結界の外と平穏な食べ歩き記録

 彼は、怒っていた。
 そう、彼は怒りを覚える資格があった。
 だから、きっと、こうなるのは自然なことだった。



「あー、美味しかったですね、ウィズベットさん!」
 人の往来が激しい町中を、フォークは黒髪を編んだお姉さん――ウィズベットと歩いていた。
「喜んでもらえてよかったわ~」
 ウィズベットはシャーベットを透明なスプーンですくって、口元へ運ぶ。
 フォークは頭に生えた茶髪のアホ毛をゆらゆら揺らしながら、笑みを浮かべてウィズベットをじーっと見つめていた。
「ん? 食べたかった~?」
「いえいえ、そこまでしていただくわけにはいきません」
 自分のお金ではないのだ、とフォークは言い聞かせながら、完全に観光客気分でウィズベットの横にいた。
「ここって、結界の中の食事は合わない人がほとんどだって言ってたから、もしかすると~、長居することになるかもしれないわね~」
「え? 中でしか食べられないものってあるんですか」
 フォークは目を見開き、入れないと巫女に言われた場所を振り返る。
「現代人の口に合わないから。だそうよ~」
 記事にしていいか悩むわよね~と、ウィズベットが頬を撫でてシャーベットを食べ終えた。
「うん、このチョコミントはいいわね~」
「はぁ。先輩からお金少し貰っておけばよかった。すみません、奢ってもらって」
「いいのよ、学生さんなんだし。それにスポンサーが大金持ちなのでしょ~? 次に活かす! でしょ~?」
 大事なことは、と社会人らしいことを言いながら、ウィズベットは目を伏せる。
 しかし、その瞳にはかすかに澱みがあることに気付いたフォークだった。
「さて、それよりも! そろそろ、夕食の時間にもなるし、宿に戻りましょうか~」
 まるで幻だったように、表情がいつものものに戻るウィズベット。
「は、はい」
「観光客が多そうなところに行きましょうね~」
「はい。さすがに先日の宿は泊まれないよね……まさか二人だけ入れないって言われたら……」
 落ち込むフォークの肩を叩いて、苦笑するウィズベットは宿の目当てはついている、と耳元で囁いた。
「フォークくん、あそこのホテルに行きましょう。パンフレットによると、けっこう美味しいものが安く食べられるそうだし」
「その手書きのパンフレット? いつの間に手に入れたんですか?」
 きょとんとしたフォークに、ウィズベットはふふっと笑みをこぼした。
 彼らと同じような客たちも、夜の店やホテルへ足を向けている。
 いつの間にか、夜が近づいていた。
 藍色のカーテンが、橙色を染めていく。
「さて、いつ貰ったでしょうね~」
 パンフレット――しかも手書きのものを配ってる店などなかったはずだ。
 観察眼も鋭く鍛えられたフォークだからこそ、抱いた疑問だった。
「もしかして、その、ここに来る前に、貰ったんですか?」
「そうよ~」
 くすくす笑いながら、ウィズベットは折り目の付いたA4の紙を開いた。
「変わってなければすぐそこよ~」
 ぎゅっと柔肌がフォークの手を握る。
 その女性特有の感触に、フォークの心臓は跳ねた。
「え、あ、ウィズベット、さん!」
 彼の言葉など聞こえていないかのように、フォークを先導しつつ、彼女は懐かしいホテルへ行く。
「高級だけど、庶民的。相変わらず、変わってないわね~先輩」
「なにか言いました?」
「ううん、なんでもないわ~。それより、今日はここに泊まるわよ~」
 フォークは黒い大きなホテルを見上げて、感嘆の声を漏らした。
 ウィズベットはどこか懐かしさを秘めた眼差しで、それを見上げる。
 数分、そうしてた二人は、同時に自動ドアの先へ向かう。
 中は広く、ソファーが点在し、どうみても高そうな内装をしていた。
