ツキの役割とクレインの運命の出会い

 運命は巡る。
 それぞれの可能性を食いつぶしながら、時に優しく、時に残酷に食いつぶしていく。
 ――フォークが知らない、同じ時を生きた兄と友の妹の、幕間と言える物語。



 どちらも、始まりは静寂に満ちた、満月の夜だった。
「――キルストゥ様」
 薄い月光が、敷布団の中の男女を淡く照らす。
 レジーナのような都会の明るさはなく、女は男――キルストゥと呼ばれ、かつてはツキと名乗っていた青年にしなだれかかる。
「えーと、今日も、するんですか?」
 ツキは茶髪を肩まで伸ばしている青年で、布団に横になって眠っていたかった。
 かれこれ、いろいろあってもうエルニーニャ大陸に頻繁に行くことはないだろうと思っている青年だ。
 一般家庭で生活してきた彼は、和風の畳の新鮮な香りに包まれた部屋に、半ば幽閉されていた。
「キルストゥ様。あなたとの子を宿せることが、重要なのです」
 悪友から王と守護する立場に変わった友人を思い出す。
「えーと、でも前の法律を作った人を殺めるための殺人者がいるん、だよね?」
 ツキの疲労に満ちた声は、当然だった。
 王でもないのに毎日毎晩、女性とまぐわう。
 こんな生活など、夢にも見なかった上、ツキではなく青の宿命という魔祓いの力があるがゆえのことだった。
「彼のことなら大丈夫です。元はキルストゥ殺しの法律を通した王代理を殺めるための存在だったのです。もうあなたのものです」
「えーと、もらっても困るんだけど……」
 天井裏にある気配、それがかすかに揺れた気がした。
「あ、無能とかそういういうんじゃなくて……リタルさんの変わりをしてくれたら嬉しいなーって」
「赤の宿命のキルストゥ様の変わりは、リタル・モデラートと王がお決めになりました。これを覆すことは難しいです」
 希望していたのだろう、失望の色が見えた。
「でも、それとこうしてえーと、毎日やるのとはどういうご関係が……」
「キルストゥの血を持つ方々が減っているのです。毎晩、皆が言っておりますでしょう?」
「あ、はい、言ってます」
 黒い長髪をほどき、お互い白い着物を緩め、肌を触れ合う。
 この度に、レジーナの軍のトップになる友人だった人を思い出す。
 彼と違い、自分はきっと、アイスと一緒の暮らしをするんだろうな、と思う。
 そして唯一となった肉親のフォークを思う。
 なぜかレジーナのクライスの父親とツキは、連絡を密にしている。
「レジーナやエルニーニャの情報は、ここでも取れてるから大丈夫、なんだがな……」
 そういえば、クライスはよく父親はアニメしか観ないと愚痴っていた気がする。
 気の所為ではないのだろうと内心で固く確信するが、それでツキは命を今も繋いでいる、と言えた。
 ――あの魔剣がなければ、とっくの昔に死んでたんだって言われてたな。
 アイスを庇って、血がどばどばでて痛くて死ぬのかと覚悟した時。
 クライスの知る父親経由の闇医者が一か八かで使った魔剣。
 そう、たしか魔剣だったか。自覚はないが、それが今も命をつないでいるが――心臓のほうまでそれは身体を醜い火傷のように侵していた。
 だから、こういう行為も、服を全部脱がないことを条件に、やっている。
 正直、もう疲れた嫌だ帰りたい母さん父さんフォーク! と叫びたい。
 孫が山程できそうです。
「クライスさんという方、ちょっと情緒不安定らしいです」
 不意に、天井から声が降ってきた。
「え?」
 心の内を読まれたかのようなタイミングに、ツキは目をしばたかせる。
「あら、どうしてわかるの?」
 女が布団に入り込む。
 気にせず、ツキは今まで声すら知らなかった、リタルよりは弱いがフォークよりは赤の宿命に向いている子どもの声を聞く。
「連絡がありました。上官の娘に惚れられたということと、妹さんが、軍を退役するということで」
 どくん、と嫌な予感が、ツキにのしかかる。
