結界の町とキリエル教の襲撃と

 どうしてだ?
 なぜ、こんなことになったんだ?
 音もなく逃げる刈り上げた黒髪、そして青い瞳に涙をためながら、男は内心、悲鳴を上げていた。
 どこにでもある密売組織の人間で、この閑散とした観光地に身を置いていた組織が一つ、壊滅したという。
 それはいい。
 別の組織のやつのへまだ、関係ない。
「ここから、右に曲がる――」
 歯を食いしばって、男は叫ぶ。
 追いかけてくる者の気配はわからない。
 なにも、悪いことなどしてないはずなのに。
「ひぃっ」
 鍛えていた身体に、対しそれは小柄だった。
 だが、白いローブに身を包んだ彼は、獲物を逃さんとばかりに顔を見せずに追いかける。
 白い、死神。
 男が所属した組織で、数日前からそんな噂が聞こえていた。
 あり得ないと一笑したのに。
 なぜ自分が狙われるのかと目を見開いた瞬間、男は背中に蹴りを入れられており、地面に叩きつけられた。
 土の味が口内に広がると同時、彼の命運は尽きた。
「――雑魚、だった」
 ぽつりと、ローブ姿の彼――少年ともいえるほど幼い姿の白い姿は、飲み込まれるように影の中へ消えていった。



 曇り空の中、気持ちの良い風が吹き抜ける。
 十年以上生きる人間しか入れないという結界のことを、なんとはなしに考えながら、フォークは茶髪のアホ毛を揺らしながら歩いていた。
「うーん」
「どうかしたかしら~?」
 横からかけられたのんびりとしたウィズベットの声に、フォークはがっしりした体格に似合わず、後ずさった。
 長い黒髪を編んで前に垂らし、白いジャケットを羽織っている。
「賑わっているわね~」
 屋台が立ち並ぶ、観光客向けの道を歩く二人は、姉と弟に見える。
「先輩、羨ましいなー」
「そうねぇ。ふふっ」
 真っ白な綿飴を、指で乱暴にちぎりながら、フォークは目を伏せた。
「毎日が縁日みたいね~」
「お祭り?」
「そう。だから~、フォークくんも明るい顔しないと~」
 もったいない! とウィズベットはメモ帳片手に楽しげに笑った。
「そうだね、ウィズベットさん!」
 言われて、フォークは口の中でとろける味に身を浸しながら、指についたそれを舐める。
「あら、もう町の外れまで来ちゃったわね~」
「遠くにバスが見えるね」
 アスファルトで舗装された道の先は、色とりどりの大型バスと、乗用車の数々だった。
「びっしり埋まってる……」
 ぐるりと一回転し、来た道を振り返る。
「あ、あれってセプテットちゃんたちかな~?」
 駐車場とは反対側の砂塵がある崖のほうから、人影が見えた。
 思わず一人に見えそうだったが、フォークは車椅子を押す二人を見慣れていたのでわかった。
「ん? あれ、入ってからまだ一日しか経ってない、よね?」
 その違和感に、フォークは目を丸くする。
「フォークくん、目がいいのね」
「え? あ、あはは」
 少し斜面になっているため、崖は圧迫感を与えるものの、南中に上った太陽を隠すほどではない。
「単に、二人以外に、あんな身軽で降りてくる人はいないって思ったんです」
「どれどれ、メールメール……は届いてないわねぇ~」
 ウィズベットがノートパソコンを開いてふう、と息を吐いた。
「なにかあった、と考えるべきね~」
「それじゃあ、急いで二人のところに行こう!」
 今にも駆け出しそうなフォークの襟首を遠慮なくウィズベットが掴む。
 パソコン片手に、なのでなかなか器用な身だ。
「焦ってもいいことないわ~。とりあえず、軍の詰め所に行きましょう~」
「え、でも急げば」
 言いかけるフォークの口から、ぐげっともっと襟首を力を込めて掴まれる。
「セプテットちゃんが、なにかあったから外に出たと考えるのが自然よ~」
 さらっと言うものの、ウィズベットはあの巫女が動かないということに目を細める。
