結界と巫女と二手に分かれて

 ――長い黒髪を風に遊ばせて、巫女を引き継いだ少女は車椅子を連れた四人組を見る。
 否、茶髪にアホ毛を二本遊ばせている青年と言える人を見る。
 長くここの結界を守ってきた彼女の鼻は効く。
 彼はこの結界を通れない、と。
 それは宿命の星が決めたこと。
「いつか、が来たのね」
 覚悟はしている。
 結界を通れないということは、十年は確定して生きられないということ。
「フォーク・キルストゥ。赤の宿命を乗り越えられない、愚か者」
 基本的に一般人であるはずだった人。
 だが、あの大陸を揺るがした大事件の犯人の義弟だった者。
 それが偽りだと、巫女は知っている。
 ゆえに彼女はここを守り続ける。
「なにしに来たかは知らないけれど、あんたは、ここに来ちゃいけなかったんだ」
 確信があった。だから、少女は箒を強く握りしめ、近づいてくる彼らを見つめる。
「――ここは未来ある者だけが守られる場所だから。恨みはないけれど、言わせてもらうから」
 悲哀が不釣り合いに込められた言葉を風に流して、彼女は黒瞳をまっすぐ石碑に夢中な四人を見つめた。



 人気が少なくなっていき、代わりに砂塵が大きな顔をする場所。
 どこまでも高く見える崖の正面に、ひっそりとある膜のようなものが見えた。
 そこを守護するかのように、黒い巫女服に身を包んだ少女は、長い髪をたなびかせて不敵に笑った。
「観光客かしら?」
 アスファルトの舗装された道があるとは言え、その幅はこの崖よりは狭いのだ。
 観光客以外で来る人は、みな巫女の顔見知りや仕事人だ。
 わざわざ確認する間でもない。
 ウィンストンは生唾を飲み込む。
 頭の中は、彼女の格好に見惚れていたからだ。
 黒色と白がアクセントの巫女服に、昔ながらの箒。
 心の中の何かが、盛り上がっているのを強く感じる。
 セプテットは少女を観察するように上から下を見て、そのまま車椅子に腰掛ける。
 中に入れるか、が本当なら疑問があったからだ。
 ウィズベットは色気のある笑顔で、記者魂に火が点っていた。
 そして、フォークは。
 向けられてくる敵意に、困惑の色を隠さずにいた。
「あの、結界の向こう側って、入れますか?」
「ええ。記帳はしてもらいますが、一応犯罪者以外は通行自由ですよ」
 目が笑っていない。
 その言葉を額面どおりに受け取ったウィンストンとウィズベットの二人は、さっさかさとセプテットたちを置いていく。
 フォークは、困惑に足がゆっくりとしか動けなかった。
 犯罪者、という一言に、自分は引っかかるのだろうか。
 そんな疑問が、脳裏をよぎった。
「不安なのね」
 興味なさげに呟かれたセプテットの声に、フォークはうん、と頷く。
「まあ、入れなかったら外で郷土料理の勉強でもしてればいいわ。ウィンストンはたぶん、確実に入っていろんな料理に手、出すでしょうから」
 そうだ、とフォークは頬を叩く。
「ちょっと、いきなり両手を離さないで」
 セプテットに叱られつつも、フォークは今は一般人として生きるんだ、と胸の中の火を熱くして、巫女へ近づいた。
「これに、ボールペンで名前と住所を記載してください」
 巫女は紙を挟んだボードを最初に来たウィンストンに渡す。
「十年生きられない人は、そもそもここには入れません」
「それは町で聞いたな」
「十年以上生きれる可能性がある人と、死体と荷物は出られます」
 集まった四人は、口を閉ざす。
 容赦のない説明に、巫女だけは事務的に名前を確認する。
「危険なんですか?」
「最初からある目的――いえ、口が滑りました。単なる観光地です」
「いやもう遅いって!」
 ウィンストンが叫ぶと、彼女はやれやれ、と肩を落とした。
「嫌なら入らなくていいですよ。滞在日時教えていただけると迎えにいけますが、いかがしますか?」
「う……それは……わからない」
「まあまあ、みんなとりあえず名前書きましょう~」