「ね? だから、今のうちに、キルストゥ様と交わることが必要なのです」
 女の声も耳に入らないツキは、護衛として天井裏に隠れているキルストゥの少年へ叫ぶ。
「詳しい話を聞かせてくれ!」
 もう女の声など入らず、ツキは叫んでいた。
 クライスには初対面で殺されかけたが、今では弟の友人だ。
 それに、こうして生きていられる恩がある。
「では、行為の最中に水を差すようで大変申し訳ありませんが、父と母親さんと軍部で起きた事件のあらすじを」
 ――このときばかりは、キルストゥ様から、ツキというもういない青年へと、意識が切り替わっていた。



「平和ですね」
「報告書執筆が平和の証というのならな」
 灰色の髪の整った顔をしている、グレンと、黒髪の長身のカイが過ごしているのは、エルニーニャ大陸最大都市のレジーナ。
 そこにある中央司令部の一室で、昨日解決した事件のあらましを書いていた。
「お、平和そうじゃねえか」
「ディア。それよりもリアさんとラディアさんはここにはいないのか。珍しいな」
 その一室にノックもせずに入ってきたのは、ディアとアクトの有名なコンビだった。
 昼下がり、特に任務もなく。
「聞いたか? ロリコン大将の話」
「あの、報告書書いてるので、邪魔するなら出てってくれませんかね?」
 笑顔に青筋を立てたのはカイだ。
「いや、これは噂なんだが、うちに下ろしている製薬会社の双子の女の子を嫁にするらしい」
「変態だな」
 え、それあなたいうの、とグレンの目が語っている。
 それを無視して、ディアはばんっと机を叩く。
「それもあるが、クレイン、軍を退役するって言ってるらしい」
「それこそ、女子いるところで話したほうがいい話題のように思いますけど……」
 元々報告書を作っていた二人が、冷めた視線を向ける。
「いつも一緒だから、ついな」
「ごめん。あと前者のことはあまり言わないで欲しい。クレインの話は、一部で広まってるからたぶん大丈夫だと思うけれども」
 そこで目を泳がせるアクトに、ディアが口を挟む。
「クライスが、なんかヤバいんだ」
 グレンとカイは、目を見開いてその話を聞いていた。



 ことの発端は、フォークが旅立つ前まで遡る。
「軍人や軍属を狙った、暴行事件?」
 金髪の少女、クレインは隣でパソコンを打つ同僚と、お昼ご飯を食べていた。
「そうそう、クレインはなんだか前も巻き込まれたことあるからさ、知っといたほうがいい」
 びしっとフォークを鼻先に突きつけて、同僚はかっと目を見開いた。
「そんなに……事件は起こらないわよ」
 ちょっと危なっかしい兄を思い浮かべながら、クレインは苦笑する。
「寮住まいのほうは問題ないみたいだけれど、クレインは家近いし通勤してるんだから、気を付けて」
「う、うん。早めに帰るようにするわ」
「ならいいけれど」
「あなたは寮だものね」
 情報室でお昼をいただきながら、クレインは小さく息をついた。
 最近のレジーナは物騒だから、行き帰りは兄であるクライスと帰ったほうがいい。
 メリテェアという、軍では上官にあたるがプライベートでは友人の貴族の子にも注意されていた。
 最近は、なにが起こるかわからないと。
「寮も寮で大変よー、もう!」
 普段の調子に戻った隣席の同僚の言葉を噛みしめて、クレインは内心、息をついた。
「さて、昼休憩終わったら、書類の入力作業ね」
「面倒臭いー」
 卵焼きを食べつつ、クレインはフォークのことを自然と考えていた。
 義兄を失った彼は、別の保護者と暮らしているという。
 ――自分は、幸せだと思う。
 想ってくれる兄がいて、両親がいる。
 兄を追って軍人になったが、本当は――いい女になりたい、という思いが甘いお菓子を食べたかのように広がる。
 いったいなにがそれなのか、考えてみても答えは出ない。
「もがくしかない」
「あ、コロッケ入ってる。クレイン、食べていい?」
「あなた食堂でなに食べたのよ」