 圧倒されるフォークを引っ張りながら、受付を済ませるウィズベット。
 その手慣れた様子に、そういえば記者さんなんだから慣れてても当然か、と納得した。
「それじゃあ、部屋は一緒だから、さっさと行きましょうね」
 楽しげに笑う彼女を見て、フォークはなぜか、ウィズベットが自分ではない誰かを遠くに見ている気がした。
 思い出に残るような、人。
 不意に、エルニーニャから東にある小国、キルストゥたちが多く住むとあとから知った国を思い出す。
 そこで平穏に暮らしているだろう、血を分け合った唯一無二の兄を思い出す。
 ウィズベットにも、そういう人がいたのだろうか。
 記者さんだし、見た目も美人とくれば手を出さない人はいない。
 が、ウィズベットからは色気は感じるが、同時に純真な気配が漏れ出ていた。
「さ、置いてっちゃうわよ~?」
 荷物を背負ったまま立ち止まったフォークの何歩も先に、ウィズベットが立っていた。
 この空間に、とても似合っていた。
「あ、待ってください!」
 フォークは慌てて、黒髪の彼女の背中を追った。



 夕食のために、一緒の部屋に荷物は置いて、必要な貴重品だけ持ってホテルの食堂――一階へついた。
「えーと、適当にテーブルに座りましょうか」
 ぎゅっとフォークの角張った手を握り、ウィズベットは慣れたように歩いていく。
 つられながら歩くと、各テーブルで人々が微笑み合いながら食事をしていた。
 ふと、椅子より短い足をぶらぶらさせている茶髪が濃い少年と目があった。
 家族だろうか、男女と仲良く食事をしているみたいだった。
「フォークくん、ここ空いてるわ~」
 警戒心の欠片もないウィズベットの声に、フォークは意識を向ける。
 ――ふと、思う。
 こんな平穏な日常に、いていいのだろうか、と。
 兄のように、ここを出るべきだったのではないか。
 リタルへの罪悪感が、しこりのように胸の内にある。
 流されるように生きてきた。
 そう突きつけられてるみたいで、自然と足元を見下ろしていた。
「フォークくん~?」
「あ、なんでもないですよ!」
 抱いた感傷は消え去り、フォークは慌ててウィズベットの後を追う。
「もしかしてフォークくん、ホームシックかしら~?」
「え?」
 ウィズベットの前まで来た時、不意打ちで言われて思わず口が閉じる。
「うんうん、まあわからなくもないわ~。ここ、親子連れが多いものね~」
「え? え?」
 心中を言い当てられた気がして、フォークはあたふたと周囲を見渡す。
 整然と並べられた食堂に、ウィズベットはとりあえず、座って~、と穏やかな言葉をくれた。
 自然と従い、腰掛ける。
「昔にね、ここの記事で見たのよ~。それで覚えがあるだけ~」
 あとはチラシを見てね、という詳細を省いた説明に、ああ、とフォークは思い出す。
 両親の死と、フォアたちと出会ったあの日のことを。
 そして、あの人と道を違えたことを。
 なんの因果か、入学早々旅に出るという不可思議な流れに飲み込まれて、今、記者のウィズベットと相対している。
「隠し事はいけないんだぞ~」
「なにも隠してないですよー」
「ううん。辛かったでしょう~? お姉さんが癒やしてあげるわ~」
 ウィンクするウィズベットは、ひらひらと魔法のカードを持って見せる。
「ウィズベットさん、意外と大胆ですね……」
「ふふっ、まあ、お遊びはここまでにして、注文しちゃいましょうね~」
「はーい」
 そうして、開いたメニュー表にフォークはぎょっとする。
 ちょっと割高な高級感あふれる料理のメニューが並ぶ。
 色々書いてあるが、どれがなんなのかわからず首を傾げるフォークに、ウィズベットは料理記者らしく、説明を丁寧にした。
「ほえー」
「ふふ、フォークくんって可愛いわね~」
