「ほ、本当に……受かった?」
オレは、昼間の晴天の下、番号が書かれた紙を見て、震えていた。
朝早くに家を出たので、最前列で入隊のための試験合格発表を見に来た次第た。
「良かったねー」
と、フォアさんが人混みの中、笑みを浮かべた。
ローブ姿がこの中では異質ではあるものの、そこまで浮いてない。
周囲は中高生みたいな人ばかりでちょっと恥ずかしいが。
「これからが大変だよ、ツキさん」
「だなぁ。人探しって初めてだから」
「いや、軍は軍隊だから、まず試験通ってもその後基礎訓練とかいろいろあるらしいよ」
「……」
「もしかして、考えてなかった?」
フォアの呆れ顔に、オレは答えられない。
人探しを目的にしていたし、入隊試験も意外と運が良かったのか、簡単なテストで済んだせいだろう。
「さすがに、訓練ってらくじゃないよね?」
フォアさんは目をそらす。
「たぶん、軍人になる理由が人探しって人、ここではツキさんだけだと断言したい」
「いや、だって……」
「他に受付で見つけてもらうとかあったでしょうに……」
「それだけ、じゃないから」
オレは断言して、母さんを思い浮かべる。
そして、たまに顔を出してきた傭兵の人々を、思い浮かべる。
「ま、受かるってことは、ツキさんにとっても良いことに繋がると思うよ」
「そうかぁ?」
「いや、不真面目というか、情けないから絶対他の軍人にその理由は言っちゃだめだよ」
フォアがぼそぼそと忠告してくる。
顎を引くと、ならいいや、と彼は合格を知らせる看板を見つめた。
「家が軍から近いけれど、しばらくは寮生活だからね」
「えっ」
「シーザライズがね、元々軍人やってたんだ。で、三ヶ月間基礎訓練してって感じ。それから適性によって分かれるらしい」
よく知らないけど、とフォアはんーと、空を見ながら告げた。
「まあ、頑張って!」
ひまわりのような満面の笑みを浮かべた彼に、オレは言葉を失っていた。
いや、まあ、調べてなかったといえば嘘になるし、テレビで広告してたのも知ってたけど。
「ここは、そこまで……じゃ、ないよな?」
そうそうと降り注ぐ日光に、祈りを込めてオレは呟いた。
資料室。
エルニーニャ軍中央司令部の中でも、窓際とも言えるそこは、アナログの紙資料が溢れかえっていた。
「ふーん。ツキ・キルアウェートか」
朝陽を浴びながら、おれは目を閉じる。
弟の名前、フォーク・キルアウェート。
茶髪の少年で、両親を他国の軍人に殺された被害者、簡単に言えばそうだ。
だが、姓が変更されている。
「キルストゥは、ある国では賞金首だよん、クライスくんー」
くるくると髪をいじりながら、媚びた声音――声優のような声で、軍服の少女は言った。
「姓の変更は親の死が原因だし、別におかしいことではないん、だ・け・ど?」
並の男なら一発で堕落へ誘う声に、クライスはいらついて振り返る。
「ショートケーキ、お前らなんでここにいるんだ!」
広告課の中でも軍内外の広告で、ラジオ・テレビなど軍人の良さと国への貢献度をアピールする狙いで組まれた『ショートケーキ』という偶像の女子らは、妖艶に目を細めた。
「名無しくんから頼まれて」
「クライスくんの、監視ー」
上官の名を耳にし、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「あの時、クライスくん、妹さんと近くにいたんだもんね」
「なんで、知ってる?」
クレイン――妹であり、事務系の仕事方面を担当している愛しい家族を思い浮かべる。
「だめだよ、こういう時はいやー、手元が滑ってここにいますーって言わなきゃ」
「じゃないと、名無しくんは騙せても、あの方は騙せない。正直すぎるのも考えものね」
姉妹のように口ずさむ二人に、おれは口を閉ざした。
「キルストゥのことはよく知らないけど、事件に巻き込まれた兄がなぜ今頃になって軍に入ったか。気になるんだー」
「案外、たいした理由ないと思うけど」
「お前らには、わからないさ」
あの時、悪寒がした。
泣いていたローブ姿の男。
抱かれていた少年の目に宿っていたのは、底なしの、無だ。
泣いてさえいなかったあの子ではなく、兄が来た。
「……試してもお前達は困らないだろう?」
「えーと、殺しはなしで」
「入隊させたんだから、使えるまで馬車車のように働いてもらう予定なんだけどね」
知ってて、合格させたのか。
