クライスの運命の岐路

 荒野を駈ける一台の五人乗りの車と、二輪車を操る少年が蒼天をひたすら北へ走っていく。
「あらゆるものをー」
「百倍でおーしつーけたいぃー」
 車の中はカラオケ大会だった。
「なんの打ち合わせもしないのか、これ」
 クライスは、妹が軍を辞めるという事実を噛みしめる暇もなく、言葉を放つ。
「これで普通に運転してるんだから、アイドルは凄いなー」
 かちゃりとケースに入った銃器を点検しながら、ネームレスが告げた。
「北の軍部に任せないんですか?」
「買収されている可能性がある。前にあったらしいしな……一般人に」
 最後は口の中で転がして、ネームレスは全力で歌うアイドルが運転する車が無事に行くことを願っている。
 スピードスター――本名ではないだろうが――が羨ましい。
 外まで聞こえていてもおかしくはない彼女らは、宣伝用のフリルだらけの衣装をまとっていた。
「クレイン、なんもおれには言ってくれなかったな……」
「シスコンめ」
 ちらっと上官の呟きすら届かないまま、クライスは瞼を伏せていた。
「いや、その、寂しいとか、そういうわけじゃないんです」
「いや寂しくて言ってるだろ。お前らは仲良い兄妹だしな」
 駆け抜ける車内で、ネームレスがにやにやと面白そうな獲物を見つけたみたいに微笑む。
「クレインだったら、どこでもやっていけるだろ。それに、男にはわからないものもあるしな」
「あるんですか?」
 頭の固いクライスに苦笑し、ネームレスは一つ、頭に浮かんだことを打ち明けた。
「妻が、たまに遅く帰ると浮気してるんじゃないかと最近疑い始めてな……」
「先輩が、浮気?」
 想像してみるが、銃器に頬ずりしてる姿しか思い浮かばない。
「そういうもんなんだよ、女は。もうクレインも立派な女だ。年齢なんて関係ないんだ」
「そーそー! 男は狼、女は魔性よ?」
 いつの間にか、アクセル全開のショートケーキたちまで会話に混ざり込んでくる。
「食べられないように、気をつけなくちゃそのうち食べられるわよ?」
「ふふっ、クライスも妹離れの時期が来たのね~面白い~」
「勝手に他人で遊ばないでくれよ……」
『楽しそうだが、そろそろ夕暮れ時だ。村に着く』
 スピードスターの声が無線から響くと、ゆっくり車は速度を落とす。
「はぁあー。クライスいじって遊ぶ予定だったのにー」
「妹の一人や二人、殺せなくちゃ暗部はやっていけないぞ」
 軽口のように言う二人だが、実際にやっていてもおかしくはないとクライスは感じていた。
 先輩はまだ気遣いの面がある。が、他の面々はクライスを使い捨てることに躊躇はしないだろう。
 表側の暗部。それがクライスにあてがわれたもの。
 父親がわけあっての退役軍人であることと、クライス本人の能力が評価されてること。
「ふつうの村だ。先に連絡してあるから、泊まることに不自由はない」
 ネームレスの言葉は、村に入るなり、覆された。



「軍人さん、た、助けてくれー!」
「お、落ち着けよ」
 橙色の影が落ちていく天気の下、車をゆっくり柵が開かれた村へ入れる最中の出来事だった。
「どうか、どうか逮捕でいいから、助けてくれ!」
 車のフロントガラスにひっつきたくなるような腹の出た男は、必死にショートケーキ達を見た。
「撃っちゃう?」
「彼は貴重な証言者なのです、軍人様」
 艷やかで夜に紛れそうな長髪に、白目の部分が金色の目に黒瞳を持つ女性がいた。
 ゆったりとしたワンピースドレスは黄色で、目と同じ色を宿しながら、少女のはずなのに大人びていた。
「あんた」
「事態は、終わりました。――ここにはいない、男のせいで」
 ゆったりと、しかし耳心地はいい女の言葉に、降りた軍人たちは顔を見合わせる。
「どういうことだ?」
「闘争より、死体の状態を確認したほうがよいかと。遠くで光があったと思いましたら、大地震のような揺れに爆発音――」
「そ、そうだ! おれはたまたま外にいたから助かったが、武器も取引の薬物も、全部全部なにかが起きて爆発したんだ!」
「生きてるのは、彼だけか?」