 ウィズベットが黒い瞳を細めると、料理を決めたことで二人はウェイターを呼んだ。



 ふわふわの絨毯のエスカレーターを上り、満足げなフォークを見下ろして、ウィズベットは瞬きを繰り返した。
「美味しかったー。まだデザートのカタナーラの味が残ってるー」
「本当に料理が好きなのねぇ~」
「うんっ! でも座学は苦手だなー」
「なら、一緒に勉強しましょうか~?」
 くすりと、ウィズベットはどこからともかくメモを取り出す。
「わたしも、まだまだ初心者だからね~。もっともっと勉強しないといけないの~」
「そう言えば、ウィンストン先輩の護衛でしたっけ」
 肩を落とすフォークに、ウィズベットは大人の艶のある目で彼を見た。
 鍛えられた身体、キルストゥ姓、自身のことはあまり語らない、今をよく見ている青年。
 それがウィズベットの記者魂に火を灯す。
「別に、フォークくんの護衛でもあるからね~。必要なさそうなんだけれども」
 さらりと告げると、フォークは顔を固くした。
「じゃあ、部屋に入りましょうね」
 一緒のホテルの一室に、フォークが先に入る。
「えっと、ベッドが一つしかないんですが」
「一人用の部屋しかとってないもの~」
 荷物をおいたフォークが硬直した。
 ウィズベットは細い目をして微笑む。
「なにも問題はないわ~。それしか空いてなかったの~」
「えっと、じゃあ、ぼくソファーで寝ます!」
「いいのよ、一緒に寝ましょう。こう見えても、政治記者のときはよく一緒に先輩と寝てたし」
「えっ」
 その意味を色と勘違いしたフォークは、首を横にぶんぶん振る。
「だめです、いけないんです! それに、どうて――性経験のない男と寝ても、ウィズベットさんだって、嫌でしょう!」
「いえ……フォークくん、時々、別人みたいな雰囲気をまとうと思ってるわ」
 意味がわからず、フォークはウィズベットから一歩離れる。
「納得いかないっていうか~。本当にしたいことは別にあるっていう、歪み、かしら~」
 頭悪いから、詳しいことはわからないけれど~、と間延びした声音で、ウィズベットが近づいてくる。
 それは、フォークも感じていた。
 無性に、なにかを破壊したいような、衝動がある。
「性経験がないなら、お姉さんが相手してあげるわ~」
「え、いえ、それは――」
「嫌い?」
「――それは、ぼくは、だ」
 瞬間、フォークは真っ赤な死人の山を見た。
 血の臭いも生々しく見えるそこに、炎のように燃え盛る怒気を殺気のように放つ青年がいた。
 見た目はフォークのように赤色を半分以上被った茶髪に二本のアホ毛がゆらゆらとなびいている。
 瞳は土色で、赤いナイフは光を反射している。
「――宿命を放棄したな、フォーク」
 いつか見た、もう一人のキルストゥの赤の宿命だ、と瞬時に判断した。
 この血の海のような、戦場のような場所なんて知らない。
 でも、知っている。遺伝子に刻まれた親の記憶とともに、破壊の赤はそれの中にいる。
「あの異世界の異物が、ここに呼び寄せた――が、無様な最期を遂げるのが、決まったな」
「な、なに嗤うのさ!」
「あの女の言うことは正しい。そして、お前と会うのは三度目だ、腰抜け」
 不意に思い浮かべるのは、リタルと暮らしていた時期。
 そしていつか見た、夢の中だ。
「並行世界の異世界転生――まあ、生き返ってはいないが、繋がってしまったからな」
 フォークを見下ろす目は、冷めていた。
「しばらく眠れ。種をまく役割は任せてなぁ」
 人だったものが倒れ伏す世界で、フォークは自然と平然としてる自分に驚愕しながら、意識が次第に途絶えていく。
「一心同体なんだ。だが、フォーク、同じお前が生きるべきだから、この旅で死んだとしても手を貸すことはない」
 声が、朱色の世界から闇色に染まっていく。