 と一番年上に見えるウィズベットがボードに挟まった紙に名前を記載していく。
 ちゃんと印刷された空欄に、さりげなくバツ印がついている部分があった。
「このバツ印は、中で亡くなられた方でしょうか~?」
「はい。それと、そもそも中に入れなかった方にもバツ印をつけています」
 事務的すぎる様子と、フォークを見る目が厳しい。
 セプテットは、害意を持ってると判断する。
 だが、フォークに対する激情にも似た怒りはなんだろう、と小首を傾げる。
「四人とも入れるよな」
「それは保証しかねます。それは寿命を結界が決めるからです」
 巫女はつんとした態度で、ウィンストンへ告げた。
「あの、なんか怒ってます?」
「いえ。なにも」
 そして、二本のアホ毛を揺らすフォークを睨みつける。
 まるで中に入るなと言うように。
 そしてフォークは悟る。
「あの、どこかで会いまして?」
「いいえ、初対面です。早く名前をお書きください」
「ほら、フォーク、置いてくぞー」
 と、ウィンストンが振り返って満面の笑みを浮かべていた。
「えっとはい」
「しっかし、なんかレストランみたいだなここ。限られた人しか入れないし、名前はボールペンで記載するし」
「便利なので。印刷技術とかに感謝です」
 セプテット並みに人嫌いなのか、巫女は冷めた黒瞳をはしゃぐ彼に向ける。
「うちの馬鹿がうるさくてすみません」
 フォークがハンドルを握る車椅子にいたセプテットが、心から申し訳無さそうに頭を下げる。
「いえ、お気になさらずに」
 同情のような巫女との会話にフォークは瞬きを繰り返す。
 まるで自分たちが悪いみたいだ。
 はて、どこかで会ったのだろうか、と記憶の海に沈みかけると、先輩の驚愕の声が上がった。
 反射的に宝石でコーティングされた木のナイフを取り出すが、杞憂だと目の前の光景に言われた。
「まるで水の中に手が入ってるみたいで面白いな、これ!」
 すでに結界たる膜に手を突っ込んでいるウィンストンは、目を輝かせながら子どものようにはしゃいでいた。
「あの人、馬鹿ですか?」
「返す言葉もありません」
 頭を下げる茶髪のセプテットに、その苦労を察してが、巫女服の少女がよくいるタイプですから、と箒を振り上げて。
「あらら~」
「ウィズベットさん、なんで勝手に行かせてるんですか!」
「ふふ、問題ないからね~」
 と、抗議しようとしたセプテットに、巫女が箒を振り上げ、ウィンストンへ上段から振り下ろした。
「自業自得ね」
「申し訳ありません、お客様。勝手に触れられると死にます」
「いや、それ嘘だろ!」
 きっと目を吊り上げて涙目のウィンストンなど気にもとめず、巫女は座り込んだ彼に箒を向けた。
「そうですが、そう言わないと後悔することもあるからです」
「どういうことかしら~?」
「ここは十年以上生きられることが確定した人だけが行き来できます」
 それは知っている、と四人は続きを待つ。
「注意したいことは、中に入ってそれが覆った場合、結界に阻まれて外には出られなくなります」
「病気で寿命が縮んだ場合とか?」
 セプテットの問いに、巫女はこくりと首を振った。
「そして、偶然寿命がぎりぎりだった場合とかです」
「……ん……それは……」
「それを見極める役目も、私は担っています」
 黒が基調の巫女が、静かに息を吐いた。
「彼だけは駄目です。無理です。地獄堕ちです」
 びしっと箒の先端をフォークに向けた。
「え、ぼく?」
「車椅子の方は通れます。けれども、あなたは無理です。十年生きられる道がない。試してみますか?」
 フォークのハンドルを握る手に、力が入った。
「あらあら~。どうしましょう?」
「本当、なのね」
 セプテットが暗い声を出す。
 そして、旅の責任者であるウィンストンを見つめる。
「行ってきて。皆が中に入れるなら、ぼくは勉強してるよ」
「なら~、残ろうかしら~?」
 目を見開いたのはセプテットだった。
「暴力沙汰なら、フォークくん一人で心配はないけれども、町を巡るのもいいわね~」
