今より少し前の、夏の頃。
「馬鹿兄ー?」
「クライスは?」
「あれ、グレンさん知らないんですか?」
「そういえば、今日はフォーク君が昼飯持ってくるんだよな、確か」
「だから会議室貸し切ったんだろ」
「わー! 皆さん、その、こんにちは、お仕事お疲れ様です!」
「固くならなくていいんだぞ、フォーク」
「お兄ちゃん、挨拶大事なんだよ!」
それも偉い人ばかりなんだし、とちょっと緊張気味の料理人目指す少年だ。
エルニーニャ王国軍中央司令部の会議室の一つ。
わいわいと、階級も男女も様々な軍人が揃っていた。
「今日はお鍋なんですね!」
「おい、挨拶もなしに鍋食べようとするんじゃねえ」
「ディア、お前もな」
「クライスさん、遅いですわね」
「ああ、あいつなら仕事で遠出してるってフォークに連絡があったって」
「……妹より先に言うなんて、今度書類仕事押し付けようかしら」
「クレインちゃん、唐突に入った仕事だって言ってたから、許してあげてー」
とまあ、社長の息子やら平民から入った人やら軍人の家系の人やら。
様々な人が揃った珍しい、平凡な日。
クライスはそんな仲間に囲まれていたが、唐突に入ったお仕事で、食べるのはお預けになるのだった。
暑いお天道の下、六人乗りの特別な広報車が走っていた。
その横を、ヘルメットを被った白髪の少年が乗るバイクが、並走する。
他国からの輸入品で、秘密裏に手入れもしている自慢の一品だとか。
「本当なら、フォークの手料理が食べれたのに」
広報車の中。
少年少女たちが後ろに、大人二人が最前列に座っていた。
「クライス、仕事終わったら家に押しかけていけばいいだろう?」
「いやいや、迷惑だろ」
「しっかし、突然中将が仕事だと招集するなんて、何かあったんですかー?」
「広告のお仕事、ってわけでもないみたいですしー」
「ショートケーキら、黙れ」
「ネームレス先輩、そんな甘いこと言ってたら、何も知らずに仕事してる最中に流れ弾で頭に穴空いて死亡しちゃうかもしれないですよー」
「いやお前らの場合当てる気まんまんだろ」
ネームレスと呼ばれた青年が、べしっと裏手でツッコミを入れる。
「いやーしかっし、暗部も面白いわねー」
なんて他人事のように告げる、元大将付きの副官、ウルだった。
「今日はキルストゥは連れていないのだな」
「仕事してる振りさせてるからね。いやーしっかし、インフェリアとかリルリアとか、いろいろ大物と縁があるなんて、クライスも大きくなったわねー」
「あなたに育てられた覚えはないんですが」
「ふふ、その通りね」
「あー、なんか昔を思い出しますねー」
「うん。暗殺者組織にいた頃は、軍に入るなんて考えたこともなかったし、牢屋から出されるとも思わなかった!」
ショートケーキという二人組の広報課専属のアイドルユニットが、くすりと笑う。
「え? さらりと大事なことをもう思い出に昇華してる!」
「そりゃあ、孤児だったしね」
「拳銃の使い方も、組織で鍛えたし。身体も引き締まってるでしょ?」
「にしても……いや、何も言うまい」
「いやそこは聞こう。目的地までどのくらいあるかわからないけれど」
「まだ先だ。まったく、暗部のメインメンバーは飽きることがないな」
「え、いま中将笑った? 笑ったよね?」
「笑ってはいない」
「笑ったってー」
「空調切るぞ」
「人殺しー!」
「そういえば、クライスも人殺したことある?」
「まあ、暗部の仕事では、な」
「表だと上がうるさいもんねー先日は楽しかったけど!」
「やっぱり追い詰められた人間の顔はたまらないよね!」
ザックの件を思い出すと、クライスは額に手をあてて、目を閉じた。
「趣味悪すぎるな」
「でも、いいんですか? 大総統に秘した隠密行動、って。しかも要人殺しなんて」
「別の部署の管轄だったんだが、諜報で潜入していた軍人が帰ってこなくてな。その調査と解決を独断で決めた」
「後で叱られるタイプだ……」
「クライス、連帯責任だから、覚悟しておこうな」
ネームレスも頭が痛いと人差し指で額を揉む。
「クライス、残念みたいだったもんね」
「愛しのフォークくんの料理食べれなかったから?」
