朝は、いつも通りやってくる。
「起きなさい」
春を感じさせるピンク色の制服に、その他身支度を完璧に整えた茶髪の車いすの少女――セプテットが告げる。
「むにゃ――そこはぁ、アーモンドでぇ――」
「寝てもなにか作ってるのかこの、馬鹿はぁっ!」
さすがに手刀など身体が武器の塊なセプテットは、布団をはぐことを選んだ。
護衛主に殺意を向けながら。
「死んだわよ」
重く我慢を押し殺した口調だった。
「あの長老が、よ」
ウィンストンは、一気に目が覚めた。
高い崖に囲まれていながら、開放的なほど広い不思議な結界内はざわざわと賑わっていた。
否、セプテットたちが昨日いた店の入口に、線だけが書かれており、着物の青年が手際よく現場を保存していく。
店から数メートルは立入禁止のごとく規制線がはられて、遺体はもう片付けられていた。
「なにがあったんですか?」
「ああ、昨日の少年少女か」
オッドアイの青年は、住人たちが道を左右に動いて道を作り、二人の元に来た。
その瞳は、悲しげにまつげを伏せ、悔しげに口をしばし、閉じていた。
「急死したとは聞いたけれども、まるで殺人事件があったみたいですね」
ぎゅっとセプテットはウィンストンの不安げな表情を読み取って、使命感から訊ねた。
「そうだ。昨日の、長老が殺された。犯人は、この町の住人と見ている」
ウィンストンは息を呑み、セプテットは探るように青年――ハフノンに注視する。
「ここには、警備の軍人はいないのかしら?」
「ああ。出られなくなった人がいたことがあって、それからここは、一種の治外法権だ」
「えっと、大丈夫なんですか?」
住民のざわめきが大きくなる。
ハフノンは、悲哀を込めて微笑んだ。色の違う目が、はっきりと開かれる。
「きみたちの事情聴取はしないよ。宿の主人から犯行の夜、部屋から出た形跡もないし、動機もないことが証明されてるからね」
「それはそれで、粗雑な気がするけれども」
セプテットに同感だと、犯人扱いされていないことは嬉しいがウィンストンは理由を求める。
決まり切った言葉を、ハフノンは告げた。
外部の二人にとってだけ、非常識な言葉だった。
「きみたちが窓から出た痕跡もなし、宿の結界を出た形跡もなし。疑う理由があるとすれば、長老に恨みを持つことだが――」
「出会ってすぐ意気投合してたから、その線もないのをあなたは見ている。面倒事に巻き込まれる前に、ここから出ましょう」
ぎゅっとハフノンを見つめて、ウィンストンを見上げる。
「いや、犯人を見つけて、動機とか聞こうぜ。このまま犯人不明のままじゃ、この人から教えてもらったこと、無駄にしてしまいそうだし」
セプテットと青年は、顔を見合わせて目を閉じ、同時に息を吐いた。
「無実が確定している部外者に、関わってほしくはないんだが……」
着物の腕を組んで、彼は保護者としてみているセプテットを見る。
「今日一日で見つけるわよ。それが、リミット。外に待たせている人もいるんだから」
車椅子の車輪を巧みに動かして、ウィンストンの目の前に出る。
「わかってる?」
「ああ。でも、いろいろ教えてくれた人を見捨てていくのは、気分が悪いから」
「自己中心的だな、お前」
ここにきて聞き慣れた男の声に、だんっと地面に降り立つ影を見る。
「ガーフィ、か。遺体は、調べてもらっているか?」
「揉み合いだったって線が濃厚だとさ。寝てたら家の中だろ? この結界の町に住んでる人間の犯行なのは間違いない」
「あなたも、私たちが犯人である可能性は切り捨ててるのね」
ガーフィは腕を組み、にっと笑った。
「宿にはなにか問題を起こされた経験から、宿の人間には出入りの結界をハフノンが張ってる。異能力者ならともかく、イレギュラーとはいえ一般人がそれを通過するとは思えねえ」