 同僚の横槍に、その悩みはしばらく閉ざされてしまった。



「お先にしっつれーしまーす」
「お疲れさま」
 情報室の同僚が一人、また一人とタイムカードを切って帰っていく。
 それを見送りながら、クレインもパソコンの電源を落とす。
「はぁ。まったく……馬鹿兄、遅くなるのか」
 元軍人だった父と同じく、けれども表の軍人の相手という立場で暗躍するクライスを思い浮かべる。
 幼い頃はよく泣いてたクレインの手を握っていたのを思い出す。
「そういえば、だいぶ前も襲われたあと事件解決してくれたっけ」
 馬鹿馬鹿というけれど、それはクライスが国のためといいながら、クレインのために軍人というきつい道を選んだのを知っているからだ。
 兄のクライス本人は意識していないだろうが、クレインにとってはそれは大きなことだった。
「でも、いい女になって。メリテェアみたいになる……のが、強いことなのか。それとも、違うことなのか、見極めないと」
 ぎゅっと唇を噛みしめる。
 少なくとも、このまま情報処理班に留まるつもりはなかった。
 ――軍人でいること。それはこの軍事国家では大切なことだけれども。
 本当に、今のままでいいのか、クレインは、悩んでいた。
 昔誰かに言われた、心の底に積み重なっている『いい女』という概念。
 その時の女性の声なのは覚えているけれど、具体的な意味は理解できていない。
「まあ、今考えてても仕方ないか。行こう」
 メリテェアは会議があるというし、知り合いはだいたい寮住まいだ。
 家路までは一人だが、空を見て問題ないだろうと決断した。
「雨、降りそうね」
 クレインは席を立つと、先に出た同僚のようにカードを切って着替えもせずに外へ向かった。
 黒い雲が見えた。
 その中、寮へ向かう人々の姿を見て、なぜか疲れが肩にのしかかる。
「寮行く人が多いわね……」
 家に向かうクレインは、街頭が少なくなる住宅街へ歩く。
 フォークが暮らす商店街側とは反対側にある道を通る。
 人がほとんどいない道で、ふと、誰かが来たのかと足を止める。
「軍人か?」
 不意に、耳元で声がした。
 服装は着替えずに来たが、エルニーニャ王国軍の服装は基本的に学生服と見間違うような服装だ。
 だが、軍人と見抜いたということは、わかっていて声をかけてきたのだ。
 クレインはいつの日か襲われたときを思い浮かべる。そして、近くで車の止まる音がした。
 嫌な予感がする。
 武装などしていないクレインでは、逃げるべきだと脳内で警鐘が鳴っていた。
「なに、ちょっと付き合って――」
「我が恋人に何用か?」
 不意に、上から降ってきた太くも冷めた刃のような声に、二人は目を見開いた。
「な、なんだお前」
「あなたは誰――?」
 人の気配などなかった。
 重い雲が隠していたとも思えない。完全に気配を消して、彼はいた。
 瞬間、熱を感じたと思ったら、ずどっと、目の前の見知らぬ男が倒れる音がした。
 クレインは、通り過ぎた熱源が、恋人と言った男のせいだと気付くのに数秒、遅れた。
「大丈夫で良かった。少し後ろにいてくれ」
 言うが早いか、ぞろぞろと止まったワゴン車から黒に身を包んだ男たちがわらわら出てくる。
「これはこれは。軍人を襲ってる連中さんかな」
 燃えるような赤毛の男は、楽しげに声をはずませた。
「私、あなたと初対面なのだけれども」
「なに、未来の伴侶を見間違うほど間抜けじゃないのさ」
 キザな台詞も余裕満々で、異能力者なのは確かだった。
 だが、クレインを守ろうとしてくれている。
 そもそも、伴侶とはなんだろうか、とクレインは首を傾げた。
 赤毛に鋭く切れ目の、クレインを助けた男は、くすりと笑みをこぼした。
「それに、事件解決するのは、大事なことだろう? 我が妻よ」
 こんな時に一人で帰るのはおすすめしないがね、と赤毛の大男は横目でクレインの青い目を射抜く。
 見知らぬ男だが、軍人でもない存在――異能力者は、ゆっくり笑みを作った。