「なっ! そ、そりゃあ友達の料理は食べたかったけど」
「男を女だと信じてたのに?」
「言うな! それ以上言ったら頭殴るぞ!」
「ショートケーキ、クライスいじりはそのくらいにしておけ。着くぞ」
「案外近いんですね―」
「ウルさんもついてきて良かったんですか?」
「帰ってこないのウルの部下だからね。それに、暗部が血生臭いこと背負うことで、表側が平穏に生きてられるでしょう?」
「……そうですね」
「あなたの周りでは、人殺しは罪だし重いだろうけれど。私たちはそうは言ってられない」
「そうだ。誰かが泥を被る必要があることもある。あの大将のようにな」
カーテンコールが告げると、一同は口を閉じる。
『見えてきたぜ。先に行く』
「了解」
一人、バイクに乗っていたスピードスターが速度を上げて、見えなくなる。
「さて、そろそろ準備するか」
かちり、と銃の準備を始める一同の中、運転をしているカーテンコールだけは小声で言葉を発する。
「車で一時間、か。こんなに近いということは、大した相手ではないが……」
血なまぐさいことは起きるだろうな、と心の中で呟き、息をついた。
「ふぅ。ぐるっと回ってみたけど、単なる寂れた村だな」
スピードスターはヘルメットを取ると、くすりと笑みを浮かべた。
「ここはダミーって可能性がある、とは聞いてたが……カーテンコール、その考え外れだ」
ビンビン感じる、悪寒に彼は目を閉じる。
「カーテンコール並みに性格の悪い奴が仕切ってんな。ったく、一体どんなやつなんだか」
「お客様、ですか?」
不意に、おどおどとした声が下からした。
死装束に、ろうそくを持った、緑色の髪と瞳の少女だった。
寒気がするほど感情が削ぎ落とされていて、スピードスターは確信した。
ここは、悪意の巣窟だ、と。
「何か、御用ですか?」
「ああ、その格好、ここの村で葬式でもあったのか?」
「そうかもしれません」
変な言い方だと、スピードスターは感じた。
「ここにはちょっとした用があって来たんだが、案内してくれるか?」
「ええ。そのために私は生かされてますから」
冷えた声に、彼はバイクを押しながら歓迎はされてないな、と思った。
「軍の、視察ですか?」
クライス、ネームレス、ショートケーキの二人組にウル、そしてカーテンコール中将を一人ひとり見ていった。
村の入り口で車を止め、偶然立ち止まった白衣の人――中性的な格好で男女の区別がつかない――に挨拶した。
「こんな村で白衣とは、お医者様ですか?」
ウルがニッコリと人の良い笑みを浮かべていた。
「ええ……」
「少し、ここで確かめたいことがあるのです」
中将がにこやかな笑みを作りながら、語る。
「……ここは貧しい村です。軍の支援も、受けられないほどに」
「軍に存在を消された村、ってことですか?」
「そんな話、聞いてないけどー」
「中将が直々に来るとは思わないんだがなぁ」
「では、案内いたしますので、こちらへ来てください」
「車はどこにおけばいいかしら?」
ウルは白衣の人――緑髪の少女に問いかけると、コクリと頷く。
「では、こちらへ」
「俺たちは村を見て回るわ」
ネームレスが言うと、白衣の人の表情が強張った。
が、すぐ表情を消す。
「一応、武器は用意されたほうがいいです」
「そうするよ。ありがとう」
ネームレスが言うと、ショートケーキたち五人は車から離れて村へ入る。
「正規の軍人はここには来ないと思っていましたが……どうして、来られたのですか?」
「まあ、ここの村の事情はわかってる。死んだことになってる軍人たちの幽閉もしているからね」
中将たちと離れながら、ウルは車に乗り込む。
「で、進展はなさそうね」
「……本当に、こんな研究続けて良いのでしょうか?」
「んー、駄目ね」
あまりにもあっさりと言い切ったのが意外だったのか、少女は目を見開いた。
「カーテンコールが作ったけれども、今のカーテンコールは許せないから」
ウルは車をゆっくり進めながら、驚きを隠せない白衣の人とともに、村の端まで進めた。
「クライス、俺たちは辺りの聞き込みだ」
「はい」
ネームレスとクライスは、寂れた村の北側を歩く。