「上の考えてることはわからないからねー」
「ああ怖い怖い。こんな話、してなかったって名無しくんには言っておくわ」
悪魔的な絵になる二人に、おれは感謝すべきか余計なことはするなと言うべきか迷う。
その間に、二人はさっさと姿を消してしまった。
「あいつら……」
嘘は言わない連中だ。
独断でツキ・キルアウェートを試しても、文句は言われまい。
「――国に仇なすものなら、芽は刈り取っておくに限る」
おれはそう告げると、作戦を頭の中で練り上げた。
「今更学生服って、緊張するなぁ」
正規の軍服をまとって、オレは色とりどりの髪の先輩たちを見ていた。
金髪の女の子も結構いる。
……ギャンブルの町で、アイスが手軽に挨拶していたのを思い浮かべる。
今は自由時間。
曹長、っていってもどれだけ偉いのか、さっぱりわからん。
「うーん、金髪の人……あちこちにいるし、片っ端から声かけてナンパ男と思われるのもなんか嫌だし……」
しかも、入隊してもう任務とかついてる人だろう。
いかに浅はかな考えで入隊した――いや、入れたな、とオレは反省する。
そりゃあフォアも呆れるわな。
「リアさん、さすがですね」
「偶然よ。それに、治安維持も軍人の仕事でしょう?」
「――あ」
なんか、人垣ができている。
金髪の女性。
なにより、聞こえてくる会話が――。
「学生の子が襲われてたのを助けただけ。彼、大丈夫だといいんだけれど」
「事情聴取で賭けに負けて憂さ晴らししようとしてたんだろ? 自業自得だ」
「もう二度とそういうこと出来ないように躾しましたしー」
四人の男女の話に、オレは口をぱくぱくしていた。
今、行くしかない。
こんな天啓のようなタイミング、もうないかもしれない!
「あの!」
立ち去ろうとしていた彼らの背中――いや、金髪の女性に向けて、なんだけど。
不思議そうな目で、四人の瞳がオレを射抜く。
う、けっこう怖い。
なんというか、軍人になるなと言った、母さんみたいな目をしている。
人を、殺したことがある人の目というか。
アイスの関係で、そういう人の目は慣れてると思っていたが、決意が違う、覚悟が違う。
けれども、オレだって少しは成長してるはずなんだ。
気圧されちゃ、ここではやっていけない。
深呼吸して、オレは、賑やかな視線の的になりながら。
「あの、その学生、きっとオレの弟なんです」
他の三人の顔を極力見ずに、金髪の女性の顔だけ見る。
驚きに瞳が開いている。
「だから、ありがとうございます。助けてくれて」
そう、これさえ言えれば、もう軍にいる必要はない。
ないのだが――それでいいのか、と視線が刺さる。
「そうだったのね」
ふわりと、言葉の質が、羽毛のように変わる。
「今は、無事なのかな」
「あ、はい、護衛もいるので大丈夫だと思います」
「なら良かった。ところで」
すっと、視線がオレの胸元に吸い込まれる。
「あなた、名前は?」
「えっと、ツキ・キルアウェートです!」
「うん、覚えたわ。そっちの子は? 軍人じゃないみたいだけど」
言われて、オレは振り返る。
「え?」
「ここは一般人も入れるんだよ、ツキ」
「お、おおおおにいちゃんがぶぶぶぶれいなのはお許しくださいいいいい」
めっちゃくちゃに緊張して、アホ毛から足先まで震えている弟がいた。
「ふふ、面白いわね、あなたたち」
「あ、こっちは弟のフォーク・キルアウェートです。で、こっちが」
「傭兵のシーザライズだ。ったく、フォアめ逃げやがって」
ちっと舌打ちすると、シーザライズはフォークの頭に手を置く。
「ほら、いつまでも緊張するな。入る前まで殺気振りまいてたくせに」
「だだ、だって、皆制服姿で……思ってたのと違ってて……」
「わたしはリア・マクラミー。学校はどうしたの? フォークくん」
びくっとフォークが震える。
「あー、もう昔、でもないか。軍人嫌いなんだよ、こいつ」
シーザライズは横目でどうにかしろと振ってくる。
いや、無理。
「とりあえず、フォーク。この人で合ってるか?」
「う、うん、いえはい、あの時は助けていただき、ありがとうございました」
ペコリ、と最敬礼で頭を下げるフォーク。
なんか、周囲の目が痛い。
なぜだろう。
「どうかしましたの?」
不意に、綺麗な声が届いた。
オレが顔を上げると、リアさんたちの向こう側、同じく金髪にウェーブをかけた少女が目に入った。
「リルリア准将!」