「外回りしてる連中も! お願いだ、殺さないでくれ! 大人しく全部吐くから!」
 ぎゅっとスピードスターにすがりつく。
 まだ少年と言っても――実年齢はともかく――いい彼に、泣きつく大人は、滑稽だった。
 だが、彼は笑わず、表情を消してその真意が違わないことに気づくと、息を吐いた。
「別の組織と抗争があったんじゃないのー?」
「それとも、内通者がいたとかー?」
 ショートケーキの面々が、おかしそうに笑う。
「それならよかった、よかったんだよ! とにかく、明日には調べてみてくれ!」
 正常心を失っている男をスピードスターは暴れる前に昏倒させて抱きかかえる。
「クライス、北司令部から応援を頼む。ここからだと、ヤマさんの――一般人に支配されてた軍人たちが近いだろう」
 スピードスターは頭の中に入っている現場までの地図を分析する。
 現場を見るにも、距離があるのと、長旅で疲れた疲労を取るためここで一泊することも視野に入れた。
「とりあえず、こいつが正気になるまでは話は聞けないな」
「そっかーー! ま、広報だけだとろくなことできないしー、援軍頼むと大事になっちゃうけれど、現場検証は苦手だものねー」
「そうだな……」
 ちらっと、ネームレスはなにか言いたそうなクライスを見る。
 視線だけで、言うべきだと目で促した。
「あの時の爆発犯の仕業、とは考えられませんか?」
「クライス、それはない」
 スピードスターがきっぱり可能性を却下した。
「ツキの起こしたのとは似てるが、中にいたのは犯罪者だけだろ?」
「過去視でー、見えないのー?」
「近隣の村に地震だと思わせるほどの、建物そのものの爆発を、一人でするのは難しい。まあ、例外はあるが、あの人ならこんなバカみたいなことはしない」
 はっきり言い切り、クライスもしぶしぶ頷いた。
「とりあえず~、いい宿に行かない?」
「運転でへろへろ~」
「いや、仕事しろよ広報というか宣伝班……」
 クライスが呆れて声を漏らす。
「下手な爆弾じゃないな。まあ、あの男が嘘言ってなければ、だが」
「昼間、遠くても煙も見えなかったしねー」
 二人の言葉に、スピードスターもヘルメットを抱いて頷いた。
「――神が、花嫁を捜している、という話は知ってますか?」
「なんのことです?」
 ワンピース姿の女に問われて、クライスは目をしばたかせる。
 すると、人の気配が消えていく。
 顔を出していた村人たちが恐ろしいものでも見るように姿を隠す。
「伝承?」
「外の方々にはあまり知られてはいけないのですが、事が事なので、お話しましょう」
 そうして、長い黒髪に金の瞳の女は、手を胸元に当てると、語る。
 驚くクライスだったが、他の面々はなにが来てもおかしくないと笑っていた。
 その様子もおかしいのだが、歴戦の死地を乗り越えてきた者なのだ。
 まるで巫女のように、女は口を開いた。
「この地に眠る神 ありけり。
 偽りの平穏 ありける。
 しかし 異国より来たりし
 星の御使いと 祓いし者たち
 現れるとき
 世界ののいず 強まり
 眠れる神 自然の力を携えて
 我らを救わん。」
 目を伏せて、黄金の白目部分と黒色の目玉の女は告げ終える。
 まるで神に遣わされた預言者のように。
「これが、この地方に伝わる自然神信仰者がそらんじるほど覚えさせられる伝承、です」
「シーザライズみたいなもの?」
「彼は違うだろうな。もっと、根源的なところで世界とリンクしてる」
 スピードスターの言葉に、クライスは彼に視線とともに理解不能な言葉を投げつける。
 出会った頃から、成長しない少年。
 だが、暗部の実行部隊にとっては、古株だとネームレスが言っている男なので、心から驚きもしなかった。
「一人、自然神は知っているが……炎使い、だろうな。たぶんいるとすれば」
「えー! 誰?」
「スピードスターだけずーるいー」
「ええいうっとおしいなこの小娘ら!」
 そんな軍人たちのやり取りを、女が母親のような視線で見つめた。
 もう夜になる。風にも柔らかさが消えていく。
「あなたも、異能力持ちなのでしょう? 落ち着きすぎている」