「安心しろ。別の世界で生を全うした身だからな。お前に、害なすつもりは、ないよ」
 最後の声だけ、優しく弟子に語りかけるような言葉で、フォークはそのまま意識を閉ざした。



 眩しさに、フォークは目を開いた。
 一人部屋に二人が寝ている。
「ん?」
 寝た記憶がない。
 それどころか、床でシーツを被って横になっていた。
「フォークくんお早う~」
 ウィズベットの元気ないつもの声に、思わずフォークは目を瞬いた。
「やっぱり、昨日は疲れてたのね~」
 くすりと、ウィズベットは笑う。
「え、あ、もしかしてもう朝食の時間ですか!」
 がばっと上半身を起こすと、ウィズベットからいい香りがした。
「さて、朝食に向かうから、準備してね~」
 なんだか憑き物が落ちたような笑顔に、フォークはこくりと首を振った。
 と同時に、なにか忘れてはいけないことを、忘れてしまった気がしていた。



 ウィズベットとフォークは部屋を出て、雲がまばらにある空を見ながらホテルの一階へ降りる。
 朝食券を渡すと、テーブルに通される。
「郷土料理かな?」
「お粥かしら? 胃に優しいわね~」
 向かい合って二人席に座ると、すぐに食事が運ばれてきた。
 食べ終えれば札を返すこと、飲み物はセルフサービスであることを知らされ、頷いて二人はそれぞれ交代で飲み物を取りに行く。
「あら~、シンプルに見えて食材が食べやすいように細かく入ってるわ~」
 ウィズベットがスプーンでお粥を口に入れる。
「わぁ……美味しいねー」
 甘みが強調されながらも、お米の粒が弾ける。
「本当はお菓子みたいねぇ~」
 でも、胃に優しいなぁとほっこりした顔で、無心に食べる。
 小鉢も青菜がちょっとしたアクセントとなり、それぞれ紅茶とジュースを飲みながら微笑みがこぼれる。
「ウィンストンくんがいたら、きっとシェフに作り方を聞きにいったでしょうね~」
 だいたい想像はつくけれど、という二人は、顔を見合わせて笑う。
「ふふっ、セプテットちゃんたち、しばらく結界の中にいるかもってメールが来てたの」
「めーる……! パソコンでできる便利な道具!」
「フォークくんは使える?」
 目をそらしたことで察したウィズベットは、札を食事終了にしてから立ち上がる。
「結界内でもメールは有線ならできるらしくて。それで、連絡が取れそうよ」
「あの、ということは、ウィズベットさんの部屋に入ってその、いいんですか?」
「悪かったら提案してないわ~」
 そう言って、ウィズベットはもともと一人部屋を頼んじゃない~と声を漏らす。
 ごちそうさまと言って、二人は食堂を出る。
「けっこう軽めの朝食だったわね~」
「そうですね……でも、デザートは見たことのない果実もあって、ちょっと甘酸っぱかったです」
 素直に告げるフォークに、うーんとウィズベットが唸り声を上げながらエレベーターに乗る。
「あれ、もう無くなってるって料理記者の先輩が言ってた気がするのよね~」
 目を丸くしたフォークに、ウィズベットはメモをとる。
「そういえば、結界の中のものは、なかなか外に出せないって言ってたわね~」
「へぇ……あ、十年ももたないからかー」
「そう。食べ物で持つには、干物にするか、冷凍するかくらいしかないからねぇ~」
 ウィズベットは人差し指を立てて、例外だったのかしら? と首を傾げる。
「そういえば、メールで原初の食べ物がたくさんあるって言ってたわね~」
「うぅ、ウィズベットさんも中に入ってみたらいいと思います!」
「そうしたら、護衛の意味が無くなっちゃっうじゃない。それは却下よ~」
「うぅ。そんな結界、誰が作ったんだろう?」
 十年という、遠い時間。
「きっと、守りたかったか、守れなかったか。国ができる前からあった、ってメールで書いてあったわね~」