 なにか、観光客を追い出さないとならない事態が起きた。
 取材に行きたい。という過去の経験からくる好奇心を押し殺しつつ、屋台の並ぶ中へフォークを引きずっていく。
「あ、ある、歩くからー! 手、手を、離してくだされー!」
 喉を締め上げられていたフォークはウィズベットになんとか叫ぶと、嘘のように手を離された。
「さあ、行くわよフォークくん! 事件が待ってるわ!」
「料理に事件は関係ないのでは……」
 当然のことを口にしたフォークなど気にせず、逆に先走る彼女を見失わないように、ウィズベットを追いかけた。



 屋台の裏、人気のない路地裏の一角に、白いローブから二本のナイフを取り出した彼がいた。
「妹を、取り戻す」
 目的ははっきりしていた。
「宗教団体、キリエル――犯罪組織の表の顔」
 陽光を避けるように、彼は腰を抜かした女へナイフを向ける。
「知っているんだろう?」
「し、知らないっ、確かに、キリエルを立ち上げたけれども、と、盗られた!」
 ヒステリックに叫ぶも、賑やかな遠い屋台には声は届かない。
「とら、れた?」
 ぽつりと、単語を繰り返す。
「あなたも、知っているでしょう? キリエルは――」
 口を開いた彼は、とっさに感じた風の変化に大きく前触れもなく上に跳んだ。
 そして、ローブの裾が切れた先にいた女へ、銃弾は届いた。
「――腕がいいな」
 緑色のショートヘアに、細目。
 それだけならどこにでもいるが、泥が詰まったような殺意に満ちた緑の瞳に、ローブの彼は舌打ちした。
「教祖様直々のお出ましか」
「よく喋るのは、いけないことですから」
 野花を手折るような発言に、緑に包まれたローブの女性は銃を構えて、事切れた元教祖の上に乗った彼を見つめる。
「妹、とおっしゃってましたが、彼女はもう大事な信者です」
「なに、馬鹿なこと言ってやがる! あいつは――え?」
 通りから駆け抜けてくる影に、ローブの少年は目を疑って。動かなかった。
 まるで幽霊を見るかのような目だった。
「よくできましたね」
「にいでも、教祖さまに歯向かうなら、殺しちゃうから」
 一欠片も邪気のない声で彼女は告げると、手にしていた研ぎ澄まされたナイフを引き抜く。
 白いローブが、鮮血に染まり、ナイフを落として彼は地に足をつける。
「さあ、あなたもキリエルが回収して、」
「こっちだ、銃声がしていたのは!」
「なんだって非番だったのに……」
 緑色の教祖の声を遮るように、少年たちの声がする。
「すぐにここを離れますわ」
「はいっ! 教祖様!」
 元気よく返事をすると、白いローブの少年の妹は、兄を刺したことすら忘れて、背を向ける。
「―――っ!」
 名を呼んでも、血に塗れた手を伸ばしても、彼女にはもう、届かない。
 落ち行く意識の中、ローブの少年は口を開いては閉じて、黒に染まる視界の中、瞼を閉じたのだった。



 灰色の空がフォークの気分を示すようだった。
 アホ毛がぴこぴこ左右に揺れている。
「はぁ。賑わってるね―」
「そうね~。でも、もう三回目となると、慣れてきちゃうわね~」
 露店は相変わらず観光客であふれかえり、ここが異郷のような気がする。
 フォークは茶髪の髪をがしがしと掻きながら、長い溜息を吐いた。
「ぼくも行きたかったなー」
 そうしてちらりと目をやると、フォークのアホ毛がアンテナのようになにか発見して縦に伸びた。
 ウィズベットは瞬きを繰り返してから、その方向へ振り返る。
「露店……じゃなくて路地裏かしら~?」
「誰か倒れてる!」
 曇り空が少し割れて降りてきた光は、確かになにかがいることを示していた。
「目がいいんだから~」
 と言いながら、ウィズベットも救急車を呼ぶために行動を開始していた。



「あー、やっと外の町に戻ってきたー腕だるいー」
「やわな男」