「お構いなく。あら、場を荒らしてしまったかしら?」
お姫様オーラが半端ない少女は、ふわりと微笑んだ。
「皆さん、そろそろ休憩は終わりです。そしてそちらの方」
「あ、用件は終わったので、出ていきますよ」
「……そう、でしたか」
何か言いたげな、けれどもそれを押し殺したリルリアさんは、オレを見る。
「訓練、頑張ってくださいね」
ぽんとオレの肩を撫でる。
「フォーク、帰るぞ」
「は、はいっ!」
ばっと顔を上げると、フォークがシーザライズに連れられて一般人用の出口へと向かう。
それを見届けて、オレは促されるように、弟たちと反対側――訓練場へと向かったのだった。
夜の空は、曇っていた。
「んー」
寝室でぱたぱたとベッドに座りながら、ぼくはフォアさんと向き合っていた。
「お兄ちゃん、訓練終わるまで寮だっていうから、ぼく心配だな」
「ツキさんは運が劇的にいいから、心配することはないよ、フォークくん」
と、フォアさんがお兄ちゃんの置物を触りながら言った。
「なんか、嫌な予感がするし……」
「フォークくんも、そう思うならきっと一般人のぼくには感じない何かが起こるのかもね」
「フォアさん、一般人?」
なんとなく、違和感を覚える。
「完全に人間になってるからね。そういう意味で、未来予知も過去視もできない。直感も下手だし」
「ぼくの勘、そんなに当たらないよ」
「今はそうなだけ。ぼくが会った頃のきみは、――激情に任せて一人で悲しんで、人を殺めすぎたから」
囁かに、でも届いた言葉が、おかしい。
ぼくが、一人?
確かに、お兄ちゃんがいなかったら、きっとすごく寂しい思いをしたと思うけど。
でも――なんとなく。
かすかな可能性だけど。
フォアさんがここにいる理由だけど。
お父さんたちが殺された時、ぼくは何を思っていただろうか。
抱きしめてくれて、泣いてくれたから、ぼくは今ここにいる。
そうでなかったら?
あの時湧き上がった感情を思い出すと、なんだか自分が自分でないみたいな気がして、フォアさんを見る。
「フォアさんは――」
「恩返し」
聞こうとしたことを先に返されて、ぼくはうう、と言葉を失う。
「シーザライズにも感謝しないとだめだよ。彼がいたからこそ、この奇跡は起こった」
まあ、レリアの件がなければ、フォークくん一家はここにいないけどね、と苦笑される。
「レリアさんって、王族に」
「家族を殺された人。家で待っていた魔――『神』にそそのかされて、王族を殺しまくった女の子だよ」
「えっ、女の子なのに、そんなことできたの?」
「キルストゥには二人にそれぞれ役割がある。それも、偶然、特定の性質を持つ呪いみたいな祝福が」
フォアさんは、お兄ちゃんの置物を大切になでながら、ぼくに告げた。
「赤の怨念を殺害、致命傷を負わせることで怨念を身体ごと祓う者。逆に、青の怨念だけを祝詞で還すことでその肉体をも消失させる者。どちらも、世界を支えるのには大切な役割だった」
「ぼくは、そんなの」
「うん。関係ないって言いたいだろうけど、きっと心当たりはあるよね」
軍人さんがたくさんいたあの場では感じなかった。
でも、ぼくは、助けてくれた軍人さんに最初会った時、どう思っていただろうか。
それを考えると、フォアさんの言いたいことが、わかってきた。
ぼくは、体育が得意だ。
ぼくは――。
「赤、なの?」
「うん」
荒唐無稽な話にも聞こえる。
でも、そう考えると、フォアさんが話していたこと、レリアさんが怒りに任せて王族を殺していたこと、なんとなく、繋がる気がした。
「止められなかったの?」
残酷な問いが、口から漏れた。
「邪魔されちゃった」
悔しげな声に、ぼくは目を丸くした。
「ぼく、フォアはね、今はただの人間なんだ。シーザライズが人間にしてくれているから」
「あ……」
「人間じゃない状態で、干渉はできなかった。今回、この世界では」
「じゃあ、でも」
「フォアは世界の魂。と同時に、人間だったフォファーという人の魂でもあった。分離したけどね」
遠き亡き友を傷むように、フォアさんは目を伏せた。
「きみのお兄さんは、この子を助けてくれたし、大事にしてくれた。助ける理由は、それだけだったんだけどね」
「今は、それ以上の、何かがあるの?」
「うん! しばらくはツキさん帰ってこれないだろうけれども、ぼくらが側にいるから」
「……うん」
でも、守られてばかりでよいのか?