 彼らの会話には入らず、まっすぐネームレスだけが女性に切り込んだ。
「――一度だけ、その場の過去を実体験できる、というだけの異能です」
「隠さないんだな」
 クライスの感想に、彼女は迷いなく頷く。
「幼い頃、使ってしまった、から」
 もう使えない、と彼女は静かに俯いた。動作の一つ一つが、艷やかだった。
「宿泊はお決まりですか?そうでなければ――軍人様」
「なにを見たんだ?」
「いえ。この件とも、軍人様方とも関係のない、この土地の過去です」
「エルニーニャ王国の過去ってことか?」
 クライスが食いつくと、彼女はクライスの瞳をじっと見る。
「天使様に似ておいでの方。その心の隙間は、ゆめゆめ利用されぬように」
 ネームレスは眉をひそめる。
「――本当のことを言っているのか?」
 かすかに、彼女は首を傾げる。
 夜の闇が、詳しい表情をかき消していた。
「名無しを名乗る方。詮索は無粋なことです」
「つい最近の過去を見るよう言われたんでしょー?」
「嘘はいけないなー? 捕まえちゃうぞー!」
「ショートケーキら、決めつけるのは」
 クライスが嫉妬からか、と感じていたが、彼女らはアイドルだ。方向性がもともと違う美女だから、魅了されなかった。
「本当は、過去ならいくらでも見られるのでしょうー?」
「ここに軍人の一人も連れてきてないのは、おかしいよー?」
「そうで、しょうか?」
「ええ。どんな小さい村でさえ、懐柔でもしてなかったら、軍は暇でもないから駐在はしてるっしょー」
「そこまでにしておけ……と言いたいが、一理あるな」
 スピードスターは、目を尖らせて女を訝しげに見つめる。
「でも、忠告は本当、ですよ」
 目を据えて、女性は胸元に手を当てる。
「過去視の異能者。でも、そこから未来を言い当てるのは簡単でしょ?」
「物事は過去、現在、未来と続いているのだからー」
 ショートケーキたちがくすくすと笑う。女の心理をえぐり出すために。
「すまない。機嫌を損ねたか?」
「いえ。正しく言い当てているので、否定は、できません」
 女性は長い前髪を振りながら、ゆっくり目を閉じた。
「ですが、未来が本当にそうなるかは言い切れません。未来は、あくまで今の積み重ね、ですから」
「嘘を吐いたことは認めるんだな」
 金髪の少年の言葉に、彼女は首を引き、その金の目を輝かせた。
「もう隠していることはないな?」
 ネームレスが慎重に彼女が妙な真似をしないか、腰の拳銃に指を触れさせる。
「ありませんと言って、信じていただけるのでしたら」
「ああ。じゃあ――」
「ええ、そうです、ね」
 開いた金色の目に、かすかに恐怖を覚えるクライスは、目を逸らす。
「その目、生まれつきですか?」
 と、ネームレスが訝しげに問うた。
 女は上半身だけ振り返ると、異質すぎる目を隠す仕草もなく、笑う。
「あり得ない目だから、ついな。――似た人を知っているから、今日の最後に、確認だけしたい」
「嘘は、通じそうに、ありませんね。これは、後天的、です。そして、それから過去視が使えるように、なりました」
 ふわりと、ワンピースのスカートを翻すと、これ以上言うことはないと、彼女は去っていく。
「――行くぞ」
「同感だな」
 スピードスターとネームレスは、同じ答えを出していた。
「ここは安全じゃない。わからないか、クライス」
「え、ええ。でも、夜に動くのは――」
「ああ、危険だ。でも、あの目は過去視以外にもなんでも使えるだろうさ。スピードスターは知ってたのか」
「ネームレス、お前も知っていたことに驚いたよ。善は急げ、だ。ショートケーキら、行くぞ」
「はーい」
 ショートケーキたちは文句の一つも言わない。
 まるでそうなることがわかっていたかのようだ。
「怒らないのか?」
 あまりにいつもと違う反応に、二人は双子のように同時に振り返った。
「実は、もともと期待してなくてー」
「ちゃんとおにぎり持ってきましたー!」
「あと犯罪者も連れてきてるのな」
 スピードスターより背は高いが、彼は肩に引っ掛けるように引きずりながら歩いた。