 曇天の下、町長への巻物片手に、セプテットは車椅子を押すウィンストンへ冷ややかな目を向けた。
「やわで悪かったなー。てか、フォークと比べてない? あれ、絶対極秘任務とか受けてるから!」
 叫ぶウィンストンに、内心では同意しつつ、セプテットは町を見た。
「そう言えば、外の町の軍に中であったこと、伝えないといけないわね。行きましょう」
「町長に巻物渡すほうが先では?」
 ウィンストンの言葉に、茶髪の車椅子に腰掛ける少女――もう本来の年齢とはかけ離れているが――は振り返る。
「忘れていたけれども、私のほうが年上よ」
「いや、まあそうだけどさ……」
「まったく。今時の子どもにしては、――いえ、普通はこんな目にあったら逃げ出すのに、胆力あるのね」
 風で消えてしまうような彼女の言葉を知らないウィンストンは、内心にあるもやもやした感情に唇を尖らせた。
「そんなに大事なら、なんで見落としてたんだ?」
「失態もあったからね。……詰め所の場所はわかっているから、行きましょう」
 ぶつぶつと呟きながら、ウィンストンは目を細める。
「とりあえず、軍のとこか。腕痛いから自分でこぎませんか?」
「正直者は嫌いじゃないけれども、限度があるわ」
 あ、これは怒ってると察して、ウィンストンはセプテットに苦笑いをひっ込めて謝る。
「悪かった、これはオレの鍛える練習です、ごめんなさい」
「別にそこまで怒っては――ん? 人が揃っているわね」
 セプテットが告げると、確かにたたき売りでもしているのか、人々が集まっていた。
「いっぱいいるなー」
「嫌な予感がする。別ルートで軍人の詰め所に行きましょう」
 トラブルの種はどうしてこうも転がっているのか。
 十年生きられないと出入りできない観光地は、今や殺人現場だ。
 ここのことはよく知らない。だからこそ、セプテットは情報を集めるためにも、託されたことをしに行かねばならなかった。
「全く。面倒なんだから」
 口癖だね、と相棒からよく告げられて、今でも言われる言葉を紡いで、ウィンストンを酷使する。
「キリエル教は、天使様を呼ぶことによって世界を快適な空間に作り変えるのです!」
 近づくにつれ、胡散臭い文句に、ウィンストンを大通りから細い道のほうへ案内する。
「まったく……変な宗教団体か。キルストゥ関係かしら?」
「キリエルって語感似てるもんな」
 がらがらとアスファルトの道を通り抜けていく。
 セプテットは、町の地図を見て、指を這わせる。
「ストップ」
「ん? どうかしたのか?」
「ええ。町長の家のほうが若干近い。行きましょう」
 遠くから、天使様が囚われていると言う戯言がしたが、セプテットは無視した。
「あんな場所、行くんじゃなかったわ」
「そうか? 楽しかったけどな」
「風の神飲み込んで出る羽目になるわ、殺人平気でするわ、ろくなもんなかったじゃない」
「でもさ。全部が悪かったわけじゃないだろ?」
 すとんと真っ直ぐな言葉に、セプテットは目を伏せる。
「そうね。まずい物とか食べたからね」
「いやいや、それはちょっとずれてるけど楽しかったな、いろんな人に会えたしさ」
 ふわりと笑う料理好きの青年に、セプテットは驚いていた。
「前向きね」
「そうじゃなきゃ、こんな旅には出ないさ」
「次の町か村は、もっと平穏だといいんだけれど」
 イレギュラーと言われたウィンストンを思いながら、セプテットはフォークのことも思い浮かべる。
「強い力は、より強い力を呼び寄せる」
 誰かが言っていた言葉を口の中で転がす。
 ウィンストンは慣れてきた車椅子を操ると、道を曲がる。
 整理されたそこは、一車線の車が通れるくらいの舗装がされていて、ちょうど目の前にそれはあった。
「お、あの屋敷か? 自然が手入れされてていいな、あそこ」
 ウィンストンの言葉に顔を上げると、セプテットは苦笑する。
「いかにも、町長の家って感じね」