赤。キルストゥの赤の話は、お母さんもしてた時があった気がする。
最初は身体能力が低くても、魔である怨念の具現化した『神』を殺すためならばどこまでも強くなる、ファンタジーの中の人。
誰がなるかは決まっておらず、けれども必ず代替わりし、赤と青は共にある運命だと言ってた。
映画かなんかの宣伝みたいだと思っていたけれど。
「お兄ちゃんは、赤じゃないなら、青、なの?」
「たぶんね。運の良すぎさはちょっとわからないけれど、まだ力は出ていない。ま、気にすることじゃないけどね」
そう言って苦笑したフォアさんは、そろそろ寝ようとシーツにくるまる。
「置物、一緒に寝るの?」
それは、お兄ちゃんが子供の時から一緒だったという大切なもの。
大きくなるまで、手の届かないところに置かれていたものだ。
「これは、魔法だからね」
本当のことを言いながら、フォアさんは目を閉じた。
その横顔に、助けられる。
今はまだ学生。
でも、負け犬だ。
学校の成績もよくないし、赤とか言われてもピンとこない。
――だから。
「今日みたいな日が、続きますように」
中央司令部の一般人まで入れた――本当はいけないらしいと後で聞かされた――ロビーを思い浮かべる。
たくさん、ぼくと同い年みたいな子らがいた。
ぼくは、お兄ちゃんがそんなところでやっていけるか、心配で。
「お母さん、お父さん、お兄ちゃんを、見守っててください」
小さく呟いて。
目を、閉じた。
「うーん、こんな町外れに何の用だろ?」
オレは、薄暗い明かりの中、北区の端の教会へ歩いてきていた。
寮の部屋にそっと入っていた手紙は、ツキ・キルストゥとなっており、ひやりとした。
その名前は、思い出を誘う。
そして、まるでわかっていたかのように外出許可証とここまでの地図が入っていた。
軍人の育成というのは、そういうのがふつうなんだろうか?