「せっかくの生き証人を置いておくと、なにがあるかわからないからな。連れて歩いたほうがいい」
「車五人乗りだからな。ちょうど後部座席に座らせられる」
 嬉しげなネームレスに、狭くなるなと気を失った犯罪者の男を見下ろしてクライスは吐息を吐いた。
「北の軍人たちはどうするのー?」
「女に任せればいい」
 とにかく、スピードスターとネームレスはこの村から早く立ち去りたかった。
 ろくなことが起こらない。
 それを経験で察していたからだ。
「急ぐぞ。先に行く」
 そうして、ぞろぞろと車両の置いてある入口の門へ、駆け足で向かう。
「――知っていたのですか」
 出入り口に、過去視のできる黒と金の目があまりにも似合う美女が、黄色い明かりに照らされて、いつ先回りしたのか、門の前に立っていた。
「ああ。あんたは、死ななきゃならない」
「やっと、わかってくれる方々がいらした、のね」
 ふっと、嬉しそうにワンピースをつまみ、頭を下げて優雅におじぎをして、彼女は手を離す。
「さあ、殺せるなら殺してみて、ください」
「嫌だね」
 言うが早いか、スピードスターたちの行動は早かった。
 車に生き証人を押し込むとまるで映画のアクションシーンのようにクライスたちは彼女から離れる。
 スピードスターと呼ばれる少年は、この大陸では本来ない愛車で彼女の横を通り抜ける。
 門は開いていた。そこには驚く男たちがいたが、見たことのない移動手段に固まっていた。
「いっくわよー!」
 車にすでに乗り込んでいたショートケーキの半身が勢いよくペダルを踏む。
 遮ろうとするワンピースの彼女を的確な操作で避けると、そのままアクセルを踏み込む。
「口は閉じててねー」
 言うが早いか、門を通り過ぎると、軍用の車は先をゆくスピードスターのバイクに沿って、目的地へとまっすぐ向かって行く。
「場所は、わかって、るんだな?」
「スピードスターが知ってるはず。こっちも無線で北の連中に知らせないとねー」
 百に近いスピードは、スピードスターも同様に出していた。
「あいつ、疲れ知らずよねー」
「あーあ。異能力者には極力関わりたくないのにねー」
 ざんね~んとショートケーキの二人は笑う。
「証拠隠滅される前に、中央で押さえちゃいましょう」
 そうして、彼らは走っていく。
 舗装のない道を、軍用車は土煙を上げて爆走する。
 がたんがたんと悲鳴も上げている車が止まったのは、一時間程度たってからだった。
「帰り大丈夫なのか……?」
「ガソリンなら積んであるから問題ないない!」
 きらーんとアイドル衣装でポーズを決めるショートケーキは、クライスぐらいしか突っ込みがいなかった。
 ネームレスは、暗い中銃器を操っている。
「さーて、なにがでーるかな?」
 車を徐々にブレーキで止めた先は、建物だった場所だ。
「これは――」
「酷いな」
 車のライトで照らしたのは、何本も、建物の模型のような柱だけだった。
 煙もなく、鉄骨と焼死体らしき人の形だけが残っている。
 クライスは思わず、口元を押さえた。嘔吐感に耐えきり、それを見た。
「ふーん?」
「地震みたいだったってことは、爆弾かなにかに引火したか、かな?」
 見慣れた風景だと言わんばかりに、ショートケーキの二人は肉も焼けた悪臭の中を懐中電灯頼りに入っていく。
「クライス、合わせて行こうと無理するな」
「あの二人、拷問後は焼死体にする迷惑者で有名だから、慣れてるんだ」
「拷問後にする必要、あるんですか?」
 クライスの問いに、ネームレスは眉間にしわを寄せた。
「暗部の証拠隠滅のためだ。だから、クライスも必要以上に彼女たちを敵に回す発言はするな」
「はい……」
「この中で一番拷問で人殺してるの、あいつらだからな」
「拷問――禁止されているのでは?」
 スピードスターは、額に手を当てて吐息をついた。
「まともなやつが、暗部で広報アイドルで平然と拷問までしないと言えるか?」
 それに、とスピードスターはひくひくと煮え湯を飲まされ続けたように、青筋を立てている。