 そうして、ウィンストンは門のチャイムを押した。



 曇り空は、雨の色は孕んでいなかった。
 だからといって、安心できるわけではない。
「うーん、この人大丈夫かな?」
 軍人の詰め所にある、医務室で、フォークとウィズベットは彼を見下ろしていた。
「フォークくん、大丈夫だと思うわよ~?」
「ぎりぎり処置が間に合ったからのぅ」
 と、軍人ではなく正規の医者が駆り出されて軍人の医務室を見回した。
「ふつうなの?」
「いやぁ。そもそも、派遣されてる軍人も軍属も少ないからのぅ」
 医者はゆっくりとした動作で、整った顔立ちの少年の肩に触れた。
「致命傷でもおかしくはなかったがなぁ」
「発見が早くてよかったわ~。死なれたら気まずいからね~」
「うんうん、ありがとうございます、先生!」
 フォークは拳を作ると、頭を下げる。
「治療費は軍人に請求するからのぉ。お二人は、姉弟かね?」
「いいえ~。護衛と護衛対象ですよ~」
「ああ、最近は物騒だからのぅ。裏社会やキルストゥの保護、そして最近は建物発火かのぅ」
「建物発火?」
 ウィズベットは記者魂を刺激され、思わず問い返していた。
「そうじゃ。取材によると、地震が起きた後に煙もなく反社会勢力の基地が丸焦げになったとか」
「うわー、えげつないですね」
 裏社会の人か、と脳裏でフォークは弾いていると、小さく呻く声があった。
「ここ、は?」
「軍の医務室よ~」
 黒髪のウィズベットが顔をまっすぐ見つめて、有無を言わさず診察台に横たわる彼を見下ろす。
「腕が動かない……妹を、助けないと……でも、ここは天国か?」
「意識がまだ麻酔から抜けきってないみたいじゃな」
「でももうじきでしょう? わたしたちはそろそろおいとましますわ~」
「生きてるってわかっただけでも良かったし、待ち合わせしてる人が来てるかもしれないから」
 フォークは自責を感じていた。ウィンストンへだ。
 トラブルを引き寄せている。
 気のせいかもしれないが、これ以上深入りすると、また彼の旅を妨げてしまう。
 今回も、知らぬうちに迷惑をかけた気がしていた。
「寂しいのぅ」
「さり気なく身体触ろうとすると~、殴りますよ~?」
 老医者はそこにさり気なく込められた殺意を感知し、なにもないと首を振った。
 苦笑したフォークは、ゆっくり医務室の外へ出る。
「クライスくん、大丈夫かな」
 今は遠い場所にいる友達を思いながら、茶髪にアホ毛を生やした少年は、本来入れない軍人の詰め所の医務室から、人気のない道を外へと向かった。
「これで、良かったんですかね」
「それはわからないわ~」
 正直なウィズベットの答えに、フォークは肩を落とす。
「そんな顔してたら、心配かけちゃうわよ~?」
 ひょこっとフォークの俯いた瞳を射抜く瞳に、フォークはあ、と声を出した。
「さ、二人にも事情を話すのだから、早く行きましょう」
 にしても、人一人もいないわね~とウィズベットの声に、フォークは頷くことしかできなかった。
「フォークと、ウィズベットね」
「やっほうフォーク、ウィズベット。こんな早くに出ることになって、すまんな」
 曇り空の外に、待機していたのは車椅子を押している青年とピンクの上着がメインの女性。
 見知った二人、ことウィンストンは手を合わせ、車椅子に腰掛けて不機嫌そうなセプテットは、何気にフォークたちを睨みつける。
「ねえ、わかってる?」
「と、とりあえずセプテットちゃんが怒ってるのはわかってる」
「まあ、これは誰のせいでもないけれどね。ここを出るわよ。ウィンストンも、賛成してくれたわ」
 セプテットは青筋を立てていた。
「えっと……はい」
 なにが彼女をそこまで苛立たせたのか、車椅子を押すウィンストンにアイコンタクトを送る。
 後で説明する、とこくりと首を動かすと、ウィズベットも医務室から出てきて安堵の笑みを浮かべた。