「イレギュラーだけなら疑いもしますが、昨夜のやり取りを知ってるので、わざわざ殺しはしないと判断しているのですよ」
「そのイレギュラーってのは知らないけど、無実なら、調査を手伝う口実にもなるだろ」
「いーちーにーちーだけよ。本当なら、もう少しいてもいいけれど、殺人犯が見つからなかったら出ると覚悟して」
「セプテットは、軍人としていいのか? 犯人を見逃すの」
冷めた目で答えが帰ってきたので、ウィンストンはこくこくと頷いた。
「今日は観光客は入れないようにしている。出入りもな」
「ハフノン。あなたは結界の出入りがわかるの?」
首を横に振った。
「あれは巫女しかわからねえよ。でも、犯人は揉み合ったってことは、長老だと知っている誰かになる」
「たしかに、私たちは偶然あの老人に会ったものね」
「そうだな。んー、ってことは、少なくとも前から知っているやつに限るってことだな」
そこで、着物の青年は、こめかみを揉む。
「この町に住んでる人間なら、たいてい知っている」
「挨拶するもんなー」
ガーフィが付け足すと、セプテットの視線は冷え冷えとしていた。
「それなら、誰もが容疑者になるわ。長老――でいいんでしたっけ? 宿に泊まっていない外部犯の犯行ってことはないの?」
「巫女が外で昼夜、結界の人間を――いや、あり得る、のか」
はっと、ハフノンが目を見開き車椅子の少女の肩を掴む。
「本来なら、我々の問題だが、協力を要請する」
「軍人の仕事ってわけね。雇い主もやる気満々なので、私は構わないわ」
セプテットは茶髪を揺らすと、すっと車椅子のハンドルを持つウィンストンを見上げる。
「う……わかった、わかったよ。それじゃあ、結界の外に行こう」
「すまないな。外には出られなくて」
「はー。あのキルストゥに頼まないとならないのは、しゃくだがなー」
お願いします、や必ず犯人を見つけてください、といった声に背中を押され、二人の客人は結界への道を行く。
瞬間、セプテットは車椅子から立ち上がるとウィンストンを思いっきり蹴り飛ばした。
彼は、なにが起きたのかわからないままに、地面に膝をついてセプテットのスカートをぼうっと見る。
微かな、音は木製の古くからの家の外装を中まで貫通していた。
ちょうど、セプテットとウィンストンの首がある位置だった。
「――は?」
「ハフノン! 誰!」
とっさに着物の青年の名を呼ぶが、周囲を見渡しているということは、犯人ではない。
「誰だ、犯人か!」
セプテットはガーフィも同じく理解していないことを知ると、外部犯か内部の魔の犯行だと当たりをつける。
外に出られる人間にみられると困る、ということは。
「昨日、ここに入って出られなくなった者がいるっ!」
腹からハフノンに伝わるように声を張り上げ、セプテットは金属で包まれた足を使い、ウィンストンを抱きかかえる。
「魔じゃないなら。人に擬態できる存在がいるってことよね!」
「ああ、そうだぁっ!」
瞬間、集まっていた住人たちが、天へ噴水のごとく血しぶきを上げた。
空中に、まるで祭りの風船のように十数人の首が舞う。
それぞれが驚愕に見開かれたまま幾人もの惨劇の幕開けのように。
「だぁああぁれだぁああああっ!」
ガーフィの丹田からの怒り声に、セプテットは抱えているウィンストンに告げる。
「これから地面に下ろすけれど、絶対立ち上がっちゃ駄目。相手は――只者じゃない」
幾人かの異能力者と戦ってきた経験から、セプテットは相手は人外だと判断する。
それは、逃げ惑う人々の中、数人の男女が冷静に人々を避難させている姿を見て、確信に変わった。
