでしょうね」
 それは、見送ってきた人の姿だった。
「いや、え、そんなに危険なんですか?」
 意表を突かれた料理人に、いえ、と首を横に振ってオードルは寂しそうな顔をする。
「母が、中で病にかかって出られなくなって亡くなったんですよ」
「あー、すみません……」
「中で葬儀はできましたし、出入りできたのは子どもの頃だったので構いませんよ」
 でも、古傷を抉ってしまった気がして、ウィンストンは萎縮する。
「それよりも。絶対、中から出てきて帰る前には、声をかけてくださいね」
「――っ、はい!」
 仕上げをしながら、ウィンストンとオードルは笑い合う。
 ウィンストンの料理の姿に、亡くなった優しい母親の面影を感じ取ったせいもあって。



「あー、美味しかったー!」
 白い電灯に眩しいくらいに照らされた、木目が生かされたベッドと謎のはにわ風の置物が奇妙にマッチした部屋にて。
「お風呂も広かったし、いい日だったね、先輩!」
 目を輝かせて、フォークは木製の古さを感じない机に勉強道具を広げながら、料理の感想を告げた。
「ご飯崩しながら合わせて食べるのはなんか、カレーを思い浮かべたよ」
「そうだな……」
 上の空のウィンストンに、フォークは首をかしげた。
 部屋に入った途端、紐が切れた操り人形みたいになった彼を見て、フォークの鈍感さもさすがに気づく。
「なにかあったの、先輩」
 椅子に座ってるせいで、見上げる形になった。
 ウィンストンは瞼を閉じて、小さく息を吸いながら、しかしなにも言えずに吐く。
「崖の結界のこと?」
「……ああ。オードルさん、あの料理を教えてくれた人の話を聞いてさ。もし、出られなかったら、って思ったんだ」
「入れるのなら、出れるのが普通じゃない?」
 ペンを動かす手を止めて、フォークがなにが不安なのかわからない、と顔に書いて見上げる。
「ああ、そう、だよな」
「それに、今そんな未来のこと悪く考えても、しょうがないよ!」
「……能天気だなぁ、フォークは」
「む」
 にやにやと、ウィンストンは吹き出すように笑い出す。
「ごめん、怒ったよな? もし、結界から出られなかったら、代わりに旅を続けてくれよ?」
「結界の中って、そんなに危険だって言ってたの? 宿の人?」
「詳しいことは聞いてない」
「……そっか」
 フォークは瞼を閉じると、ふむ、と腕を組む。
「行ってみたらわかるんだろうし、行こうよ。先輩らしくないよ」
 まだ数日も一緒じゃないけれど、と付け加えて、フォークは笑った。
「いや、そうだ。人が死ぬなんて、フォークのほうが体験多そうだもんな」
「え、いや人が死ぬのにそうそう立ち会ってないよ!」
「殺すほうじゃないのか? 運動神経良いだろ?」
 あれは師匠がスパルタ規格外の化け物のせいだから、ぼくの本来の力じゃないから、と心の中で言い訳を繰り返す。
「ま、まあそれよりここの部分を」
「そうだな。運動神経よりフォークは頭に入れる座学と実技が足りてないな」
「そういえば、今日もぼく食べる専門になってた気が……」
 本当なら、作るほうに回るべきでは? とウィンストンを見るが、彼は真摯な目でいや、と言葉を選んだ。
「舌を肥えさせるのと、基礎の勉強。それが足りてないだろ? 運動神経がいいのは大事な要素だが、美味しい料理を作りたいならそれは必要だ」
「えー」
「千里の道も一歩から。フォークは家庭料理はできるんだろ?」
「うん」
「まずいってわけじゃないんだろ?」
「皆美味しいって食べてくれたよ!」
「なら、やることは決まってるんだ。まずは基礎、それから応用と実技。学校の勉強だって、大事なんだぞ」
「そうかなぁ」
「あのなぁ……コネで入れるほどふつうは簡単なもんじゃないんだぞ」