「つまり、ウィンストンと私が組むってことね」
 反対のほうが良いのでは? とセプテットの瞳に浮かぶ。
 それを打ち消すように、ウィズベットは朗らかに笑う。
「中に入れるのはわかってるもの~。この旅が終わったあとか、交代するかしたらいいだけのことよ~?」
 それに、ウィンストンくんを守るのは、あなたが一番向いている。
 その信頼の眼差しに、セプテットはきつい目をしていたが。
「わかりました。確かに、料理以外取り柄のないウィンストンになにかあったら困るものね」
「フォークくんは、わたしが責任を取って見るわ」
 ふわりと笑うと、ウィンストンが駆けてくる。
「自分で立って歩かない?」
「ふふっ、手の内を見せるわけないじゃない」
 これ以上突っ込むと蛇の巣をつつくような怖さを覚えて、ウィンストンはフォークを見る。
「ちゃんと勉強するんだぞー」
「いいの、貴方たち」
 しんっと、巫女の言葉が浸透する。
「旅の目的は知らないけれども、結界の中は町と同じ。危険がないとは言えないけれど」
「郷土料理があるなら、行くぜ」
「はぁ。そういうこと。車椅子の護衛は不安?」
「全然ってか、セプテットは歩けよー」
 その隙にさりげなく、黒色と白色をまとった巫女はフォークにバツ印をつける。
「それでは、行ってらっしゃい、旅人様。お気をつけて」
 車椅子をフォークからウィンストンへバトンタッチして、二人は箒で指し示された結界へ向かう。
「あなた、中のことは知らないのね~」
「ええ。あくまで代々の結界の管理者なので、外にいなければならないのです」
 淡々と答える巫女は、まるで剣を使うように、フォークに箒を向ける。
「フォーク・キルストゥで、間違いないでしょうね?」
 唐突な敵意に、彼は目を瞬かせる。
「え、そう、ですけれど」
「偽名ではないのですね」
 どこか、残念そうに告げる彼女に、フォークは頭の中で疑問をいだきながらも頷いた。
「なぜ料理の道を行き、宿命を投げた?」
 ぴたり、とフォークは動きを止める。
「ここは、この国ができる前からある特別な、場所。生きても死んでもいない存在を閉じ込める檻でもある」
「それとぼくが、どう関係するの?」
「結界を守る巫女として、宿命持ちの人間はここの結界を破壊できる。それを止めるため、我が家系は代々巫女として働いてきた」
「それと、あなたの敵意は――同じなの?」
 フォークは身を低くし、黒と白の巫女を睨みつける。
「これは、個人的なこと。夜空に光を焚き付けて記憶操作したキルストゥ――魔祓いはここにも影響を与えた」
 ツキのことを刺されたが、兄弟ということはバレていないようで、フォークはほっとした。
「宿命持ちが、ただの気まぐれでここに来るなんてことはない」
「いや、知らないんだけど……先輩に連れられて旅してるだけだし」
 フォークは唇を尖らせて、反論する。
「その間、赤の宿命の代理人がいると?」
「リタル・モデラート。元暗殺者で、今は農業の偉い人だよ」
 最低限の言葉だったが、瞬間に巫女の顔色が変わった。
「まだ生きているの? そして、キルストゥを追い詰めた連中が――」
「え、知らないの? 国王がキルストゥ狩りを止めさせて、今は保護する方向に転換してるって」
「テレビで大々的に流してたわね~」
 と、巫女の背後、結界からゆっくりと手を出したウィズベットが微笑んだ。
「リタル、という男は、本来ならもう死んでておかしくない年齢のはず……」
「そうなの?」
「レリア・キルストゥが死んだ年齢を考えると。……っち、まだ生き延びてたとは」
 思わぬところで嫌いだ―って人にあったなぁ、とフォークは構えをやめる。
「神々の遺産か……死人の遺品で生き延びてるってことか」
「知ってるんだ」
「キルストゥ自体は問題ないから。あるのは、国王を守る宿命持ちが、うろついてることが重大な問題だ」
 箒を一回まわして、巫女はフォークを睨みつける。