「死にたくないなら、二度とこんなことはするな」
 血色の目が、きらめく。
 赤毛の男は手を獲物をちらつかせる車から出てきた男たちにまっすぐ伸ばす。
 音もなく、彼の手のひらから火の玉が生まれる。
 フォークといた時にあった事件を思い出すも、クレインは足が石になったように動けないまま、異能力者の男を見つめた。
「さて、死にたくなければ軍に投降するのをおすすめするぜ?」
 黒い姿の男達は、たった二人きりだと無言で襲いかかる。
 そこには銃もまじっていた。
 クレインは詳しくないからなんとも言えなかったが、どう見ても赤毛の男が不利なのは目に見えた。
 途端。
 地面が揺れるような衝撃と、赤の燃え盛る炎が車だったものから吹き上がった。
「え――?」
「な、なんで」
「嘘だろ」
「ひ、人じゃ、ない」
「でもここでひいても死ぬだけだ」
 ひゅうっと、口笛が赤毛の男から響いた。
「車燃やした程度じゃ、引かないってことか」
 にこりと、心から嬉しそうに赤毛の男は笑う。
「でも、焼死体になりたくないなら、さっさと降参しちまいな」
 にやにやと、火は変わらず男の手の中にある。
 クレインは、どんな魔法を使ったのか、瞬きを繰り返しても理解できなかった。
 否、異能力者ならば、その程度、楽にできるのだろう。
「く、くそ!」
「し、死にたくない――!」
 黒ずくめの男たちは悲痛な声を上げていた。完全に、戦意を喪失していた。
「じゃあ、連絡しな。伴侶よ、無線はあるのだろう?」
 クレインを見下ろした男は、片手から火の玉を燃えさせつつ、にやりと勝者の笑みを絶やさずにクレインを見下ろした。



 ぽつりぽつりと雨が降る。
「あなた、異能力者なの?」
「いや。自然神だ。火を司ってる」
 さらりと流れるように答えて、赤毛が燃えるような男は笑う。
「信じる信じないはいいがな。大地のやつがここで軍人してるって知ったから、遊びに来たのが一つ」
 かすかに、憂いの光を宿し、彼は大人しくなった黒い男たちを見つめて、息を吐いた。
「伴侶たるお前を、助けに来ただけだ」
「――カーテンコール中将の、ことですか?」
 以前、クライスから聞いたことがある。
 ある時期を堺に、人が変わったかのように暗部の仕事に積極的に関わり、動くようになった人だと。
「へぇ、あいつ他人に成り代わるのか。おもしれーことするなぁ、あの女遊び好きが」
「……お知り合いなんですね」
 爆発している車にかすかに恐怖心をもちながらも、クレインは平静を努めて保つ。
 家に着いたら泣き出しそうだ。
 しかも今日あったばかりの人を恋人呼ばわりする変人だ。
 最悪だった。
「おや、車を燃やしてやっただけで怯える三下を心配してるのか? 死人はいないはずだが」
「そういうことじゃなくて……」
「ああ、我が伴侶、名を告げるのが遅れたな。我はホムラ。全ての始まりの炎にして終わりの炎だ」
「厨二病?」
「ふっ、これから少しづつ仲をつめていくのも、悪くないな」
 やっぱり厨二病だ、とクレインは冷たく心の内で呟いた。
 背は高く、炎を操るという意味では向いている髪型だが、服装は一般市民の、よくあるラフな姿だった。
「あの、伴侶って……なるつもりはないのだけれども」
「なーに、すぐにこの我の魅力に落ちるのは目に見えているのだ」
 関わり合いになりたくなくなったクレインは、とりあえず、戯言を聞き流す。
「申し訳がないのですが、別に恋人募集はしてない――」
「恋人として、付き合ってくれないか? クレイン」
 視線を合わせ、両手を握りしめられて、彼女の脳内は思考停止した。
 いきなり見ず知らずの男に伴侶やら妻やら言われ、恋人になれと。
「助けてくれたのはありがたいのですが、まだ、その募集はしてないので」
「気になる人はいるんだ」
 切れ目が更に険しくなる。
「まあ、監視しておかないと、心配って意味では気になるわ」
 金髪碧眼で、同じ親から産まれた我が兄である。