 びしっと指摘され、フォークはう……と言葉に詰まる。
「しかもあの金にうるさい学園長が条件に出したんだ。ああいうタイプは……あんまし好きじゃない」
 ウィンストンの言葉に、フォークはわかるなーと呟いた。
「会ったことあるのか? とにっかく、自己中で妬みも酷い。でも、腕は一流なんだぜ?」
「会ったことないけど、先輩は料理食べたことあるの!」
「ああ。といっても、プライベートだけどな。一度だけ食べたけれど、ほっぺが落ちる」
「なんと!」
「意外だろ? でも、料理学校の長だけあって、料理の腕はすごい」
「へぇー」
「だから、見返すためにも、勉強頑張ろうな、フォーク。もしかすると、フォークもいいセンスがあるかもしれないからな」
 まだ家庭料理の域なのか、とちょっと心臓がちくりと痛むフォークであった。
 そのことには気づかず、ウィンストンはフォークのわからないという座学に付き合っている。
 前の町で死んでてもおかしくなかったのだ、と思うと、無謀なことを言っていたのかもしれない、と。
 ウィンストンは、その考えを振り切るように、フォークへできる限り、付き合う。
 まだ旅は始まったばかりだというのに、トラブルに巻き込まれた。
 セプテットやフォークが常人離れしていたから、助かったようなものなのだ。
 その現実からは目をそらさずにいようと、ウィンストンは必死に教科書とにらめっこしているフォークに知識を叩き込む夜を過ごした。



 からん、と風呂桶を置いて、セプテットは一人、星がまばらな空を見上げていた。
 人の気配はない。
「この旅、何事もなければいいわね」
 ブーツを脱いだ足は常人離れするほど筋力がついており、それを隠すために友人に作ってもらったブーツを履いている。
 友人作のそれでもこの筋力を封印しきるほどの力は及ばなかった。
「……ゆっーっくり歩けば、なんとでもなるんだけれどもね」
 苦笑をのせて、セプテットはシャワーをかける。
 熱いのが良かった。考え事を忘れるには、ちょうどよいのだ。
「――これからも、トラブルが続くわね」
 経験則で、セプテットはいつか、取り返しがつかなくなる前に、提案しようと思った。
 ウィンストンには申し訳ないが、今のエルニーニャは危険のほうが高い。
 でも、ここでなら。
 西でも一時期噂になっていた、十年の崖。
 一度入れば死ねる者は外に出ることができるが、そうでない者は囚われたままになるという監獄。
 ――本当にあって、向かうことになるとは思わなかったが。
「入れないでしょうね」
 ざーっと、排水溝に流れ行く水音を聞きながら、考えが回る。
 同室のウィズベットはパソコンと格闘中だ。
 ゆえに、一人でさっさと風呂場に入っているのだが。
「ああ、なにも考えないために来たのに。まったく……」
 嫌になる思考に、苦笑が漏れる。
「フォークも、ウィンストンも。無事に入れるわよね?」
 まるで祈るように、セプテットは蛇口を止める。
 壊さないよう慎重に、尋常じゃない太い足を床に置いて脱衣所に戻る。
 一番近い場所に置いておいた車椅子とブーツに、水滴をタオルで拭き取ってから入れる。
「つくづく、西の国の鉱石って不思議だわ」
 足のサイズに合っていないのに、入るのだ。
 制作者曰く、空間を曲げているのだ、とか。
 まあ、その分重いのだが、それは車椅子で補える。
 一人で風呂に入ったのはいつぶりだろうか――。
 そんなことを考えながら、衣服を身にまとう。
 もう何年も軍人をやっている彼女は、戦死したり、毒殺された親しい人を思い描く。
 二度と会えない。その現実は、しかし、産まれた時に味わっている。
 だから、できる限り。一人で助けたいと思っている。