ここの住人の一部は、キルストゥで言うところの魔みたいなものだろうと、セプテットは当たりをつける。
寿命を失った、星空に繋がる幾億もの奇跡と通じた人ならざる者。
慣れている、のは。前回からずっと生きており、経験があったからだと理解する。
魔か。それとも、異能力者か。
魔なら、セプテットでも対抗する術はない。
だが異能力者なら、慣れている。
「ウィンストン、地面にはいつくばって、結界目指して外に伝えて」
「お、おぅ」
イレギュラーと呼ばれてはいたが、彼を無事に結界の外へ出せれば問題はないだろう。
ハフノンも、ガーフィも、そして首が潰れる音を聞きながら、緑色の彼は現れた。
「すみませんね。ここから出るための方法、皆殺しだと聞いたんです」
聞けば真実だと思ってしまいそうな声が、ハフノンたちの更に奥――まるで新緑の森から産まれたように、でてきた。
目は細目、緑色の髪の毛は後ろでまとめているようだ。
両腕を露出した手は、あの長老を暴行するのは簡単のような筋力だと、セプテットは遠目から見えた。
「自然神――か」
ハフノンは目を見開いてその名を呼び、ガーフィはあまりの怒りに彼へびりっと上半身の衣服を破り捨てた。
「自然神――?」
セプテットの困惑に、ハフノンではなく逃げ惑う人々の悲鳴、その中でさえ綺麗に太い声が届いた。
「この世界の自然が擬人化した、魔よりやっかいな存在だよ。まさか、中にいるとは思わなかったが」
風が、盾のようにガーフィの拳を防ぎながら、彼は微笑む。
「数日前からいましたよ。ただ、出ようとしても、結界以外の出口が見当たらないために、それを解こうと思ったのです」
「ぐ……おぉ……こ、の……」
「長老さんから、人間を皆殺しにすれば出られる、と聞いていたのですが?」
クエスチョンを軽々しくつけながら、彼は地面に散った朱色に染まった地面を見下ろす。
場が、凍った。
「違うのですか?」
小首をかしげる彼に、ハフノンは人が避難して開いた道を歩きながら、はっきり言った。
「命乞いの嘘か、混乱して思わず漏れた本音だろ」
彼を長老に命名した責任に、強く拳を握りしめた。
「いいか、お前はここから出られない。自然神も、寿命がないからな」
「ではなぜ十年生きられる者は出入りできるのですか?」
「死者はな、年齢がないんだよ。この様子じゃ、自然神もそうなのだろうな」
「ふむ……困りましたね」
緑の男は、腕組みをして口を一文字にした。
「人を無駄に殺してしまったんですね……それも勘違いで」
「てめぇ、こんなに殺しておいてただで逃がすと思うかぁ?」
ガーフィの怒気に、彼は怯むことなく緑の束ねた髪をなびかせる。
「逃げる、というより、ここは私が悪かったのですが……」
言いながら、彼は人差し指を上から下へ下ろすと、ガーフィの拳ごと吹き飛ばした。
「がっ、く……」
家にめり込んだ彼は、血の池ができた地面に、ゆらりと立ち上がる。
「あなたと戦う気はありません。出る方法があればそれを知れれば大人しく立ち去りましょう」
風の自然神の言葉を聞きつつ、何気に結界へ這っていたウィンストンは、あ、と閃いた。
「空気なら、ふつうに通れるんじゃ――」
もう結界に手が触れそうになっていたウィンストンの言葉は、ふつうなら風にさらわれて消える。
そう。風の自然神は、確実にその言葉を拾っていた。
「空気とは、なかなかいい着眼点をお持ちの方だ」
ハフノンもガーフィも、そしてセプテットさえも、彼が玩具を手に入れた幼児の無邪気な笑みに固まる。
「そんなこと、誰が言った?」
周囲を警戒するハフノンは、長年存在してきたがゆえに、遠目だったがウィンストンの姿を見た。
「おい、ハフノン! こいつ、逃がす――」