そして、ショートケーキ組は南側を歩いているだろう、とクライスは役割分担を思い浮かべていた。
「ここって、本当に――軍を裏切った連中や、犯罪者の巣窟なんですか?」
井戸の辺りに集まっている男女を見て、小声で尋ねた。
「ああ。にしては、人数が少ないし、中将が一人で責任者に会いに行ってるのも、ちょっと気になって……」
「あの人が動くってことは、何か裏があったってことだ」
「ん……裏が、ある?」
「暗部の噂だが、俺の入った頃の前任者は曲者だった。んだが、退役してな。それで今の中将になったんだが……」
苦虫を噛み潰すように、ネームレスは髪をかいた。
「これが単純に無能でな。それが、カーテンコール中将だった。お前も知ってるだろ?」
「指事もあまりおれには振られませんでしたね。インフェリアたちに媚びておけ、とは言われましたけど」
「そんな将来を見据えた指令自体が無能ですって言ってるんだ」
「どうしてで……ああ、自分の地位を上げるため、ですか」
「そうだ。上に行きたかったが……どういう風の吹き回しか、ああなった」
くいくいっと、責任者のいる家を指差して告げる。
「自分で作った犯罪者や規律違反やらをした軍人の収容所が、正式な地図には載っていないここの真実だ」
「カーテンコール中将が、ですか?」
「前のな。今の人は、何考えてるかは分からんが、少なくとも軍のために動いてるのは確かだ」
ネームレスは告げると、目を伏せた。
「しかし、静か過ぎません?」
とクライスが告げた途端、がしっと、足首に何かが食い込んだ。
「な――」
「助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ」
「ヤクの被害者だ」
さらっと、ネームレスが告げると、その手を思いっきり踏みつけた。
それだけで、クライスの足からては離れるも、その主は大きく見開いた目で、手をのばす。
男の頬は痩せこけて、助けてくれ、と狂ったようにつぶやき続ける。
「これ、は――」
「はぁ。こんな症状がでるってことは、求めているのは一つしかないな」
「そうですね」
男を気絶させてから、よく路地や家を見ると、目が死んでる者の姿が多い。
「中将は、知っていたのか?」
「じゃあ、放っておいたらやばいんじゃ」
クライスはネームレスと目をあわせて、最悪の結果を想像し、村の奥にある一つ大きい場所へと走っていった。
その頃、カーテンコールはテーブルをはさんで白髪の老人と対話していた。
姿形は前任者と同じだが、まとう雰囲気は別物で、老人は気圧された。
のもつかの間、彼に合わせるように、カーテンコールは老人と向き合った。
「この地下で、研究をなされていた。今回はどれくらい進んでいるのか、ちゃんと視察させていただきます」
「は、はい、もう少しで完成しますから」
「完成?」
カーテンコールは、弱気になっている老人へ問いかける。
「では、こちらへ。中将どの直々ですからね、」
「軍支給の物でしたね。詳しいことを調べに参りました。案内していただけますか?」
老人は、黙りこくって下唇を噛んだ。
薄暗い、広い部屋。
そこに、うめき声や、がりがりと床や壁のコンクリートをかく音がした。
スピードスターは、そこで目が覚めた。
「いつの間に寝てたかね」
ふぅ、と息を吐いて、スピードスターは手を伸ばした。
「食事に毒入れるとか、古典的だが効果はあるんだよな」
ここからでも星の気配は感じられる、とスピードスターは周囲を見渡してため息を付いた。
「ここで、あなたも行方不明者になってもらいます」
「どうだか」
緑の頭の代わりに、白色の衣服が少女を死神に見えさせた。
だが、些細なことでもあった。
「あっちにドアがあるな。しかもどうみても、頑丈そうな――誰も通さなさそうな」
「あなたもいずれ、あそこに入ることになります」
「怪物でもいるのかね?」
そういう話を聞いたことがある。
「いいえ、人助けのための道です」
「……人助け?」
「完成すれば、どんな病気も治る、万能の治療薬なんです」
力強く力説すればするほど、それが胡散臭く思える。