「そうか。だが、今から挨拶してもいいか? まずは、友として」
「――へ?」
 雨粒が、二人をつなぎ合わせる。
「伴侶になるには、そうだ、たしかに行き当たりばったりすぎた。軍人が襲われる事件、これの解決にも尽力しよう。神ゆえにな」
「えっと……理解、できないんだけれども」
 敬語も捨てるほど、クレインの動揺は激しかった。
「安心してくれ、我が友よ。今の連中は単なる雇われのごろつきだ。真の首謀者は、見当がついているが、もう夜だ」
「え、ええ。そうね」
「混乱させてしまったか、はははっ! では、家まで送ろう」
「あなたは、どこに住んでいるの?」
「それは、秘密だ。さすがに我も心配はさせたくないのでな」
 その意味がしばしわからなかったクレインだが、興奮して顔を真っ赤に染める。
「公園とかに住んでるの?」
「寝泊まりしているだけさ。我は通貨はあるが、ここではない場所から来たのでなぁ」
 無一文だ、とカカっと笑う。さっぱりとした開き直りにも似た笑みに、なんだかクレインも苦笑する。
「とりあえず、両親が許可しないとだめよ」
 しとしとと降り続く雨に、クレインとホムラと名乗った男は、手を繋ぐ。
「おっと、連絡をしておかないとな」
「私から無線でしておくから。あなたのことは、内緒にしておくわ」
 関係を説明するのが面倒なことが一つ。
 なにより、軍人のクライスには、以前も同じように襲われたことがあり、思い出させたくなかった。
 職場からの帰り道で助かったと思いつつ、ホムラがいつの間にか、傘を手にクレインの横に立っていた。
「……好感度上げ?」
「冷たいな、我が妻は」
「友でしょ」
 なんでか、家族と話をしてるような気軽さがあり、傲慢不遜気味な男なのに、とクレインは通信課にホムラのことを伏せて事件をかいつまんで話した。



「あら、クレインの上官さん?」
 雨が本降りになり、びしょ濡れになったホムラを家まで連れ帰った。
 チャイムを鳴らして入ったクレインと、彼女を守りながら来た男を見て母親が瞬きを繰り返した。
「いえ、おっぉ――いえ、友人です」
 慇懃無礼的な部分を感じもしたが、クレインは頷いた。
「最近は一人で帰るなと言った――誰だ、その男は」
 いつもならアニメを観てる父親が、青筋を立てる。
「えーと」
「軍人でもなければ、ただの人でもないか。裏社会の人間としては明瞭に身分を明かしすぎている。カーテンコールみたいな雰囲気だな」
 冷静に分析する父親に、クレインと母親は苦笑する。
「ほう。もう退役したのが惜しい人だな。口に出しすぎてはいるが」
「わざとよ。追い出す口実探し」
「うちの子がお世話になったのよ、あなた。とりあえず、今晩は泊まっていってください。ほら、食事も多めにあるので、食べてください」
「犯罪者だったらどうする。さっきテレビの速報で、車が炎上して男たちが倒れていたとあった」
「ふむ、情報が早いな」
 クレイン程度にしか届かない言葉だったが、父親は聞き逃さなかった。
「貴様、関係者か?」
「友を見捨てる薄情者だったなら、今更ここにはおるまい」
 短い金髪に、疑惑の視線をぶつける父に、クレインはとーにーかーくーと、間に入る。
「この人は恩人で、友なの。風邪引かれてもこまるし、泊まってもらおう、お父さん」
「そうよ、あなた。クライスならいざ知らず、クレインがわざわざ濡れないような態度を取る紳士さんですし」
 女性陣は完全に心を許していた。
 それが気に食わないところもあったが、父親は人差し指を立てた。
「寝る時は私と一緒だ。それさえ守るなら、滞在を認めよう」
「娘には厳しい人なんだからー」
「そうね……」
 クライスも同じ反応をしただろうと思うと、クレインは男は面倒な生き物だと吐息をついた。



 エルニーニャ王国軍の中央司令部の牢屋は、慌ただしかった。
「捕虜が全部吐きました!」
「北の裏組織が、大元か……」