「いや。もう二度と結界に入らせない。出ていって、二度とここには来ないでくれ」
オッドアイの左目が、太陽の反射ではない光を宿す。
「――ほぅ。強制の命令権か。これまた神殺しがいるところには、いるものだな」
命令権。ハフノンが死に際に手にした、二つの星と契約を結んだ際に手に入れた運命を観る能力と、セットの強制執行。
通常は使えば反動もあるが、彼はそれすら克服している。
「自然神にも有効とはね。ここの結界の守護者さんは長老だと思っていたよ」
目を閉じると、ガーフィが納得がいかないとハフノンを睨みつける。
自然神がゆったりと歩く道には、肉片と血が散っていた。
人を殺しておいて、罪の意識すらない。
一矢報いることさえできない。
「ハフノン!」
だが、彼は弱かった。
「ここは、いい町だったよ」
挑発するようにすり抜けていく彼は、緑色の疾風のようで。
無力な守護者を、わらっていた。
唇を噛みしめるガーフィは、それを一番嫌な形で見せられた。
そんな彼を見て、安堵したのはセプテットだった。
風の自然神を見て、敵意がないことを確認した彼女は、さっさと車椅子を開いて座る。
「その足、悪いのかい? さっきは立っていたようだけれども」
耳元で囁かれて、セプテットも敵意を向ける。
しかし、緑髪の自然神は、両手をふらふらと振った。
「風の神様――性質が悪いのね」
「いや。彼の声は、なぜかあの距離でも響いたからね。こっちが驚かされたよ」
セプテットは、ウィンストンがイレギュラーと呼ばれていたことを思い出す。
しかし、どうみても一般人としか思えなかった。
「で、私があなたを倒すとは思わないの?」
「神様を殺せるかい? 風どころか、空気にもなれるのに」
「だったら、こんな惨劇を起こす理由はないじゃない」
「発想がなかったんだよ」
なんとなく、二本のアホ毛持ちの護衛対象を思い浮かべて、セプテットは息を吐いた。
「空気になれるのに、外へは出られないの?」
「人型が一番楽だからね。いろいろとできるし、それに、条件も揃っていないと空気に戻ると面倒でね」
「セプテット! だ、大丈夫なのか?」
ちょっ、と驚きを隠さない彼女は、立ち上がって駆けてくる馬鹿男に声を出す。
「――っ!」
音が出ず、唇だけが来るなと言葉を発していた。
「な、なにがあったんだ? え、なんかこっち――」
「護り手が言っていたイレギュラーか。外に出たいんだ。彼女の声を出させる代わりに、一時空気になる私を肺にとどめてくれないか? 結界を通り抜ける際は、息を止めて欲しい」
「別に、そのくらいなら、いい、が――」
必死な表情のセプテットの唇だけが動いてる。
「せ、セプテットになにかしたのか?」
震える声のウィンストンに、自然神は頷くだけだった。
「――空気になれるなら、最初から結界を抜けられたんじゃない、ですか?」
危険に腕の震えが止まらないが、ウィンストンは勇気を振り絞って言い切る。
「空気になると、不都合が多いし、風に吹かれて結界の外に確実に出るのは不可能だ、と思っていたんだがね」
緑色の神は、車椅子のハンドルを握る。
「外と中を出入りできる人間は、今は君たちしかいないみたいだし。体内に入れば結界も空気を通すはずだ」
「それを、誰に、させる、つもりだったんだ?」
心配げにセプテットを見ながら、ウィンストンが精一杯の見栄をはる。
「イレギュラー。なに、肺の中で空気となるだけさ。外に出れば、すぐに風に飲まれて消えてしまう」
「イレギュラー? そういえば、着物のオッドアイの人も言ってたけれど……」
「ウィンストン、はぁ、あんたよ」
と声を出してから、セプテットは声が出たことに驚いて振り返る。