「最近の、ここで流行りだした宗教のこと、知ってる?」
「いいえ~? もしかして、キリエル、とか?」
 医者が言っていた気がしたので、ウィズベットが答える。
「そう。キリエル教とかいう新興宗教とは、関わらないから」
 セプテットは不機嫌そうに眉を寄せる。フォークたちはなんとなく彼女の放つオーラに反応して首を縦に振った。
「この町の問題だからな」
 横から入った声は、駐屯している見知った軍人の青年だった。
「旅の護衛をしてるのなら、首を突っ込まないでもらいたい」
 軍人の青年は、鋭い目で睨みつけてくるがセプテットも負けてはいない。
「最初からそのつもりよ。ここの警備、ちゃんとしなさいよ。人一人もいないじゃない」
 あの崖の向こうでなにがあったかはわからないが、フォークはセプテットたちになんらかのトラブルがあったと判断し、口をつぐんだ。
「今からなら、汽車が来るのに間に合う。レジーナに帰るのをオススメする」
「いや、旅は続ける」
 ウィンストンの声に、軍人は顔をしかめる。
「東まわりで各地を行くんだろう? 危険だ」
「それを承知で行くのよ。でなければ、軍人が個人の依頼の護衛になるわけがないでしょう?」
 セプテットが、全く、と頭を抱えて深く息を吐いた。
「損な役回りだな」
「書類仕事に比べれば、いいわ」
 彼はそうか、と言うと、軍の詰め所の前から出ていく、不思議な四人組を見送る。
「――はぁ。キリエル教、ついに来たか……彼らが狙わねなければいいんだが」
 チラシを見下ろして、青年軍人は四人の身を案じる。ふつうであれば、気にしないのだが。
「北の友人からは、車椅子のキルストゥが来たら、新興宗教が付け狙うという夢を見たというからな」
 軍の詰め所へと入り、早足で医務室へ、足を向け扉を開け放つ。
「軍人が、いるのか?」
「まあな。ここを空にするわけにはいかないからな」
 先ほどは誰もいなかったことは棚に上げる。
「妹が、キリエル教に洗脳された」
 ぽつりと、診察台に横たわるローブ姿の男が呟いた。
「よくある話だな」
「助けに行かないと……」
「気持ちはわからなくもないが、その身体で行かせはしない」
 そうして、青年の軍人はしっかりとローブの男の手足首をベッドに固定する。
「最近の軍人は、精神の閉鎖病棟みたいなこともするんだな」
「怪我人を放っておけないからな。一般人から死人を出さないのも、仕事のうちだ」
 言い切ると、ローブの男は悔しげな嗚咽をもらす。
 軍人は、聞かれたくないだろうと席を外し、医師と一緒に、医務室の扉をそっと閉めて出た。



 どうしてこうなった、とセプテットはゆっくりと車椅子から立ち上がる。
 灰色の空の下、軍の詰め所に迫るように、いかにも怪しい人の壁ができていた。
 セプテットは何人かに憐憫の眼差しを受けて、腸が煮えくり返っていた。
「な、なんで銃口むけられなきゃならないんだ?」
 白い服装で統一された老若男女が、通常なら一般人が持っていないはずの拳銃を見て、ウィンストンは固まっていた。
「あの、なにか用でしょうか?」
 フォークが緊張に、腰の宝石ナイフの柄を握りしめて、腰を落とす。
「お兄ちゃん死んでなかったでしょー?」
 無垢な邪気を込めた声に、思わず目を見開く。
 数十人はいる彼らの中で、一番幼い少女ですら、違法な物を手にしていた。
「それを知って、なにをするのかしら? お子様は」
「国の犬は黙ってて。じゃないと、撃つよ?」
 その言葉に嘘はなかった。
 放たれた銃弾は、きんっと音を立ててフォークが弾いた。
「使い慣れてないのね、反動で連射できないなんて」
 目を丸くした少女たちの隙をついて、セプテットはブーツのまま彼女を守ろうとした男たちを足技で蹴り飛ばす。
「きゃっ!」
「くそ、あの女を捕らえるぞ!」
 一部がなんの武器もないウィズベットへ突撃する。