 もう雨音がざあざあと泣く時間帯に、クライス、ネームレス、そしてショートケーキの暗部の面々が揃っていた。
「軍人誘拐を狙っていた説もあったが、――信じられないな」
 ネームレスが現実的な判断をしていた。
 この中で、彼より非現実を目の当たりにした人物はいなかったからだ。
「神の嫁候補を、捜して行動しているなんて、な」
 そのままの意味でとるべきか、なにかの符号か。
 それすらわからないまま、魔であり人ならざる白髪の少年スピードスターは目を細める。
 エルニーニャではほぼない二輪車を扱う少年は、上司だったカーテンコールが姿をくらましたことに、暗部のさらに奥の暗部も動き出していることに違和感を覚えていた。
「なにかが、間違えている気がする」
 あーだこーだと話し合っているようではっちゃけている四人を眺めながら、彼は嫌な湿気に包まれた空を見る。
 暗い世界。殺されて、星と繋がり生き延びた身にとって。
「星の光は目に見えずとも、すり抜ける力の本流は感じる」
 神なんていない、とは言えない。
 自身がそう呼ばれるモノでもある、死人だからだ。
 だが。
「東でなく、どうして北の組織なんだ?」
 西でも、南でもない。北は比較的大人しい裏社会が広がっているはずだ。
「調べるか」
 短髪に白い髪の少年――実年齢はとうに大総統すら超えているが――の彼は、北へ静かに向かうことを決めた。



「フォークくんじゃないけれどもね、私、料理できるようになりたいの」
 クレインは、雨上がりの自宅で、青い寝間着のまま母親に告げた。
「女子力があれば、いい女ってわけでもないけれど」
「我が妻はそのままでも美しい」
「妻?」
 ホムラはいつの間にか、昨日着ていた私服に着替えていた。
「言い間違えよ。よくあるの、この人」
 会って半日も経っていないけれど、とクレインは睨みつける。
 それを満面の笑顔で受け流して、ホムラは食卓につく。
「クライス、しばらく仕事でいないみたい」
「着替えは現地調達するというから、心配はいらないだろうな」
 父親が不満そうな顔で出てくると、ホムラはいやーと笑った。
「昨日はクレインの美点を十は語ってくれてな……いい男だ。クレインが惚れるのもわかる」
「は?」
 低音の怒気を孕んだ声が響いた。
「ふっ、さすがお父様だ。娘さんが素晴らしい方なのはもう神が定めたもの。覆すものなどいない」
「なに変な意気投合してるのよ。てか夜になにしてたの信じらんない」
 目をすわらせて、鬼のような怒気を孕むクレインに、父親も母親もまあまあ、となだめる。
「いい人ってことよ。クレインもいい女になるためには、軍にいてもなれないって思ってるからでしょう?」
「妻には危険な仕事はさせたくない」
 はっきりホムラがクレインより背の高い男に、心配の色を宿して言われて口ごもる。
 なぜ、妻なのか。
 自分が。それがクレインの不思議な部分だった。
「北と東は危険だから、大陸の南の村で暮らそう」
 両親の前。着替える前の格好のままのクレインは、クライスに輪をかけて自分勝手な男を見つめて、開いた口が塞がらなかった。
「えっと……軍はやめようと思ってますけど、今回の事件が終わらないと――けじめが、つかない」
「そうか。なら、犯人を突き止めればいいのだな? 我が友たる妻よ」
「とりあえず、着替えてきなさい、クレイン」
 こほん、と咳払いしてホムラの告白を遮ったのは、父親だった。
「あなた、試すのですか」
 母親が、父親に真剣な瞳を向けて告げる。
「炎の自然神がなぜクレインを妻に選んだのかは未だにわからないが、悪意はないことがよくわかった」
 ホムラは、テレビに夢中になって食卓に座っていた。
「それに、クライスも本当に暗部でやっていくなら、クレインは足枷になりかねん。クレインも、危険な仕事からは足抜けする」
「それぞれが、守りあったことだから。もういい歳ですものね。旅立ちが、近いということね」
 いいきっかけになる。