「まあ、シーザライズさんが近くにいるけど」
見上げると、闇夜しかない。
雲が、街灯に照らされて、白さを浮かび上がらせている。
「――っ!」
とっさに、前に跳んだ。
「ツキ・キルストゥ」
不意に、少年の声がした。
聞いたことはない。
「試させてもらう」
何を? と問う前に、思いっきり体当たりされる。
オレの身体は地面に打ち付けられて転がる。
痛い。
でも、これが――母さんが入るなという理由だったのだろうか、と薄っすらと思った。
母さんはよく喋っていた。
父さんはよく優柔不断だの、情けないなど、そういった評価を。
でもある日、父さんは、顔を腫らして帰ってきた時もあった。
母さんが後日友人に頼んで成敗したと言っていたが、父さんはとにかく、荒事に巻き込まれて、怪我することも増えたと言ってたっけ。
でも、けっして笑顔や穏やかさを失わない。
愛してもらっていた。
甘やかされているから、こうなってるんだ。
軍人にはなるな――今頃、その意味を正式に理解できた。
負ければ死ぬこともある。
だから、勝ち続けなければならない。
死なないために。
理由は様々だろうが、勝つこと。それが、何より生きることだからだ。
今更軍に入ったことを後悔しても遅い。
「その程度か?」
気配なんて感じない、少年の苛立った声に、そりゃあな、と思う。
殺される気がないからだろうか。
近くにいると思うシーザライズさんが何もしない。
そうか。
ここは、男らしく、自分の力で戦わねばならないんだ。
そう教えてくれているようだった。
「護身術はアイスのボディーガートに習った」
とはいえ、体格的に大きいオレを吹き飛ばせる実力者だ。
「オレは、死ねない」
相手との実力差を知ること。
そして、こうなった時の対処法は。
「うおぉおおおおおおおっ!」
廃れた教会を背に、オレは走る。
「――弱い」
そう、オレは弱い。
そのままでいいと、母さんは言っていた。
父さん的には、強くなってほしいと思っていたらしいけど。
そして。
フォークは、生きてて欲しいと、願われていた。
人が生きるために、驚異から逃げるのを、誰が止められよう。
相手はきっと、百戦錬磨の軍人だ。
銃とか使わないところを見ると、手加減はされているようだが、オレは生きる。
生きることは、勝つことと同義だ。
「本当に、キルストゥなのか?」
「そうだぜ、少年」
オレがさっきまで転がっていた場所に、シーザライズさんがいつの間にか立っていた。
気配なんて感じなかった。
「でもその名はもう捨ててあるんだ。あまり辛いことを思い出させるな」
穏やかに、シーザライズさんは言った。
「国に反逆した一族だろう? それに、おれの標的は」
言い掛けた途端、少年は跳んだ。
シーザライズさんは、いつの間にか棒を持っていた。
「なんの、手品だ――?」
「国のために人殺し、ってのは軍人じゃ当たり前。お前、暗部のほうがメインの子だな?」
「それで?」
「独断で突っ走る悪い子は、おねんねしてな」
瞬間、シーザライズさんが少年の軍人へ棒を側頭部へぶちこんだ。
吹っ飛ばっされる彼を見て、オレは言葉を失う。
「ったく、先走って。ツキ、家に戻るぞ」
「え? でも軍にいないと」
「そこは、この少年がなんとかするだろ。暗部で先走るなんて、自殺行為だぞ本当に」
ひょいっと、軽々とシーザライズさんは少年を抱え上げた。
いつの間にそこまで移動していたのか、目を見張った。
オレも身体が痛いが、歩けないほどではないのでその横に並ぶ。
「最近、この辺で悲鳴が聞こえると噂だ」
初耳だった。
「本当なら、ツキがどこまで耐えれるか見てる予定だったが、嫌な予感がしてな」
早く終わらせるために、彼は乱入した、と言っている。
そういえば、手にしていた棒がなくなっていた。
「あの、さっきの棒は?」
「教会に捨ててある」
「ありがとうございました。助けてくれて」
「んなの気にしないさ。元々俺のせいでキルストゥは――」
不意に、シーザライズさんが止まる。
「あれ、歌声?」
こんな夜に?