「騙されてる」
「あなたは知らないから言えるんです。もう治験は始まって数年も経っているのですから」
夢を語る子どものような目に、スピードスターは冷めた視線を返した。
洗脳されているのだろう、と。
助けがなくとも、『神』の力で逃げ出すだけなら容易だ。
だが、あえて別行動をさせ、この場所へ案内させたのなら――。
(まあ、のってみる価値はあるか)
元々、今のカーテンコールの考えていることもわからないのだ。
(あいつのことを知るためにも、ここは大人しく薬に酔った振りをするか)
瞼を閉じ、苦悶になにかを求める周囲の老若男女のように、スピードスターは倒れたのだった。
「人がいませんね」
カーテンコールは防護服をまといながら、同じく防具服をまとった老人へ告げる。
「へ、へへ、そ、それはここがどういう施設かはご存知でしょう?」
「ああ。だから聞いている。薬品の研究だと」
「ま、まさか中将直属で視察など……」
「資料が揃ったからな。大総統や国にバレれば、厄介事を押し付けられるのはいつもうちだ」
その意味を理解せず、老人は首をかしげる。
「それはそれは、ご苦労なさっておりますね」
「ああ。そのためにも、実績を出さなければならない」
淡々と。彼は言い切りながら、銀の台を指でなぞる。
「ここに収容されている人数と、できれば名簿が欲しい」
「は、はい。少々お待ち下さい」
そう言うと、老人――責任者――は棚からどっさりと分厚い紙の束をいくつも取り出した。
「電子化はしていないのか」
「ええ。なにせ、貧しいですから」
「この防護服。かなり高価なものとお見受けしますが」
「まさか、軍からの支給品ですよ」
「そうでしたか。てっきり、別口から軍の支給品を受けていたのではないか、と思ってしまったもので。失礼しました」
カーテンコールが謝罪し、老人は胸をなでおろした。
どういう経緯でここを嗅ぎつけられたか。
老人の頭の中は、それで満ちていた。
「えっと、まずは……」
カーテンコールは身近な書類に目を通す。
次々に速読するさまは、シワが寄っていた。
「なぜ、一般人の名がある?」
老人は、にたり、と残虐な笑みを浮かべた。
ぱんっと。
乾いた銃声が、鳴り響いた。
「南も北も、同じ状況だった、と」
クライスたちと、ショートケーキたちは合流を果たすと、はぁ、と息をついた。
「とにかく! この村長らしい人の建物に鍵はあります!」
「でも誰もいないみたいだな。百回ベルを鳴らしても反応がない」
「どうかしたのー?」
「ウルさん!」
「お仲間ですか?」
「そう。人影があるから案内してもらったよー」
にっこりと笑いながら、ウルは白衣の人を見つめた。
「あ、今手榴弾使おうとしたね?」
ピンを人間離れした力で手を重ねて握ったウルは、満面の笑みを浮かべていた。
白衣の人は目を見開いて、手から力を抜く。
「どうして、放っておいてくれなかったんですか?」
「何をだ?」
「ここは犯罪者や軍で違反をした者を監視していると聞いている」
ネームレスに、白衣は絶望的な顔をした。
それは大事な大事なおもちゃを捨てられた子どものようだった。
「そんな良いところだったら、どんなに良かったか!」
そして、白衣は胸元から隠し持っていた拳銃を引き抜いて――。
「アウト」
言い切ったのは、ショートケーキの二人だった。
それぞれの早撃ちは肩と足で、致命傷ではないが、行動力を奪うには十分すぎた。
「た、助けて」
「そう、素直に言えばいいのに」
「ねー」
笑顔を屈託なく浮かべる二人に、クライスとネームレスだけは苦い顔をした。
「で、教えてくれる? 自殺したくなるほどのことを、ここではしてるのでしょう?」
「ザックが、亡くなったから」
「ああ、妹に殺しの依頼された子だったね」
「可哀想だったねー」
と心にもないことを呟く二人は置いといて、クライスは白衣の人に詰め寄った。
「ザックが、何か関係あるのか?」
「あれ、は――あの子は、わかっていたから自殺したんだ」
その一言の意味は、聞いてはいけないとクライスは思った。
だが、現実は違った。