「いい証拠も、あいつらペアがわざとと思えるような手段で消し炭にしていく。今すぐ軍から追い出すべきだと思う」
「ああ、あれね……」
 ネームレスが思い当たる節に、目を伏せる。
「し、しかし、こんなにでかい建物が焼けたなら、遠目でも煙が見えておかしくないと思うんだがな」
 気を取り直して、ネームレスの言に、クライスも頷く。
「かなりの高温で焼いたんだろ。――常軌を逸しているという点では、ショートケーキと同じだ。手段なら、どこぞの誰かならできそうだが」
「シーザライズのことですか?」
「前に爆弾を氷漬けにしたとか。煙を出さずに建物一つ程度、焼けさせることもあるんじゃないか?」
 スピードスターは二階が焼け落ちた建物を見て、クライスたちに問いかける。
 それにいち早く反応したのは、金髪の少年、クライスだった。
 車の近くで、三人はきゃっきゃしているこれこそどうにかすべき女たちを見つめて、言う。
「今、彼は北にはいないです。数日前から中央司令部の依頼で反対の南に行ってるらしいです」
「クライスが言うなら、間違いはないな」
「どうも、裏を取りに南の国に行くと教えてくれましたよ。傭兵ですから、まあ、なにしてても金さえあればなんでもすると思いますから」
「クライスは、シーザライズのことは詳しいんだな」
「フォーク……友人と仲良しでしたから」
「なら、あと可能性があるのはあの女か、自然神か」
 スピードスターの言葉に、二人は思考停止した。
「いま、なんと?」
「あの女」
「いえ、自然神って」
 冷水を浴びたと目を見開くクライスに、スピードスターが指を立てた。
「炎を司る自然神だ。水は東に、地はレジーナに、風は他大陸にいるはずだ。消去法でも、そもそも人が百人は入れそうな建物を全焼させれるのは、そいつくらいだ」
 女はどうかしらんがな、と付け加えてヘルメットを撫でる。
「スピードスターも、ついに頭おかしくなったか?」
「馬鹿か。冷静に考えてみろ。一瞬で建物を焼くなんて真似、魔法ぐらいしかできないし、そういう異能力者なんて少数だ」
 ふつうは出会うこと自体が奇跡だが、と付け加えて、スピードスターは目を伏せた。
「うーん、みんなー焼死体しかなかったし、裏社会の人かも判断つかなかったから、あの捕虜さんの言葉を裏付けするのが自然って感じー」
 建物内から戻ってきた女子二人がつまらなさそうに報告しながら戻る。
「あの目が金色の女のせいってのはないのか?」
「ネームレス、それはわからないわー」
 会って半日どころか数時間の、異能力者のことなど知るはずがない、と二人は語る。
 その通りなので、クライスたちは頷くしかなかった。
「問題はなぜ燃やしたかっていう、動機かなー?」
「ここでなにをしてたかってことを調べるほうがいいねー」
「そうだな」
 頷くクライスを見て、スピードスターは口を開く。
「仕方がない。北の応援に任せよう。他に近くに村や町はない、か」
「にしても、クレインちゃん、ほんとに辞めるのー?」
 ショートケーキの一人が、何事もなかったと言うように車に乗り込みながら告げる。
 目を見開いたクライスは、喉に物が詰まったかのように、声を紡げなかった。
「妹のこと、気になるのか?」
 唐突に話題が自分のことになり、クライスは頭の中が真っ白になる。
「え、あ、まぁ」
「守られるほど、彼女は弱くない。入ったばかりならともかく、今は――立派な、戦力だ」
 ネームレスの言葉に、クライスは目を背ける。
「事実を受け止める。クライスに足りないのは、それだ」
「ネームレスもよく言うねー」
「自分だって隠してるのにー」
 茶化す二人のアイドルたちを見つめながら、クライスはそうか、と思う。
「でも、彼女自身が決めたことなら、軍は代わりになる人はいっぱいいる。軍事国家は楽だよな」
 後半は、レジーナどころか他大陸出身ゆえのネームレスの独り言で風がさらっていったが。
 クレインは巣立つ。それを見送るのは、自分の――クライスの役目だ。
 でも、そうしたら。なぜ自分は、この軍にいるのか。
 急に胸の中央に穴が空いたような感触に、思わず胸元の制服を握っていた。