「誰かが練習してるんだろ、行くぞ」
「あ、はい!」
近所迷惑、とは思わない不思議なほど魅力的な歌声に、なぜか、不快感を覚えて。
教会から、フォークのいる家路へついた。
「国のために、軍人を目指すのか」
テレビを見ながら、親父が言った。
「クライスの馬鹿は頭だけはいいから、なれると思うよ」
「と言いながらなぜ二枚も学校入学の紙があるんだ?」
親父が妹であるクレインを見て、問うた。
「クライス一人だけだと心配だから。軍学校に入って、馬鹿兄を鍛えるのは、私の役目だもの」
「そうか……クライス、本当に国のために、入るなら止めはしない。見栄ではないみたいだしな」
「親父だって、軍人だったんだろ?」
テレビから目をそらさず、親父は言った。
「もう昔の話だ、忘れた」
「親父はなんのために、軍に入ったんだ?」
「就職先探すのが面倒だったのと、安定した収入が目的だった。現実主義者だったんだ」
「……でもまだ仕事はできるだろ?」
退役した理由はしらない。
いつもはぐらかされる。
「アニメ見てるほうが、幸せだと知ったからな」
「でも……生活費どうしてるんだよ」
「どうせ答えてくれないわ、クライス」
気の強い妹が、呆れたように告げた。
「軍に入隊するための、学校にいくのはいい。金も出す。だが、一つだけ忠告だ」
「何?」
不意に、父の瞳に――今思えば、殺気だろうものが宿った。
「軍の狗にはなるな。使うのではなく、利用しろ。クレインは心配しないが、クライスは誰にそそのかされたかは知らんが、国のためならなんでもしそうだからな」
「でも、軍人は国の言いなりになるもんだろ?」
「そう思っているうちは、使い潰されるぞ」
「あなた。あまりクライスをいじめるのはやめなさい」
「う……だが、なー母さん、軍人とは国のためにあるとはいえ、一人粋がっても何も出来ずに死ぬものだ」
「お父さん、退役してからテレビ見すぎて思考力下がったんじゃない?」
「クライスの言うこと、悪いことじゃないんですから。でも、誰かを守るために軍に入る人も多いのよ?」
「誰か、なんていない。国こそ、人を守る砦じゃないか」
「この頑固さ、良い方に回ればいいが……」
「父さんみたいに、怠ける人にはなりたくない」
「……それは理解できるけど、馬鹿兄」
「怠けられるほど、頑張ったからな。―ーまあ、お前の言うことがどこまで本気か、結果を待とう」
「もう、あなた。あなたは死ぬほど頑張ったんだんだもの。息子たちの頑張りを応援しましょう?」
母さんの言葉に、父さんは納得行かないように、首を縦にふるのだった。
キルストゥ。
試したかった。
国のためなのか、それとも――国を危険に晒す者なのか。
見慣れない天井に、オレは夢を見ていたんだ、と気付く。
「ここ、は?」
記憶が混濁している。
家ではない。
昨日――ツキ・キルストゥ――今はキルアウェートだったかを偽の許可証で無理に外へ連れ出した。
それから――。
「しっつれいしまーす」
ノックとともに、茶髪の中性的な声が聞こえた。
「クライスさん、だっけ、起きてますー? 朝ごはんできたので、一緒に食べませんかー?」
てこてこと、無防備に歩いてやってきた姿に、思考が止まった。
「ぼくはフォークです。お兄ちゃんが昨日迷惑かけたみたいで、ごめんなさい」
言葉が、出ない。
瞳の奥に見えた、人を殺めたことのない色。
国を守る。
それは、彼女みたいな人を守るための戦いなのだと、気付かされた。
「……あの、病院、行きます? シーザライズさんが思いっきり頭打ったとか言ってましたし……」
「クライス、です」
「え?」
「クライス・ベルドルードといいます。フォークさん」
ピンクのカチューシャに花が咲き、フリルがついたエプロンに、違和感を憶える。
けどそんなことより。
誰より守りたい。
国というもののために、生きて死ぬんだと思っていた牙城が、崩れていく。
でも、その国の一つが、フォークさんで。
「頭は大丈夫です。それと、おれが」
「目が覚めたか、軍人」
「あ、シーザライズさん、お早うございます。早いですね」
「まあな。護衛だし。――クライス、お前、さっさと戻れ。軍には連絡してあるから、細かいことはそっちで報告しな」
フォークさんとシーザライズとかいう男――あの時ツキを守っていただろう男だろうが、気楽に言う。
「気を張り続けても、良いことないぞ」
「そう、ですね」
何にしても負けたのだ。
言うことに従うのが筋だろう。
「フォークくーん、早くこないと時間ないよー」
また知らぬ声が聞こえてきた。
「フォアさん、すぐ行きます! それじゃあ、クライスさん、くんのほうがいいですか?」
「タメ口で、いいです」
だめだ。
フォークさんを見ていると、胸の奥がちりちりと熱を持つ。
「じゃあ、お言葉に甘えて。ぼくのことも、呼び捨てでいいよ! それに、ご飯食べちゃって! ぼく学校あるから!」
ぱたぱたと走り去る姿を見届ける。
国で、守らなければならないもの。
彼女のような弱い者でなければならないのではないか?