「人間を材料にして、特殊な素材と混ぜ合わせて作る、完全な治療薬。それを作ろうとしていたとは」
血肉、臓物が飛び散る中、責任者である老人を手に、カーテンコールは施設の奥へ歩く。
重いドアを開ければ、手足を固定した人間が幾人も見受けられた。
例えるなら、人間屠殺場とでも言えるだろう。
同じ防護服を着た屈曲な男たちだが、カーテンコールは笑みを浮かべた。
さすがに、マスクの下の笑みは見えなかったが。
「だ、誰だ! そ、それに村長――」
「はぁ。前のカーテンコールは何をとち狂ったか。前々から思っていたが、後始末ばかりで大変なんだ」
「なにをごちゃごちゃと。やっちまえ! 一人死体が増えたところで、誰も困りはしない!」
ぱんっと。
また、乾いた音がした。
びくっと身体を震わせ、老人の頭から血が、噴き出した。
瞬間のことは、言わずともわかるだろう。
「嫌だ、もう嫌だぁぁっ!」
「こんな、もっと昇進できたはずなのに!」
「は、はは、親を殺した、罰、か?」
と、彼らは奥の扉へ殺到し、姿を消した。
カーテンコールは老人の遺体を抱きながら、置き去りにされたもう遺体直前の身体に触れて回る。
「輪廻があれば、次こそは、幸福に」
同じ文句を繰り返しながら――。
開きっぱなしの奥への扉を開く。
そして。
「スピードスター。捕まっていたのか」
驚嘆の声に、彼は苦笑した。
「ちょっと、ドジッた」
それが茶番だと知りながら、カーテンコールは辺りを見渡す。
「あんたが死ねば、こいつの命は助けてやる」
緑色の髪と瞳に白い衣服の少女は、スピードスターの首にナイフを当てていた。
というか、すでに赤い雫が一つ、流れている。
「というわけで、中将、ここにいるのが全員ですって」
周囲は数十人の軍服を着た老若男女が、拳銃をカーテンコールへ向けていた。
蜂の巣にされるのは、確実だった。
「誰が発言していいと言った?」
怒りに、死装束の少女のナイフがより食い込む。
『神』にも痛みはある。
そして、カーテンコールははぁ、とため息を付いた。
「我が名は無く。しかしながら、自然神として大地が産んだ御柱の一つ」
すっと、カーテンコールは全く動揺もせず、拳銃やライフルを突きつけられているというのに、平凡に、言葉を紡ぐ。
そして手を地下の天井へ突き上げた。
その意味を理解する前に、全てが灰色に染まる。
――スピードスターと、死装束姿の少女以外は。
二人は奥の扉へ飛び込んだ。
正確には、スピードスターが少女を押し込んだのだが。
何もない宙に、炎を象ったナイフが、その空間にいる人間分だけ用意される。
「貫け」
抑揚のない魔法の一言だった。
灰色の時間がとけた瞬間、ナイフは一直線に車のアクセルを踏み込んだように急降下した。
串刺しのように、頭から股間までを焼きながらからんからんと音を立てて――落ちた。
一瞬で絶命しただろう、と冷めた目でカーテンコールはため息をついた。
「全ては土へ還れ――」
まるで舞うように、大きな円を描く。
すると、地面に置いていた老人を含めた広場にいた者たちすべてが、衣服ごと土となり崩れ落ちた。
「は、ぁ?」
「そんな万能薬なんて、抗生物質で十分だろうに、な」
カーテンコールは防護服を脱ぎ捨てると、スピードスターの方へ来る。
「あ、ああ、いや」
「人間を材料にした人間に効く、どんな病気も治る治療薬――それは、違法であり夢物語であり、無意味だ」
カーテンコールの長髪が、風もないのになびく。
状況に追いついていない少女だけが、この男は危険だという生存本能が響き渡る。
「ちが、違う、そうしないと、そうじゃないと、誰も報われない!」
「この村やレジーナで実験を繰り返していたのだろう?」
「でも! あと一歩だった! もう少しで完成するところだった――!」
まるでわからない子どもに授業をするように、カーテンコールは彼女を射抜いた。
「家畜で、同類の死骸を食べるという事件があった」
カーテンコールは、とつとつと少女を見る。
「どんな治療薬でも、同じ人間を材料とした治療薬を好んで飲もうとする奴はいない。それに、副作用も知っていて言ってるのか?」
「知った口を」