「ん~、リーチはそっちのほうが~、長いのね~」
 とても窮地に立たされている、という意識がない、と見下した教団員たちは、黒髪を撫でた彼女へ向かう。
「ウィズベット!」
 横目で急所を一人また一人と倒していたフォークが、救援に間に合わない。
「銃を使うときは~、こうするの~」
 しゃがみ込んで近場にいた教団員の一人を掴む。
 まるで流れる水のごとく、ウィズベットは教団員の腹を蹴って肉の盾とした。
「がっ、この、程度」
「ちょっと拝借~」
 銃声が響く戦場となった中、片手で安全装置を解いて彼女は次々に致命傷をずらして、撃つ。
 それは使い慣れた者が発射する音で、彼女はにっこりと微笑んでいた。
「なに、これ……」
「護衛だからさ」
 ウィンストンは新興宗教で、銃声で集まってきた野次馬たちにも構わず、倒れた男たちを避けつつ、少女の前に立った。
「いや、一人は護衛対象だけど……まあ、オレはこうするしかできない」
 はっと少女が気付いたときには、ウィンストンがロープでその腕を縛り付けていた。
「なにか勘違いしてるみたいだけれど、オレらは彼とは無関係だ。無駄な犠牲を出したくないなら、引いてくれ」
「軍人でしょう! 兄は騙されてるの! 教主様の薬さえ飲めば健康でいられる!」
「だからといって、無関係な人間を襲うのは感心しないな」
 ウィンストンはまっすぐ少女を見る。それを阻止しようとする者の銃弾を宝石ナイフで弾き、頭を踏みながらフォークは注意を自らに引き付ける。
 セプテットも骨が折れる音を無感動に受け入れながら、片足を軸に回し蹴りで一同を制圧する。
「ふふっ、二人は人間離れしてるわ~」
 ウィンストンの壁となっている彼らに対し、ウィズベットは倒した教団員を盾に銃撃を繰り返す。
 地方に安全な場所などない。元各地を飛び回っていたがゆえに身についた危険察知能力は、身を守るだけなら十分なほど力を宿していた。
「はぁ。軍の前で一気に制圧か」
 扉を開いて現れた青年軍人は、空に鉄砲を打ち放つ。
「中央からの応援がいるな。あいつはまだ帰ってきてないし、牢にぶち込むの、食事と交換で手伝ってくれないか?」
「敵の手中に落ちるくらいなら――」
 教団員を従えて、手を使えない少女は足払いでウィンストンを倒す。
 油断していた彼を踏みつけると、そのままロープを解こうとする。
「主は祈った」
「止めろ! 自爆する気かっ!」
 男の声に、フォークたちも一瞬固まる。
 ぱんっと、花火が弾ける音がした。
「これで、目が覚めたか?」
 それは、医務室にいたはずのローブ姿の男で、手には反動で震えた拳銃が下向きに握られていた。
 血溜まりとともに、幼い身体が膝をつき、地面に伏した。
「くはっ、あはっ、主よ、く、は……」
 薄っすらと残る意識をかき集めて、彼女は言葉を祈りを紡いでいく。
 それが心からのものだったのかはわからずじまいのまま、事切れた。
 ぱちぱちと、遠く、でも音は響いて聞こえる場所から、見下ろす影があった。
 曇天と遠くからの姿でよく姿は見えないが、長身の人影なのはわかった。
「これで、妹さんは救われました。主の下へ行かれたのです」
「ふざけるなぁっ!」
「無駄よ、届かないわ」
 建物の屋上に、中性的な声で性別が特定できない、影としかいいようのない者は薄く笑ったようにフォークには見えた。
「拳銃より、ライフルなら届くけれども……ふふっ、ここに天使様はいなかった」
 一方的に話を打ち切ると、屋根の上にいた姿は幻のようにかき消えた。
 フォークはあれは、本当に幻のように思えたが、黙っていた。
 集まってきた野次馬、そして散っていた軍人たち、キリエル教信者たちの降参など、現場が混乱してきた。
「あ……いつ、いったい何者よ」
 ぎりっと、ローブ姿の男――少年を睨みつける。