「脅して悪かったね」
緑色の自然の神は、どこか哀愁を漂わせて軽く頭を下げた。
そしてハンドルを手放した彼は、邪気のない子どもの笑みを浮かべた。
「協力、してくれるかい?」
ウィンストンはいまいち状況が飲み込めなかった。
だが、セプテットがなんらかの害意を与えられて、攻撃しなかった人だ。
自分ではかなわない、ということはしっかり理解していた。
「……いいぜ。じゃあ、さっさと結界の外に行こう」
迷いを吹っ切るように、ウィンストンが言う。
「その前に、荷物取りに行かないと。良いだろ?」
「そうだね。私は結界の前で、待っているよ」
そう呟くと、彼は空を見上げる。
「それなら、私が行くわ」
ウィンストンに、あの惨状を見せるわけにはいかなかった。
たまたま入った、死者を通さないキルストゥが張った、遠い昔の結界。
「気が変わらないうちにいくわよ」
「お、おう……」
セプテットは器用に車輪で自然神の男に背を向けると、さっさとハンドルを握れと目でウィンストンを促す。
鉄錆の臭いが濃くなる中、生き延びた人々が口元を押さえつつ死体となった身体と頭に布をかけていた。
「風、か?」
「宿屋は無事みたいだから。あんたは、振り返ったりしないほうがいい」
淡々と悔しさがにじみ出る言葉に、ウィンストンは頷いて動き出す。
「ここで、いいよ、二人とも」
ざっと、草履が地面の小石を蹴った。
「ハフノンさん!」
「それは、私たちの荷物?」
セプテットが目を見開くと、二人分の荷物があった。
「宿屋に行く時間が惜しいからな」
セプテットの膝に、オッドアイの青年――ハフノンが荷物を丁寧に渡す。
「しばらくは、結界内の観光は中止だと巫女に伝えてくれ」
「そう、ね。って、この巻物?」
「ああ。彼女は中には入れない。が、管理者直筆を見れば、納得してくれると思っている」
はっきり言い切った彼に、セプテットは半信半疑ながらも黒い彼を見る。
「良い旅を――なんてな」
「いいえ。あれを外に出せば、いいのね」
「二人でなんの話してるんだよ」
蚊帳の外のウィンストンに、二人はくすりと笑みをこぼした。
「ここは、生者の――未来ある人間のいつくべき場所じゃないってことだ」
意味がいまいち理解できないウィンストンを説得することもなく、セプテットはハンドルの温かい手に触れる。
「それじゃあ――なんか、死ぬかもしれない気がしてきたけれども、行きます。もっとここのこと、知りたかったですが」
本心を吐き出すと、ウィンストンはハフノンに背を向ける。
「じゃあ、ありがとう」
「どうか、無事に旅が終わるといいな」
懐かしい背中を見守るように、ハフノンは二人の旅人を見送る。
「ってことで、魔はそろそろ生き返ってるだろ?」
血溜まりの中、布を彼らはそっと外す。
「よかったのか?」
「見させるわけにはいかないだろう? 醜いここの、住人の真の姿を」
ハフノンはそっと告げると、首なしの胴体が数人だけ、起き上がる。
それを慣れた手つきで元に戻していく。
「ふぉふぉ、あの二人には見られたくないからのう」
殺されたはずの、長老もぺっと血を吐くとゆっくりと歩いてくる。
「くそっ! 止められなかった! 魔じゃない奴らは、ただ殺され損じゃないか!」
「ガーフィ。見抜けなかった、オレたちの落ち度だ。本物の自然神なら、自然に違和感を感じるわけがない――それを見逃したのは、オレだ」
ハフノンは彼岸花柄の黒い着物越しに心臓を触る。
「いつもここはそうだ。誰も、守れないのはオレだ」
「ハフノンは、あんたのせいじゃないだろ――」
「しばらくは、血の臭いが町にこもるな。それこそ、風で飛ばして欲しかったが」
皮肉を漏らすと、ハフノンとガーフィは空を見上げる。