 ちゃんと、心臓があるのを確かめるようだった。



「クレインも、兄離れの時期が来たのねぇ」
 母親は光差すリビングで、客人たるホムラを見つめた。
 彼はテレビを見つめながら、近寄ってくる母親がにやにやと笑みを浮かべているのを確認する。
「真面目な人が好み?」
「ははっ、一目みて惚れたんです」
 まるで少女漫画か、と思いつつ、父親も似たようなものだったな、と遠い目をした。
 クレインも好いてるようだし、あと家族のうちクライスがどう思うか、と考えていた。
「お兄さんがいるのですね」
「そうそう――って、あら? 北で反社会組織のアジトが全焼? 速報なんてさすが国家チャンネル」
 民間が放送するものとは違い、重要なニュースや地域ごとのものも流れていく。
 ホムラは内心、早かったな、と思う。
「嫌なニュースですね」
 一瞬で、煙すら立てずに、レジーナに害なす行為を扇動していた組織だ。
 人の命など、紙切れとしか思っていないホムラ――自然神の彼は勘違いでさらわれた。
 その時のことを数秒で思い出し、追い払った。
 否定しても殺されそうになり、ため息一つで脱出するために高熱を建物に放った。
 太陽のような熱の中、悲鳴も上がらなかった。
 ただ一人、ホムラだけが服の裾すら燃えることなく外へ出た。
 熱気は彼を出口へ進ませた。
「やりすぎたな」
 ニュースでは、北司令部の人間が焼死体ばかりだと言っていた。
「あら、最近は火事が多くて不安ね」
「火の扱いは注意しないとなりませんからね。でないと、この時期は火事起こりやすいですから」
 ホムラはなんの感慨もなく告げて、今度は怒ったからといって煙が出る火事程度にしようと心に決めた。
「クレインが帰ってきたぞ」
「お帰りなさい。今日は怪我とかしていない?」
「うん、大丈夫。心配かけてごめんなさい」
 椅子に座って、テレビを見ていた客人を見て、クレインは目を丸くする。
 あらあらという母親の動きを止めると、クレインとクライスの父親は鋭い目をして告げた。
「知り合いから通信が来た」
 さっと、母親が困ったように眉根を寄せ、用事を思い出した、とクレインを連れて二階へ上がる。
 それをホムラは昏い目で追いつつ、父親を見つめる。
「奪う、と言ったら?」
 ニュースを消し、ホムラは赤毛を撫でてにやける。
「本気で好きなのは知っている。だが、あれはきみが起こしたことだろう?」
「軍人のためだ」
「中にはさらわれた者もいたはずだ。焼死体では、確かめようもない」
「いくらなんでも無理があるんじゃないかな。距離が離れすぎてる。もしかして、娘さんのためにレジーナの道端まで一瞬で移動したとでも?」
 肩をすくめるホムラに、父親は目を閉じた。
「クレインを助けてくれたこと、好いてくれたこと、それは感謝する」
 呟いて、父親は言葉を放つ。
「だが、犯罪者の妻にはさせられない」
「証拠はないでしょう? それに、距離的に」
「車を運転するだけなら免許はいらない」
 そもそも戸籍もなにもない存在だ、と父親は知っていた。
「――いえ、カーテンコールでもなしに、自身の戸籍くらいでっちあげられますよ」
 ホムラはにやりと笑う。
「妻を捜して、やっと見つけた人だ。あなたと過ごした時間も、無駄にしたくない」
 宣戦布告だと父親は思うも、勝ち目はないのはわかっていた。
「クレインの行動に任せる」
「え?」
「決めるのは、あの子だ。それで、今後のことは決めるといい」
 冷たく言い放ったように聞こえながらも、愛情を受け止めた父親の言葉だった。
「お話は、聞きました」
「お前っ、こういう時は聞かないと約束しただろう?」
「お母さんを責めないで。私が無理言ったの」
 母親はクレインを抱きしめながら、ゆっくり階段を降りた。
「いいのか?」
 逆にホムラのほうが混乱した。
「駄目といっても、駆け落ちしても、二人の問題だ。式は認めないが、付き合うのを邪魔はしない」
「――もっと抵抗されると、思っていました」
「金は出さん。代わりに口も出さん」