「それじゃあ、フォークくん、町に戻りましょう~」
 第三者たるウィズベットが、怒る巫女に水をかける。
「どのみち~、護衛で来たのもあるから~、戦いの心得があるフォークくんと一緒にいるわ~」
「あなた、そいつがどれだけ危険か――」
「ここには、戦いに来たわけじゃないのですけど……」
 フォークがおずおずと、声をあげる。
 巫女は警戒して、箒をフォークに向けるのを止めない。
「ただの旅人に、巫女さんは手を挙げる趣味があるのかしら~?」
「う」
 固まる彼女を見て、フォークは瞬きを繰り返した。
「あの、ぼくは入れないってだけなんですよね」
「まあ、ね」
 と、白と黒の巫女は、しかし敵意だけは向けている。
 フォークはなにかしたかなぁと首を傾げるが、巫女はウィズベットを見る。
「あなた、こいつの保護者?」
「護衛みたいなものよ~? 本当は四人で入れたらよかったのだけれども~」
 と、マイペースなのんびりお姉さんの彼女に、巫女は黒髪をかき上げた。
「……わかったわ。まあ、もう結末なんて見えてるものね」
 風に消え去るほどの小声で、巫女はびしっと二人を指す。
「入っていった二人はともかく、あなたたちも用がないんだから町に戻りなさい」
「え、ここで待ってちゃだめなの?」
 不満なフォークをなだめるように、ウィズベットが、んーと数秒考える。
「フォークくん、たぶん郷土料理を覚えるまで数日かかるから、巫女さんの言うとおりにさっさと町に戻りましょう~」
「でも、二人を置いていくの?」
「置いていくもなにも、フォークくんは~、中に入れないじゃない~?」
「あ、うん……それは、そうだけれども」
「町にでも十分いろいろできるわ~。一応、電車で最後につく場所なんだしね~」
 呆れた巫女服の少女は、敵意が霧散していた。
 ウィズベットは心の中で大変なことにならなくてよかった、と瞼を伏せる。
 フォークは、とことこ肩を落としながら、ウィズベットのほうへ行く。
「あなたは、ここにいるの?」
「親が夜に交代するから、それまでは暇ね」
 ぴくり、とウィズベットの耳が動いた。
「それなら、話を聞いてもいいかしら~?」
「つまらない話ばかりよ」
 指先を合わせると、ウィズベットはうずうずしたように目を輝かせた。
「つまらないかどうか決めるのは、誰だと思う~?」
 あまりにらんらんと好奇心旺盛な瞳に、巫女は吐息をはいた。
「……わかったわ。本当につまらないんだけど」
「えっと、ぼくも話を聞いていいですか?」
 巫女の一睨みに、フォークはまるで背が縮んだように頭を下げた。
「……ええ。どれだけキルストゥが迷惑か、教えてあげるわよ」
 巫女は怒気を孕んだ瞳を宿しつつ、フォークの問いに答えた。
「ふふっ、話を聞き終わったら、露店とかで買い食いしましょ~?」
「それがいいわよ」
 巫女の言葉に、フォークはこくこくと人形のように頷きを繰り返す。
「これも勉強のうちよ~」
 ウィズベットの言葉に、フォークは荷物を背負い直す。
「……フォーク、だったかしら。少しは可哀想だとは思わなくもないけれど。本当に、寿命がないのよ、あなたは」
 生まれて決められている――わけではないけれども、と巫女は呟く。
「全ては、魔祓いの宿命。それに選ばれてなければ、良かったのにね」
 ふわりと、砂塵が混ざる中、巫女はたなびく長髪をそのままに、目を空へ向けた。



 町まで荷物を抱えて帰る二人組の、フォークとウィズベット。
 アスファルトの道を取って帰るさまは、悲しげだった。
「あー、服、洗濯しに行かない~?」
 町に近づくにつれ、人気が戻り、建物が賑やかになっていく。
「うん、はい」
「そんなに落ち込まなくても~」
「ぼく、お金あまり持ってないんです」
 その告白に、ウィズベットは目をぱちくりさせた。
「ウィンストン先輩が魔法のカードとか管理してるので、宿代があるかちょっと銀行探さないと」
「あら、大人がここにいるんんだから、フォークくんは気にしなくていいのよ~?」