「秘密があるのかもね」
 フォークはキルストぅが魔を狩るように、その結界もなにかあるのだろう、と思う。
「ウィンストンくんたちなら、問題なさそうよ。だから、安心してね~」
 エレベーターがついた先で、二人は部屋へ戻る。
 二人は無言で荷物を整えて、フォークはバッグを背負い、と記憶をたどる。
「昨日、座学したっけ?」
 小首をかしげて、フォークはうーむと声を漏らす。
「まあ、いっか。細かいことだしね」
 旅の本質から目を逸らして、フォークはあちらこちらを確認する。
「忘れ物があったら大変だしねー」
 と言いながら、置いたものはなにもないが、なんとなくこの部屋にいると頬が火照る。
「フォークくん、準備できた~?」
「あ、はい!」
「それじゃあ、とりあえず部屋出ましょうね~」
 ウィズベットの持っていた鍵とともに、フォークたちは部屋の外へ出た。



「はー。綿あめおいしー」
「ふふ、そうね、フォークくん」
 ウィンストンたちが数日結界の中にいるということで、フォークとウィズベットは露店を見て回っていた。
「観光客さんはどこから来てるんだろう?」
 人通りの多い露店には、びっくりするほど多くの人々がいた。
「バスじゃないかしら? 電車で来るほうが珍しいからね~」
 ウィズベットの声に、フォークはうーん、そういうものかーと言葉をこぼす。
「だいたい観光バスじゃないかしら? ここ、けっこう変わり物も多いからね~ここは」
「結界もあるから?」
「観光名所みたいなものだからね~あそこは~」
 他愛のない会話をしつつ、フォークは普段はない眠気に目がとろんとする。
「うー、なんだろ、疲れてるみたい」
「あら、そんなに激しかった?」
 ウィズベットの言葉に疑問も持つことなく、フォークは座り込む。
「ん、すみません……ウィズベット、さん、ちょっとベンチかどこか」
「具合悪かったの! もう~、やっぱり昨日」
「あの、大丈夫ですか?」
 不意に、上からふってきた心配の少年の声に、フォークは顔を上げる。
 見慣れた肩までの茶髪に、どこまでも心配りをする弟思いの懐かしい人。
 けっして記憶から消えることはないだろう、でもここにはいないという事実すら眠気は消し飛ばした。
「おに、い、ちゃ――」
 そこでフォークの呟きは途切れ、ウィズベットがフォークくん! と身体を抱き上げる。
「お、重い……」
 平均的な女性のウィズベットでは、フォークほどがっちりした男を支えるのは辛かった。
「近くに俺の家があるんです。そこで休ませましょう」
 はきはきとした茶髪の少年に、ウィズベットは思わず身構える。
 観光客を狙ったスリは、よくあることだと知っているからだ。
「あの、大丈夫です。あそこで、働いてるだけなので。あの、なんかどこかで見たことある人だなぁって思って」
「理由を並べ立てるのが怪しい」
 きっと視線を鋭くしたウィズベットだったが、茶髪に黒瞳の少年は、垂れ目でどこか自信なさげな姿の少年に、はぁ、と小さく息を吐いた。
「信じるけれども、なにかあったら許さないからね~」
「俺はただの下働きですよ」
「わたしはウィズベット。護衛の料理記者よ」
「俺はタルト。今は、機械の整備士見習いをしてます」
 苦笑とともに、タルトは露店の間を抜け、太陽の影の薄暗い中を歩いていった。



 ――お前は、赤の宿命を完全に放棄した。
 フォークは、暗い意識の中、自分と同じ声に耳を傾けていた。
 なにも、言い返せない。
 ――元凶はフォアだ。あいつと、青の宿命が持ってきたあの『異物』、フォアの落とし物も、か。
 それのどこが悪いのだろうか。
 ――悪い。お前の抱えてる赤の宿命は近いうちになくなるが、魔を殺す手段は、消えていない。
 怒ってる?