少女は睨みつけながらも、足が震えて動けなかった。
「同類の餌を食べたものは、病気になったらしいぞ。そんなことがないなんて、言えるほど研究はしたか?」
「病気に、なる? それは、し、失敗したから、で」
震えながらも、彼女は緑色の目に強い意志をのせる。
「同じ人間から作る薬なら、副作用も出ないじゃない!」
「クローンでも、まったく同じ者になることはない。まあ、薬用なら可能性はあるか」
「ははっ、そうよ、必要のない人間なんてごまんといるわ」
「だが、失敗し、闇市場に流しているのだろう。前任者は犯罪者になりたかったのかねぇ」
カーテンコールは心底呆れて、指を鳴らした。
「人間を材料に治療薬を。考え方は立派だけれども、やり方は間違えちゃってるねー」
ウルが、カーテンコールの後ろからひょこっと現れた。
「うわ、すごい土の量。通りで土臭いわけだ」
「まだ、軍人がいたの……?」
「ここに始末屋を呼ぶ。お前は――はぁ」
にっこりと笑み浮かべて。
カーテンコールの背後で笑っていたウルは、全部知ってました―と無垢な少女のように笑った。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
遅い。
渾身の力を込めて振り下ろされた刃は、しかしスピードスターの驚異的な手刀でからんと落ちる。
目頭に、涙が溜まっていた。
「どう、して、邪魔を、したの」
「なら聞こう。お前なら、愛する人に同じ人間で――クローンであったとしても、できた作った薬を飲ませたいか?」
どこまでも怜悧で。
どこまでも正論な疑問に、今度こそ、少女の死装束は本物になった。
「スピードスター、弔ってやれ」
誰かを救いたかっただろう少女の心臓に突き刺さったナイフ。
それを見て、ウルは泣いていた。
「可哀想なことしましたね」
「わかりやすい嘘を言え、投げた元凶が」
「ウルは、単にザックが人間から作る薬を妹にこっそり飲ませてた、ってちくっただけじゃないですかー」
「最低だな」
スパイで粛清した少年軍人を思い浮かべて、カーテンコールは息をついた。
「でも信じてくれたんですね」
「そもそも、前任者が作った村だ。牢獄もあるレジーナに、こんな村は必要ない」
「うわ、聞く人が聞いたら首飛びそうですねー」
「それも面白そうだな」
「うわーん、いじめられるぅー」
「他の連中は?」
「白衣の人がいたので、その人とお喋りでもしてるんじゃないですかー?」
「ここはそのうち焼き払われるだろうな。だから余計な建物は建てるなと」
「前任者に文句言ってくださいよー」
と、こうして、カーテンコールとウルは広場を後にした。
ここに、人間はいない。
ただ、数えるのも馬鹿らしいほどの土が、散乱していた。
戻ってきた頃には、全て終わっていた。
「そう、ですか……」
白衣の人は、老人のいた家の中で、瞼を閉じた。
「全部知っていただろう?」
何事もなかったように、カーテンコール中将は彼女を見つめた。
おのおの、室内でくつろいでいる。
中には入らなかったクライス、ネームレス、ショートケーキの四人は地下の詳細なことは知らない。
「まあ、薬物作ってて、あとは始末班の仕事だからな」
「真相を知っていた、となると、捕らえないとならないんですけどー」
「はい。わかっていて、止めれなかったのです。それに一人でなにかできるわけではないので、私の身柄は軍に任せます」
「そうか」
カーテンコールは端的に答えると、彼女の手を握る。
「そうと決まれば長居は無用だ。スピードスター、クライスと先に帰ってくれ」
「え」
心底嫌そうにクライスが顔を歪ませる。
「なんだ、クライス。とばさないから安心しろ」
「とか言って前は思いっきり速度――って襟首掴まないでください! いた、痛いいぃっ!」
クライスの断末魔というか悲鳴が聞こえなくなると、ショートケーキの二人は白衣の人へ銃口を向けた。
「さて、もう終わりです」
「いや、ショートケーキ。殺す必要はない」
「いいんですか? 軍の面子に関わると思うんです―」
「構わん。もうこの施設は――いや、元々前のカーテンコールのものだった」
「なら、尚更どうにかしておかないと」