「全く、あなたったら」
 静観していた母親が、すべてを承知の上で微笑みをこぼす。
「昔から、この人は疑い深くて。でも、今のは最大の賛辞ですよ」
 母親が耳元で囁くと、ホムラはクレインの姿を脳裏に思い浮かべる。
「そうなるよう、努力します」
 どこか、包容される気分にさせられるクレインたちの母親に、苦手意識をホムラは覚えていた。



「クレインも、年頃ってやつかな」
 あの日から数日後。
 空が茜色に染まる時間帯に、レジーナにある軍の中央司令部にクライスはいた。
「誰が相手なんだろうな」
「帰らないとわからない、んですが」
 ネームレスの茶髪が、オレンジに見えて、クライスは自分の金髪も同じ色に染まっているだろうと思う。
「調べても税金の無駄、だろうな」
「死体があればいいほう、と連絡が来てましたね」
 上司の名無しを名乗る青年に、クライスは上の空だった。
 妹のことで、頭がいっぱいだった。
「重度だな」
「誰とも知らない男が、家にいるって親父から連絡受けたら流石に……」
「ふっ、シスコンここに極めリってか」
「べっつにおれは、クレインが幸せになるなら、どんな人でもいいけれど」
 立ち止まって、武器の入ったケースを持つネームレスの背中に告げる。
 彼は振り向きもせず、静かに告げる。
「もう、暗部にいるのはやめて、ふつうの軍人か軍を辞めていいと思うぞ、クライス」
 息の詰まるほど、真剣な口調だった。
「もうお前の守る者は、国じゃない。寂しくはあるが――もうこれ以上裏に踏み込めば、取り返しがつかないと思うから」
 クライスの背がぞっとするほど、淡々とした言葉だった。
 顔を見ていないのに、機械仕掛けの人形のような、冷めた音。
 そこにまだ、クライスをおもんばかる気配があるから、息ができる。
「お前は運良く、インフェリアと縁がある。表に完全に戻ることは他の暗部の連中より楽だ」
「じゃ、じゃあ。逆に聞きますけれど、どうして先輩は、暗部にいるんですか?」
「人を探しているんだ。もう、会えないだろうけれど、それでも機械から人にしてくれた恩人を、な」
 昇格を拒否し続けて、前線にいることは聞いて知っていた。
 だが。
 その過去は、クライスは知らなかった。教えるほどの仲ではないと、言われた気がした。
 さあっと、血の気が引いていく。
「どう、されたのですか?」
 不意に、鈴の音を転がしたような声がした。
 ネームレスは振り返ると、軍人には似合わない、フリル満載の赤毛の少女が、クライスの肩を支えていた。
「――あなたは、どうしてこんなところにいるんですか?」
 ネームレスは口調を変える。
 彼女の後ろには、上将がいた。
「私の婚約者だからな」
 ――それが、出会い。



「クライスが情緒不安定、か」
「相談できる相手の渾身の告白の前に、出会ってしまった――と報告を受けてます」
 月が、名と同じ彼は、しばし目を閉じる。
「キルストゥの青として、命令する」
 そもそも、クライスと最初に出会ったのは、自分だ。
「フォークもその頃は忙しかったんだろう?」
「シーザライズが帰ってきて、いろいろ家と商店街などを駆け回っていたそうです」
「あいつ、意外と抱え込むからな」
 なら。
「きみが、クライスを護衛してくれ。こっちは、別の者に任せる。クライスは、変な予言も受けた上、悩んでる。なにをするかわからないからこそ、頼む」
 しばし、キルストゥの少年はなぜ、と嫉妬した。
 が、早い思考回路は、目を見開き、頷く。
 キルストゥの青年は、自分の実力を認めてくれた上で、危険なことが起こり得ると危惧した。
 妹がいなくとも、弟君の友さえいれば、支えるものがあった。
 消えていく存在理由。それは指名絵されたキルストゥの自身は、理解できた。
「承りました、キルストゥ様」
「クライスと、殺し合いはしないでくれよ」
 冗談で言ったが、彼は本気と受け取った。
 かくして夜は更けていく。
 同じじゃない空が、運命の糸の絡まりを受け止めていく。
 ――さあ。始めよう。
 ――天使がラッパを鳴らすために。