 ――当たり前だ。フォアと会わなければ、ふつうに生きてたぼくは宿命を果たし終えて、消えていた。
 ――まあ、死ねてたわけだ。
 そうなんだ。
 ――ったく、呑気なもんだな。今倒れたのは――
 次第に、世界が白く輝いていく。
 ――っち、まだ死ぬ時間じゃない。だから、自分が、お前の身体で――
「ん……」
 気がつくと、白い蛍光灯がフォークを照らしていた。
「おいタルト! 余計なことしやがって!」
「でも、はぁ、売り飛ばす人が、欲しいって」
 乱暴な音と、規則正しい機械音がしっかりと聞こえる。
「うーん、まさかトラブルに巻き込まれるとはねぇ~」
 フォークはベッドに横にされており、その下にウィズベットが黒い髪を軽く顔を振ってからフォークを見て、苦笑した。
「なんだか悪い人にお誘いされちゃった? みたい~」
 ウィズベットの両腕は後ろで縛られていた。
 が、フォークは特になにもされておらず、音を立てないで起き上がる。
「ちっ、慈善事業じゃねえんだ、あのガキがキルストゥなら、前なら高値で売れたんだ」
「でも、今でも保護で」
「んなこと言い訳にしかならねえんだよ。どこで手に入れたか、根掘り葉掘り聞かれたらうちは終わりだってわかってるだろ?」
 フォークは曖昧に、タルトと見知らぬ黒髪にがたいの良い大きい男が機械の破片ばかりの部屋の隅にいた。
「まあいい。労働力には使え――」
 瞬間、銃声が聞こえた。
「はーい、喧嘩はそこまで~」
 いつの間にか、携帯してはいけない拳銃を手にしたウィズベットが、にこにこと笑みを貼り付けていた。
 縄はいつの間にか解かれて、銃弾を入れ替える。
 その手際の素早さには、フォークも目をむいた。
「もう。人殺しとか駄目なんですよ~」
 男とタルトと呼ばれた二人を連れてきた少年が、固まっていた。
 フォークだけ、どういう状態だったのか理解できないまま、地面に降りる。
 振り返るウィズベットの編まれた黒髪の背中は、素人というには堂々としすぎていた。
 これが、元政治記者の経験か。
 心中で、フォークは関心しながら屈む。
「あの、ここ、工場?」
「あの子、悪い人の使いっ走りにされてるみたいよ~?」
 犯罪の、と付け加えて、ウィズベットは銃を男に向ける。。
「お、女だからって、しっかり縛っておけと言っただろう!」
「あの程度、政治記者だったら外すのは簡単よ~?」
 余裕綽々のウィズベットに、フォーク含めて男陣は戦慄する。
「ウィズベットさん――」
 一度は見ていた気はしたが、あまりに手慣れていた。
 違法だが。
「わたしも気を失ったんだけど~、よくあることだったから、ちょっと、ね」
 にっこりとした笑顔でウィズベットは拳銃を向ける。
「女ぁあああ!」
 逆上した大男は、地を蹴って肉薄する。
 反対に、タルトは怯えを顔に貼り付けていた。
「よっと」
 フォークには届いていた複数の人の足音へ、対処するため秘密兵器をひいた。
 足の筋肉に力を入れて、フォークは一回蹴るだけで宙に舞い、ウィズベットを狙った大男へ肉薄する。
 怯えるタルトの真横を、大男がフォークの足で蹴り飛ばされる。
 蛙が潰れるような声を出し、男は泡を出して昏倒した。
「それじゃあ、ウィズベットさん。後ろは任せました」
「フォークくん、思ったより冷静ね~」
 そこが頼もしいけれど、とにこっと微笑むウィズベットに、フォークは親指を立てた。
 足元に隠していた麻酔針を幾本も取り出す。
 リタル特製の、人を殺めない程度の麻痺毒が塗ってある、長針だ。
「おい、いまの銃声――」
 ぞろぞろと出入り口からやってくる野次馬の如き人々は、どう見てもごつい男たちだけだった。
「控えいひかえーい!」
 ウィズベットさんは銃口でじりじりと牽制する。
 しかし位置は子どものほうへ向かっており、彼を守るようにフォークと動いていた。
「ウィズベットさん、みな倒す予定ですがうち漏らしたら、お願いします!」
「りょーかい!」
 弾む声と地面を蹴り上げて跳ぶフォークのワルツに、ウィズベットはしばし見とれる。
 男たちも武装していたが、ナイフにがたいのよさを武器にしているところを見るに、裏取引といっても下請けの下請け、というところだと判断する。