「彼女は雇う。口封じも込めてな」
「なっ、妹を殺しておいて、従うとでも?」
「従うさ。理由はある。『神』なのだろう?」
「――!」
「なら、殺せない。スピードスターが会ったほうは人間だったらしいが、きみは違う。だからわざわざウルたちを案内したのだろう?」
「……あなたも、人間ではないのですね」
「ああ。前任者――知ってるだろう? あれの成り代わりの自然神だ」
「ネームレス、わかってる?」
つんつん、と小声でショートケーキが聞いてくる。
「世の中には、知らぬが仏っていう言葉があるんだよ」
カーテンコールはくすりと微笑むと、彼女の手を取る。
「本来なら、人間に戻る薬でも研究していたのかもしれないな。それが、歪んだ。それだけの話、だったのかもしれないな」
「そうなら、どれだけ幸せだったでしょうね」
白衣の人は、瞳を濡らしながら、彼の手を取った。
そらは、星のひかりをいつまでも抱いている。
「はぁー。し、死ななくてよかった」
「クライスも、よく耐えたな」
「しっかし、真相をおれなんかに話しても良かったんですか? 言いふらす気はないですけど」
「信じてないだろ? 人間を薬にして治療するなんて薬の研究」
「それを、軍は見逃してたと?」
「正確には、カーテンコールの独断だ。軍国家だからって、何でも許されるわけじゃないだろ」
「だから、いなくなってもいい人たちを使った、と」
「……へぇ、飲み込みが早いな。さすが、暗部希望者ってわけか」
スピードスターは郊外でバイクを押しながら、笑う。
「にしても、ガス欠なんて、らしくないですね」
「好きでガス欠なんじゃないからな。ったく、整備士に文句言ってやる」
「なんか、誤解してました」
「ん?」
「スピードスター先輩は、もっとこう、近寄り難いと」
「ああ、それは合ってるわ。あまり、関わろうとするな。表側のほうが、お前には似合ってるんだからな、ベルドルード」
そういう顔は、ヘルメットのせいで、よく見えなかった。
陽の光がまだ優しい時間。
クライスは、フォークとともにショートケーキにフォークを入れていた。
「あー、昨日は残念だったー」
「皆美味しいって言ってくれたからね! でも、クライスくんは、遠出のお仕事だったんだよね?」
「ああ。鍋のほうがいい内容のな」
口の中でとろけるスポンジとクリーム、そしてイチゴの感触に、ため息をついた。
「さすがに内容は教えられないけれども、きっと、あれで良かったんだ」
「そうなの? んー、ここのケーキは毎度美味しいなぁ」
「フォークなら、料理人のほうが似合ってるもんな」
「お父さんみたいに、絵の才能があったほうが良かったけどねー」
苦笑する姿に、クライスは薬で人間性を奪われた人たちを思い浮かべる。
人間から作る、万能薬。
夢のようなものを、なぜ作ろうと思ったのか。
「んー、ショートケーキは、定番ゆえにお店のクラスがわかるんだよねー」
「ショートケーキ、か」
あの二人を思い浮かべる。
人殺しをなんとも思わない、人間。
人を熱狂させるアイドルの反転、人を人と思わない冷徹な軍人――殺人者。
「クライスくんは、暗部だって聞いたけど、やっぱり大変?」
「守秘義務に当たるから、言えないな」
「でも、グレンさんとかカスケードさんたちみたいに立派なんだよね」
無垢な笑みに、思わず唇を噛む。
人を殺すこと。
それがふつうだった自分に、彼らは眩しい。
『人殺し? 殺される前に殺さないと、死んじゃうじゃない』
『もうー、クライスはだから半人前なんだぞ』
そんな言葉が脳裏を駆け巡る。
クライスの様子に、フォークは慌てる。
「あ、その、ごめん」
「いや、ちょっと、な」
ばくっと残りのショートケーキを飲むように食べて、クライスは微笑した。
「フォーク、間違えないように、生きような」
「ふふ、間違えてばかりだけど、ぼくは、クライスくんを応援してるからね!」
その笑顔を守るために、クライスは生きることを決意する。
「もう、あまり変なこと言わないでね、心配するんだから!」
と、怒りつつも満面の笑みを浮かべて、フォークは両手を合わせたのだった。