「あの神だから、この程度で済んだ――そう思おう」
がっと、地面をガーフィは殴りつける。
血を吐くように。
「今度こそ、次こそ――守り抜いてやる、この場所を」
固い決意は、小さなクレーターを作っていた。
結界の手前、警備なのか黒い厚着の青年と、緑の神が談笑していた。
眩しい空の下、人々を惨殺したとは思えない無垢さに、セプテットは長年の軍人として戦った経験から危機感を抱いた。
あれは、人ではない。と戦ってわかった。
だが、どうにもならない。彼を出し抜く手段が彼女にはない。
「あ、お待たせしました!」
ウィンストンが車椅子のハンドルから手を離そうとした時、柔らかな指がそっと手に触れる。
「え、セプテット……?」
「気をつけて。もしなにかあったら――なんとか、してみせるから」
聞こえないだろう小声でセプテットが告げると、ウィンストンはなにを言ってるんだ、と屈託のない笑みを浮かべる。
「問題ないって! それに、セプテットは護衛なんだろ? 頼むよ!」
ぎゅっと、彼女の指をゆっくり離して、ウィンストンは緑髪の男へ向かった。
「遅くなりました!」
「おや、出るのか」
「はい! 結界の外に出るって話でしたけど――人を殺したあなたを、許せません」
きっと目をつり上げて、ウィンストンが驚く自然神を見た。
「でも、事情があるのでしょう。死なないことなら、手伝います。軍に引き渡すためにも」
「あー、それは、無理だよ」
と、談笑していた青年が、茶色の髪をかきながらウィンストンに笑いかける。
「この結界の町には、軍人も関与できないから。殺人をしたとはきいたけれども、裁くのはハフノンさんだ。彼が無理なら、誰もできない」
「証拠もないものね……」
セプテットの言葉に、でも、と声を続けようとするウィンストンへ、緑の男は肩に手を置いた。
「たとえ外の人がこのことを知っても、今回は住人以外はいなかったから、らしい。住人は外と出入りが基本的にできないというし」
納得いかない顔をする心優しいウィンストンに、セプテットも唇を噛んだ。
「治外法権……」
「全く。好奇心は猫も殺す、だったか。悪いことをしたと思ってるよ」
それを受け流している警備員に違和感を抱いたが、セプテットはそれより、と咳払いした。
「で、空気になれるなら、ウィンストンを使うんでしょう? どうするの?」
「一度ふつうの空気――酸素などと同じ成分になるから、ふつうに吸って、息を止めて結界を抜けて欲しい」
「駄目だったら?」
「前も仮死状態で抜けたやつもいたから、大丈夫じゃないか?」
「――なら、あんたも仮死状態になれば? 神様なんでしょう?」
セプテットの指摘に、神は首を横に振った。
「人間と同じ構造をしているけれども、自分から仮死状態にはなれないよ。下手したら、力が暴走する」
「つまり、人みたいだけど死にかけるとなにが起こるのか正確に把握はできないと」
「そう。空気になる程度ならいい。ただ、それを吸ったら息を止めて一気に結界を超えてくれ。止まると思わぬ反応がでるかもしれないから」
神の言葉に、ウィンストンは頷いて、車椅子から離れる。
その歩みがなぜか遠くに行ってしまう仲間に見えて、セプテットは立ち上がりかける。
「もう、人を殺さないでくれ。悪人でも」
「ん? それが、身体を貸してくれる条件かい?」
細い目をさらに細めて、緑色の風の自然神は確かめる。
「ああ。死んだとしても、あんたは生きてそうだし。無駄な殺しは、しないで欲しい」
しばし、場を飲み込むような静寂があった。
「了解。そういうことなら、努力しよう」
「まあ、なんかあんた、天然だよなぁ」
そうして、ウィンストンは結界の板にも鏡にも見えるものの前に立つ。