 思わず、フォークは顔を赤らめる。
 ウィズベットの格好は肌がよく見える。
 四肢も鍛え上げられているし、記者という人種はそういう人たちなのだろうか、と瞬きを繰り返す。
「ん~? どうしたのかな~?」
 あえて誘うような、艷やかな言葉に、フォークは口を開きかけては顔が火照るのを止められなかった。
「ふふっ、可愛いわね~」
 もふっと、頭を撫でられる。
 それだけでフォークはますます甘いような女性の香りに、びくびくと何かをこらえる。
「あらあら、ちょっとやり過ぎちゃったかしら~?」
 相変わらすののんびり口調が、フォークの中では別の言葉に捉えられる。
「あ、そ、その宿! 今日の泊まる場所探しましょう!」
 愛おしいくらいに顔をゆでダコ状態にしたフォークに、ウィズベットはおかしそうに笑みを浮かべる。
「ほんっとうにわかりやすいわ~。先輩も、これくらいわかりやすかったら困ったりしなかったのになぁ~」
 長く編まれた黒髪を撫でながら、フォークに微笑みかける。
 今まで女性との交流が少なすぎたために、誘惑への免疫がないのが兄共々幼いところだ。
「えっと、その、……や、宿に荷物置いてきましょう!」
 ぐるぐると腕を回すフォークのわかりやすい恋愛系の初心さ。
 それが愛おしいとウィズベットは頷いて、町の中を並んで歩いた。
 賑やかな露店の、串焼きにされた肉。
 ジュースになった果物たちの色とりどりで多彩な飲み物。
 そのどれもが、フォークの足を止めさせる。
「あら、珍しい~?」
「まるでお祭りみたいだから……」
「そうね~。ここは毎日がお祭り状態みたいなものなのよ~」
 と、いつの間にかウィズベットの手元に、パンフレットが握られていた。
 早いな、と言いたげなフォークの視線に気付きつつも薄いそれを見る。
「ちょうど東部と中央の境目くらいの土地みたいだから、こうなってるみたいよ~?」
 くすりと笑みをこぼすと、ウィズベットは手を大きく広げた。
「ホテルは点在してるみたいだから、近いところで安めの宿に泊まりましょうか~」
「はーい」
 ちらちらと、フォークは周囲を見渡しながら現地の人たちの買い物風景に目を奪われる。
 旅人はよくレジーナでも見かけたが、お店の人などは質素な格好をしている。
 結界がある町だからだろうかと首を傾げながら、フォークは置いていかれないようにウィズベットの後ろ姿を追う。
 そして思う。恋なんて、したことがあっただろうか、と。
 友情止まりの好きはたくさんあったが、恋愛としては誰にも抱いていなかったように思う。
 周囲が男ばかりだったせいもあるだろう。
 そういう意味では、セプテットやウィズベットは――長い付き合いになりそうな、女性だ。
 心臓が高鳴る不思議な感覚に、フォークは露店からいつの間にか視線が記者へ向けていることに気付く。
 慌てて目をそらす。
「さっきまで、ふつうに接せられたのに……」
 顔を紅色に染めていることすら気付かずに、フォークはウィズベットの自然な姿にどきどきした。
「ん、フォークくん~?」
 振り返る大人の顔に、なぜかウィズベットは妖艶に微笑む。
「恋くらい、しなきゃ人生損よ?」
 なんて。大人の言葉にフォークはどくんと心臓が勝手に血液循環の量を上げていく。
 このままじゃ気絶してもおかしくない。
「ちょっと疲れたかしら~?」
 軽く首を傾げて、可愛らしい後輩を見る目でフォークの頭を撫でる。
「ちょうどいいところにベンチがあるから、座ってて~」
 フォークがなにか言う前に、ウィズベットはさっさと軽い足取りで露店に戻る。
 その背に手を伸ばして――なにをしたいのかわからず、大人しく木製のベンチに腰掛ける。
「はぁ……ぼく、どうしちゃったんだろ」
 それは、戦う者の目ではなく、色恋沙汰を知らぬ無垢さが彩る困惑の様子だった。
「うーん、こんなことしてていいのかな」
 背負った荷物。