「悪い人は、みんな倒す!」
 長針を指の間に挟み、旗を合図に戦場を駆け巡る乙女のように、フォークは飛び出して――。
 それはまさに乱舞。
 人間の技を超えた、空中で歩行しているかのような蹴りに、肌にちくりと刺さった針の麻痺に倒れていく男たち。
 どこから銃弾がとんでくるかわからない訓練の賜物は、キルストゥの血と宿命のおかげで昇華されて。
「さあ、一緒にダンスを踊ろうか――!」
 余裕はない。
 わらわらと湧いてくる男たちは、フォークには銃弾武装の――軍人に見えたのだ。
 殺しにくるもの。
 かっと身体が火照る。
 怒り、だ。と気づいたときには、針は使い果てて、赤い宝石でコーティングした木刀で男たちを滅多打ちにして気絶させていた。
「あ、れ?」
 酷く気分がいい。怯える茶髪の子どもと、場違いな和やかさをまとうウィズベットの二人以外はもう誰も倒れていた。
「終わっちゃった、の?」
 フォークの声は、宙に溶けて消える。
 アホ毛が揺ら揺らと、別の足音を拾って彼は振り返る。
「苦情が来ていた現場か――?」
 軍服を来た少年と青年が、男たちが入ってきたところから、現れた。
「えーと」
「わたくし、こういう者です」
 すっと、ウィズベットが名刺を差し出す。相変わらず、どこから物を出しているかわからない。
「ウィズベットさん、ね。どうして、こんなところに?」
「こいつら、近々検挙する予定の組織の奴らでしたよね? なんで寝てるんです?」
「えーと、話すととても長い事情がありまして」
「さ、行こう」
「いや、任意だが話を聞かないとならないんだ。特に、その子は人をよく騙していてね」
 さっぱりとしたスポーツ系の青年軍人が、目を光らせる。
「人違いですよ~」
 歩き出そうとしたタルト、と呼ばれた子を止めたのは、ウィズベットだった。
「彼は単にわたしたちと同じく巻き込まれたんです~」
 のーんびりとしたいつもの口調で、でも圧を含んだ声音で言った。
「しかし……」
「そうなのかい?」
 軍人の青年のほうが、タルトと視線を合わせる。
 タルトはびくっとしながらも、こくんと頷いた。
「そうか。では、よく町で見ていたのは見間違いか」
「先輩っ!」
 軍人の少年は、先輩という青年にひと睨みされてびくっと身体を震わせる。
「どうせ、レジーナが本拠地の裏組織の下請けの一つだ。しかし、次同じことしてみろ。言い逃れはできないからな」
 鋭い剣のような物言いで、彼は立ち上がる。
「話を聞かせてもらえますね?」
「ええ~」
「は、はい」
 好意的なウィズベットに反して、軍人苦手なフォークとタルトは彼に付いていくのだった。
 手荒なことになったが、セプテットもいない中、うまく説明できるだろうかと思いながらフォークはタルトの手を握る。
「な、なんですか」
「ふふ、きみ、なかなかいい手を持ってるね」
 フォークの意味深な言葉に、タルトは警戒心を抱く。
「もしよければ、友達に軍人がいるから、そこでこっそり働いてみるのもいいかも」
「え? 一応、犯罪者なんですけど……」
「大丈夫大丈夫。いい人だから。それに、機械、好きなんだよね?」
「……まあ」
 短い肩で揃えられた茶髪を揺らしながら、タルトは曖昧に頷く。
「ぼくは料理が好き! もっと上手くなりたいんだ」
「え?」
「友達の軍人に、きみが真っ当に働ける場所を見つけてもらおう!」
 そう言って、フォークはタルトの油もついた手を握る。
「怖がらないで。大丈夫だから」
 タルトを見ていると、あの人を思い出す。だから、フォークはふらりと自分の身体から力が抜けるのを他人事のように感じた。
 心配する二人の――知った声がするが、意識はぶちっと切れ落ちた。



 軍の救護施設は、清潔感の白い壁紙と薬品の匂いに包まれていた。窓が開いており、柔らかな風が吹き抜けていた。
「フォークくん、昨日の疲労が濃かったのかしら~」
「昨日、ですか?」
 ついてきたタルトが、ベッドの上で薄いシーツをかぶるフォークを見て、呟く。
「今日は針使っていたでしょう? いつもは木のナイフなのに」
「でも、病み上がりなのにあんなに動けるなんて、凄いです!」