「では、これから空気になる。――外に出ても、私はいない。たぶん、二度と会うことはないよ」
「え?」
「じゃあ、始めよう。さあ――息を吸って」
ウィンストンはまるで操られるかのごとく、深呼吸をして結界を超える。
膜を通り抜ける感覚は、最初と同じだった。
そして、視界がひらけると、息を吐く。
途端、異様な姿が目の前にあり、唖然と残された二人は言葉を失う。
「って、呆けてる時間はない!」
「そ、そうだな。彼らによろしくな、女の子!」
実年齢としては女だと言いたくなったセプテットだったが、無視して車椅子の車輪を勢いよく回す。
その乱暴な運転に、セプテットが声を上げた。
「ウィンストン!」
「――あ、セプテット?」
しばし、焦点の合わない土色の目が、護衛の姿を見て首を傾げる。
「あの男は?」
「数年は、人型に戻れないから、空気として存在する、んだって」
眉を寄せ、ウィンストンは砂が風にさらわれていくのをみつめる。
「あとオレを助けてくれたみたい」
呼吸が楽になり、ウィンストンは深呼吸をして、息を吐いた。
「助ける? どうして?」
まったく意味がわからないセプテットが、眉根を寄せてのんびりと振り返る。
「ここに長居すると、出られなくなっちゃう可能性があったんだって」
「待った。どうして、そんなことがわかるのよ」
「彼を体内に取り込んだ――吸い込んだ時、声がしたんだ! 長老が外に返さないって言ってたんだとか」
「だから、長老を殺したの?」
ウィンストンは首を傾げて、セプテットに近づく。
「そういうわけではなくて、オレがイレギュラーとかいう理由で、長老が結界を操ってると考えて試したんだとか」
「イレギュラー……ハフノンも言ってたわね。運命でも変えられるのかしら?」
「それはわからないけれど。ただ一つ確実に言えるのは、こうでもしないと長居しようとするオレたちを長老は閉じ込めただろうってことらしい」
本当かはわからないけれど、と料理人志望者が告げる。
「ん? ウィンストンの荷物から冊子がはみ出てるわよ」
すっと、セプテットがそれを手を伸ばして引っこ抜く。
「――あの神様の言ったこと、正しかったようね」
「だな」
ぱらぱらと、その中身を見た二人は、くすりと笑みを深める。
「それはレシピかしら、二人とも」
仁王立ちして、黒い巫女装束の少女が目の下に隈を作って立っていた。
「巫女さん――」
きっと睨みつけてくる姿に、セプテットがウィンストンの前に守るように陣取る。
「あ、これ。中の人から」
「結界内で、異常があったのはわかってる。だから、観光客は追い返しているわ」
「なら、正解よ、その対応。これ、預かってる」
そうして、ウィンストンから巻物をひったくり、黒い巫女へと投げ渡す。
「しばらくは観光客を入れるな――だそうよ」
食い入るように見入っていた巫女は、なぜか顔を悲しげに歪めた。
「物事は、繰り返すのね」
その言葉の真意が受け取れず、セプテットとウィンストンは顔を見合わせる。
「しばらく、結界への観光客の出入りは禁止。了解したけれど、これ、外の町長にも渡してきて」
「あのねぇ」
「軍人は、一般人を守るためにいるんでしょう? それとも利権のため?」
明らかに挑発するための言葉だったが、言葉の裏に秘められた意味に、ため息を付いて受け取った。
「あなたのために、必ず町長に渡してくるわ」
観光名所が一つ、潰れた。
がそれはウィンストンやセプテットが寄ろうが寄らなかっただろうが、関係はないものだった。
けれども。
胸の内に残るしこりを思うと、セプテットは深く、遊撃隊として働いていたときのようなもやの残る後味の悪さを味わった。