親の死を見たという彼女のような、銃も持ったことのない人の武器になる。
それが軍人の役割なのではないか?
「おれは、間違っていたのかな」
「勘違いさ。国っていっても、在り方は無限だ」
「あんた、なんでいるんだ?」
「ツキの護衛だ。クライス、キルストゥというだけで差別するな。今後はな」
「言われなくてももうしないさ」
フォークさんに、嫌われたくない。
今回のことも、よくわかってないようだったし。
「フォークはああは言ったが、すぐに軍に戻れよ。一食くらい抜いても暗部の人間なら問題ないだろう」
その言葉に、おれは横に立つ男を見た。
「ああ、俺はシーザライズ。たまに暗部の粛清やら汚れ仕事を請け負う、傭兵だよ。今はここで仕事してる」
「だから、暗部とわかったのか?」
「んー、普通の軍人なら、そもそもツキを呼び出さない。さっさと帰ってきて助かったがな」
その意味はわからない。
でも、傭兵とあって、その身体の引き締まり具合と発する気配は、血の匂いを感じさせるに十分だった。
上には上がいる。
「先輩に、似てますね」
「ネームレスか? 一度仕事したことあるが、あいつ、守るためなら平気で人を殺せるぞ?」
そして、殺してきている、と。
「お前はまだ人殺しには手を出してない。というか命じられてないだろ」
「それがなんだよ」
「人殺しは、ろくなもんじゃないってことさ。さ、さっさと軍にでも戻って絞られてこい」
俺はあとからついていくから、とシーザライズは告げると、階段を降りていった。
「クライスさん、また来てくださいねー!」
学校までまだ時間があるということで、フォークさんは手を振っておれを見送ってくれた。
「朝食代わりにって、お菓子くれるなんて……フォークさんは優しいな」
前髪を上げたカチューシャ姿に、心が揺れる。
こんなこと、初めてだった。
なんだか、心が躍る。
「おれ、どうなったんだ?」
守りたい。という気持ちが、色をつけたように華やかになる。
「……ん、槍ちゃんとある」
これなら、大丈夫だろう。
「叱られる、だろうな」
「おう、クライスか」
商店街から抜ける道に、先輩が立っていた。
おれを待ち構えていたのだろう。
フォークさんのお菓子を急いで食べる。
「美味い」
「朝食抜きか? あの傭兵もなかなか意地が悪い」
ネームレス。
名無しの先輩は、暗部でおれより前からいる人だ。
「目、良くなったな」
何のことか言われて、わからずにおれは首を傾げた。
「昨日の偽の許可証。バレてるから、始末書出せってさ。裏のほうで」
「ああ……ところで、ツキのほうは?」
「先輩から訳あって呼び出された……ってところでお咎めなし、そういう方針にしたそうだ。無事だったしな」
「無事?」
殺す気は最初はなかったが、別の意味をはらんでいるように聞こえた。
「あの廃教会の近くで、最近暗部の人間で噂を確認してるんだ」
ひそめた声に、危機感が宿る。
「表でも対処は難しい案件だ。なにせ、向かわせた軍人が消えている」
「そうなんですか?」
「お前も暗部が長いだろ? 最初はただの悲鳴が聞こえるってだけだったんだが……裏で、軍人も一般人も、消えた」
それが意味することを知り、おれは寒気がした。
「なんらかの異常が起きてる。まあ、捨て駒にはされないようにな」
言うが早いか、先輩は背を向けて歩き出す。
「そういや、キルストゥは『神』を祓う力があるらしいな」
唐突に。
「そういう案件の可能性が高い。表じゃ鼻で笑われることだがな」
「どうして……そう、思うんですか?」
「始末書書き終えたら、教えてやるさ」
ネームレス先輩は言葉を残して、立ち去る。
おれはその背をただ、見てることしかできなかった。
「キルストゥ……裏が、あるのか?」
それとも、表をおれが見ていないだけなのか。
そんな疑惑を抱えて、おれは空を見上げた。
国のため。
利用されないためには、利用する。
――おれは、フォークさんの顔を自然と思いだしていた。