 タルトは見逃されたとはいえ、もうこの町にはいられない。
 フォークは天井のしみを数えるように見つめて、ぎゅっとベッドの上にある手を握りしめた。
「クライス・ベルドルードを頼って。タルトくん」
 なにか書くものを、とフォークはウィズベットに視線を送ると、彼女はメモ帳を一枚ちぎってフォークにペンごと渡す。
 上半身を起こし、フォークはさらさらと考えていた言葉を書き記す。
「よしっと。これを軍の人に見せて、フォークからベルドルードへって言えば、通じるはずだから」
「いいん、ですか?」
「どうなるかはわからないけれども、悪くはならないと思うよ。ね、軍人のお兄さん」
 いつの間にか、出入り口付近にあの軍人の青年が立っていた。
「もともと、あの連中は検挙する予定だった。まあ、たった二人の素人に制圧できるとは思わなかったが」
 肩を竦めると、彼は空色の髪を見せた。
「ちょうど、中央司令部に戻る予定だった。正体を明かしても、クライスと知り合いなら存じてるだろうな」
「暗部の人、なんだ」
「まあな。クライスよりは先輩だ」
「タルトくんのこと、よろしくお願いします」
「それは、彼次第だ。クライスが手を入れるなら、心配することはない、キルストゥ」
 わかっていたのか、とフォークはアホ毛をいじって苦笑する。
 面白いものが見れたと言わんばかりに、彼はタルトを見つめる。
「軍には技師が足りないからな。使えるものは、なんでも使う」
「タルトくんが~、犯罪に関わってたとしても~?」
「今の暗部なら、過去の偽造などお手の物だ。それに、ここは首都から遠い。問題は、ない」
「行ってきて。必ず、ぼくも旅が終わったら顔を出すから」
 不安げなタルトを見つめて、フォークは微笑んだ。
 それを見つめて、タルトはこくりと頷く。
「決意が固まったようだな。善は急げだ。行くぞ」
「は、はい!」
「怯えるな。スリ程度、いくらでもひねりつぶせる」
 何度か面識があるのだろう、タルトは緊張し、軍人は薄っすらと寒い笑みを浮かべた。
「電車で行く。下請けの雑魚は、車で運ばれる予定だからな。本来なら犯罪者を軍に入れるのは反対なのだが……」
 ちらりと、真剣なフォークを見る。
「ああして見られていると、それも無理な相談だと思い知らされるよ」
「安全は、確保してあるのね~」
「おっと、記事にはしてくれるなよ、記者のお姉さん」
 薄っすらと色素の薄い青髪の青年に、ウィズベットはウィンクで答える。
「料理雑誌の記者が、スキャンダルなんて書かないわ~」
「信用できないところが怖いな」
 と言いながら、タルトに来いと、手招きする。
 後ろ髪を引かれているタルトだったが、フォークを見てメモを見下ろした。
「大丈夫。クライスくんは困ってる人を見捨てたりしないから!」
「――そうか。クライスの、友か。そろそろ行くぞ」
 どこか嬉しそうに笑うと、彼は背を向ける。
「あ、はい! それじゃあ、お二人とも、ありがとうございました! また、会いたいです!」
「牢屋ならいつでも会えるがな」
「いじわるな大人ね~」
「大丈夫。その手を見て、軍が放っておくわけがないからね!」
 ウィンクして、フォークは去っていく軍人とタルトを見送った。
「ところで、ウィズベットさん」
「ん? なにかしら~?」
 口を一文字に引き締めてから、フォークは口を開いた。
「昨日、なにがあったんですか?」
 ふふっと、ウィズベットは艷やかな笑みを浮かべ、人差し指を口に当てる。
「それは、フォークくん自身が思い出さないとだめよ」
 と、軽く流されてしまう。
 疲労するほどのことで、次の日まで引きずること。
 茶色のアホ毛がぴこぴこ動くが、フォークは難しく考え込む。
「あらら、ふふっ」
 真剣に考える彼を優しく見守り、ウィズベットはくすりと笑みをこぼした。
 わざわざ答えを言う必要はない。彼女はそう考えて、口を閉じる。
 優しい風が、通り抜けていく。
 二人きりの病室で、ウィズベットは黒瞳を細めた。
「今頃、セプテットちゃんやウィンストンくんたちはなにしてるかしらね~」
 なんて呑気なことを言いながら、彼女は静かに遠くを見つめた。
 空は、謎を飲み込んだままでいいというような快晴だった。