 それを下ろすと、重量があるためふつうなら重いのだが、鍛えられたフォークには関係のないことだった。
「先輩……ウィズベットさんも言ってたっけ」
 話を聞いてもいいのだろうか。
 取り出した教科書を、読むでもなくぱらぱらめくりながらフォークはウィズベットが両手にジュースを持ってくるのが見えた。
「ごめんねー。ちょっと遠くに行ったら遅くなっちゃった~」
 いや、十分早いと顔がこわばる。
「ほら。この辺りで取れる果物の果肉を潰してできたジュースですって~」
「あ、ありがとうございます」
 縮みそうなほど頭を下げて、フォークは鍛えられた手でそれを受け取る。
 中身は氷とジュースの液体で満たされており、ストローとともに渡された。
「あ、甘い匂いがする」
「でしょう? でも甘いのに味もすっきりしてるんですって」
 自然と彼女の口はストローに口をつけていた。
「ん、言ってた通りね」
「ですねー」
 口の中に広がる甘味のあとには爽やかな味がした。
「わぁー、美味しいっ」
「ふふっ、買ってきたかいがあったわ」
 笑顔を見せるウィズベットに内心で感謝しながら、フォークはストローで美味しい味を吸い上げて堪能するのだった。



 空はどこまでも青く、しかしある程度広いというのに、高すぎる崖に囲まれて、ウィンストンとセプテットは異界に迷い込んだような錯覚を受けた。
 だが。
「家も多いし、森もあるし、水もある。それに、建築物が現代のものと同じね」
 セプテットは、車椅子に座りながら目に見える結界内を見渡す。
 ウィンストンも挙動不審なほど、顔を左右に揺らしていた。
「ここも、町として機能しているんだな……」
 崖に囲まれており、圧迫感を感じるもそれだけだ。
 観光や町民たちが、外の町と同じように賑わいを見せていた。
「すごく、ふつうだな」
「そうね」
 謎の結界。しかし、なぜそんなものが必要なのだろうかというくらい、一般的な町だった。
「フォークとウィズベットは入れなかったのか、来なかったようね」
 セプテットの言葉に、ウィンストンは思わず結界を振り返る。
「あいつら、大丈夫かな」
「不安になることはないでしょう。別に暗殺者に追われてるわけでもないんだから」
「う、そうだけど……お金、渡してなかったなと」
 ウィンストンの言葉に、セプテットは眉を寄せた。
「お金くらい、ウィズベットがいるから大丈夫でしょう……それに、事件に巻き込まれても二人とも戦えるし、問題はないわ」
「でも、ちゃんと学校の勉強するかなあいつ……」
「……そっちの不安は、あるわね」
 フォークは座学が致命的に苦手だ。
 それは、料理人にとってはマイナスに働かないか、ウィンストンも不安がある。
 そんなことを話しつつ、セプテットたちはここに宿屋があるか、探す。
 すぐに見つかったのはいい。
 だが、町を一周りしてわかったのは、古びた宿屋が一軒以外見当たらなかった。
「一軒しかないのね」
「外に出るか?」
「せっかく郷土料理を食べに来たんでしょう? なら、ある程度は留まっていいじゃない?」
 セプテットの適切な判断に、ウィンストンは目を閉じる。
「でも、連絡取れなくね?」
「ウィズベットにもしも分かれる場合のときのことを考えて、ちゃんと無線機渡してあるわ」
「いつの間に……」
 感心するウィンストンに、セプテットは彼を見る。
「パソコン持ってるあなたに言われたくないわ。メールアドレス交換してないの?」
 呆れられ、ああ、そういえば、とウィンストンはズボンのポケットから紙を取り出した。
「これ、だ。宿見つかったら、一度メールしてみる」
 セプテットの車椅子のハンドルを握りしめているので、両手は使えない。
「まあ、ここがネット通じてなかったら、意味ないけれどもね」
「わー! そういうこと言うなよー!」
 ふっと、セプテットが茶髪を触りながら無線機をオンにしていることを内緒にして、二人は町の奥へと向かった。
 まだ見ぬ、郷土料理を知るために。