 両親の思惑など知らず、クライスたちはそれぞれ旅立ちを示唆していた。
 それが仕組まれた死への罠だとしても、気付かないまま。



「クレイン、軍人辞めるの?」
「ほんとう~?」
 晴れ上がった空の下、休憩室で集まった面々に、クレインは努めて明るく笑った。
 クライスは長期の仕事でいないし、カスケードもいない。
 手料理を振る舞うフォークも来ていない。
 それ以外の面々が、目を見開いていた。
「噂では聞いてたが、本当に、今なのか?」
「はい。軍人をやめて、身内だけで結婚式をしようと思ってる、の」
 驚いたのは、メリテェアだった。
「浮いた話がないと思っていましたのに……」
「それは失礼じゃない?」
 でも事実だった。
 まさか半日も話していない男と、結婚すると決めたのは早計な気もするが、軍人を続けていても目標であるメリテェアに届くほどの能力がないのはわかっていた。
 ここにいる、人と同じようになるのは、違う気がした。
 思えば、クライスを追いかけて生きてきた。
「一ヶ月後くらいに、辞めることになってるの」
「転職か?」
 グレンの寂しさが込められた言葉に、頷く。
「といっても、まだ決まってないけれど……」
 そして本当なら、クライスにも直接言いたかった。
 もう、守る必要はないよ、と。
 ホムラのことはおいおい知っていけばいい。
 神様とか言ってたが、そんなことはどうでもいい。
 新しい仕事を見つけて、いい男と結ばれる。
 典型的な幸せな人生だと思う。
「決めたんだね」
 リアが、クレインの目を見る。
「はい。私は、ここでは得られないと思う、新しい人生を生きます」
「クライスには言ったか?」
 ディアの声に、クレインは首を横に振る。
「今は仕事中らしいので、連絡も取れないので……一月後までには戻ってるでしょ、あの馬鹿兄」
 もう、そういうこともないのだろうか。
 そんなことを思いながら、クレインは目を細めた。
「幸せなら、誰も文句はないよ」
 アルベルトに、ブラックが横で頷く。
 ――これから、幸せになる。
 本当だろうか、という不安がよぎる。
 こういう時に限って、馬鹿兄はいないと心細さで指が震える。
「クレイン。決めたのなら、きっと、大丈夫ですわ」
 そっと、手が触れられる。
 全員を代表するように、メリテェアが微笑んだ。
「皆さん、クレインの幸せを願っているのですから」
 ――この時。
 誰かが止めていれば。クライスに伝えていれば。
 たらればの世界だが、そうしていれば、変わったかもしれない未来があった。



 草木もない荒野を、北へ向かって暗部の面々は車一台と、先行するスピードスターの二輪車で走っていた。
 車内はカラオケルーム化しており、クライスは仏頂面でプロの歌手の恐ろしさを知った。
「そーいえばさ、クライス」
「なんだよ」
 ショートケーキ――そういうグループ名の外への軍人広報活動を行う女子たちは、なんの感慨もなく刃物を放った。
「クレインちゃん、軍辞めるって決めたの知ってる?」
 ――それをきっかけに、クライスの調子がだんだんと崩れていく。
 そして、止めとなる一撃は、これからの未来にあるとは、思いもしなかった。
 フォークが旅立つ日に駆けつけられなかったのも、北にある反社会組織への調査があったからで。



 場所は、現代に戻る。
 月夜に自然神が関わることがクレインにあったことに驚きを隠せないツキだった。
「上将のほうは、別件になります」
 和室の天井から、少年の無機質な声が届く。
「北の裏組織は中央司令部の機能を低下させようと、誰かに扇動されて下手に動いていただけだったんですが――」
 キルストゥの少年の声が変わる。
「また、長い話になります」
「すまない、続けてくれ」
 女性の髪を撫でながら、ツキ・キルストゥは弟の親友の過去に耳を傾ける。
 それがどんな類のものであれ、いいことでないことだけはたしかだという確信があった。