 成長が止まったセプテットと違い、隊長たちはもう本来なら退役していてもおかしくないのだ。
「私も、今回のことが終わったら、考えても良い――いえ、私にはここしか、居場所はないか」
 軍にしか、と罪を告白するように、セプテットは声を漏らす。
「一人でもやっていける。そう、思わせなくちゃ」
 本来なら。その呪縛は、彼女を縛り付ける鎖だった。
 それが解かれる日は、来ない。
 誰もいない広い脱衣所で、軍人の女性はただ、湯に当たったかのように、車椅子に腰掛けたまま、思考を止めていた。



「んー、明日、無事入れなかったら……残るかな~」
 二人分のベッドの窓側から、肘をついて満天の夜空を見上げる。
 黒い髪を解いて、長く腰まである黒髪は、やわらかなオレンジ色の電灯に照らされていた。
 その横顔は、寂しさを隠していた。
「先輩、かぁ。フォークくんも、言うわね~」
 くすりと笑みをこぼして、思い出の湯船に浸かる。
 なにも知らない入ったばかりの出版社で、助けてくれた男の先輩。
 記者としての基礎をみっちり叩き込まれ、怠け気味のウィズベットの背中を押してくれた、好きな人だ。
 でも、なぜ彼と別れたのかは、記憶を辿ろうとしても思い出せない。
 同じ記者の人間に聞いても、あいつのことはお前のほうがよく知ってるだろ? と塩対応されるだけだ。
「……もし、この崖の奥にいたら、会えるのかな~」
 癖になった口調を変えるのも億劫で、ふあっとあくびが出るままに、ベッドに横たわる。
「セプテットちゃんはお風呂に行っちゃったしなぁ~」
 冷たそうに見えても、その心はがっしりと全身鎧をまとって本心を隠しているのは、理解している。
「似たもの同士だものね~」
 取り出したメモを見て、苦笑する。
「先輩、か」
 ウィンストンとフォークの関係を見ていると、幼さが残る新人で政治犯を追いかけた日々は、なかなかの大冒険だったと思う。
 目を細めて、ウィズベットはセプテットが一人で風呂に入ると出ていった扉を見つめる。
「車椅子は大丈夫だとしても……心は幼いままなのは、お互いさまね」
 大人びた笑みとは対照的な言葉を呟くと、目を閉じる。
 赤い、世界。
 最後まで記者の先輩と一緒にいたはずなのに、それを忘れている自分。
 ――どうして、こうなっちゃったかなぁ?
 この旅は、波乱万丈の旅になる予感があった。
 ゆえに、ウィズベットを指定したのだと理解する。
「ふふっ、でも、楽しい旅ではあるわ」
 ウィンストンくらいだろう、本音で、真っすぐで、嘘もなく、本気で夢を目指しているのは。
 フォークの評価は初日の出来事で変わった。
 暴きたい。
 セプテットの足は想像がついた。いや、西の軍人なら、知らない人のほうが少ないと言われている。
「記者になって、なにがしたかったのかな」
 ウィズベットは静寂に自問する。
 答えの出ない夢。消えた先輩は南で政治犯として捕らえられている――。
 でも、そんなヘマをするような人ではなかった。
 だから、真相を暴きたい。
「でも、旅はエルニーニャ内だからなぁ~」
 苦笑して、ウィズベットは目を開ける。そのまま、思い慣れた人の心をメモ帳に書きつける。
 会いたい。
 また、ウィンストンとフォークのような関係を築きたい。
「ねえ、必ず、助け出しますから、先輩~」
 呟きは、ドアのノック音に消された。だから、いつもの調子を演じることに決めた。
「今あけますから~」
 セプテットの足の秘密も、記者たる彼女にとってはいつか暴きたい秘密だった。
 その内側に封じた、人に見られては困ること。
 ――話としては聞いたことはあったが、この目でみるまで信じない。
 心に刻みつけた真実を隠して、ウィズベットはむっとしている車椅子の少女を扉を開いて受け入れた。