「天使を探してる、異常者だよ。たぶん、キリエル教の指導者だ」
 信者は次々に捕まっていくも、それに構わず、フォークたちは彼の頬を伝う涙を見る。
「聞いたことないけれど」
 セプテットの言葉に、彼は妹の亡骸を見下ろしながら、言葉を紡ぐ。
「そりゃあな。最近できた新興宗教団体だから。本当は、こんな人を襲うような団体じゃなかったらしい」
 そう言うと、フォークの目に彼が懐から球体を取り出すのを見た。
「だめだっ!」
 卓越した危機察知能力でも、賽が投げられたものは防げなかった。
 ぼんっと音がしたかと思えば、目がちかちかする煙が辺りに色濃く充満した。
「けほっ、ったく、なんなのよ!」
 まだ旅も序盤だと言うのに、とセプテットの愚痴も一理はある。
 が。
「消えた、な」
 撃ち殺された妹を置き去りに、ローブ姿の少年の姿は消えていた。
「厄介事が、雪だるま式に増えていくわね……」
 セプテットが忌々しく呟くと、ウィンストンがじっと天使、と呟いている。
「なあ、聞いたことがあるんだ。昔々だけど」
「どういう話だったわけ?」
「天使が七人揃う時、世界が滅びるラッパが鳴り響くって」
 なんでもなければ、笑い飛ばせる話だった。
「なら、止めないとっ!」
「あのなぁ、世界はひろーいんだぞ。大陸もここだけじゃないんだし、ただの戯言だと思ってたけれど」
「その天使の~、話が嘘ではない可能性が出たのね~」
 ウィズベットが片目をつむってさっと銃をしまう。
 何気にちゃっかりしているな、とセプテットは思いながら、町長の言葉を思い出す。

「このエルニーニャ大陸に魔という星の加護を得た人外がおり、東の小国に紛れてキルストゥという彼らを人間の死体にかえす存在がいるように」
 そこで、白髪のやつれた顔をして、腰を曲げた町長が椅子に腰掛けながら、続きを言う。
「よその大陸では、天使という世界を滅ぼすという伝説を真にしようとする者がおり、それを殺すための組織があるんじゃ」

 と、よくわからないことを言っていたが、今のキリエル教がその天使を探しているのだとしたら?
「もう、軍の本部にぶん投げていいわよね? 料理のための護衛に来てるんですもの、私たち」
「ああ、これはこの町の問題だからね。きみたちの関わったことはなかったことにしておくよ」
 青年軍人は、ウィズベットの携帯してはならない銃、フォークの傷一つない宝石剣、そして車椅子のはずが立って動くセプテットを見て笑った。
 その裏には、言いふらすなという無言の圧力がひっそりと隠れているのがわかる。
「で、ではそのー、お世話になりましたー」
「全部、ここの軍人が制圧した、外部の者はなにもなかった。そういうことにするのね」
 セプテットが車椅子に座ると、ウィンストンはやってきた軍人たちを見てウィズベットを見る。
「そういうことだ。不満か?」
「願ってもないことよ。始末書書かされるよりましだわ」
 その言葉に、軍人は眉を困ったな、と苦笑いして頷いた。
「ふふ、それじゃあ、話がついたようですから~、駅に行きましょうね~」
 ぼんやりしているように見えて、しっかりしているお姉さんキャラな彼女の、普段は見せない一面に、陰りを覚えて。
「どうしたの?」
「あ、いやなんでもないさ」
 茶髪を振って、ウィンストンは歩き出す。
 これは、自分が言い出した旅だから。責任を持たないといけない。
「にしても、フォークは十年も生きられない、か」
 そのことがやけに心労になって、ウィンストンの疲れた顔がなんだか頼りなくて。
「先輩、オードルさんの宿屋に寄りましょう!」
「そうだな、そう約束してたっけ」
 でも、とウィンストンとセプテットは顔を硬直させていた。
 結界の中の料理は、もう外ではないもので。
 ついでに言えば、結界の中は殺人現場だ。
「はぁああ」
 セプテットの車椅子のハンドルを握りながら、ウィンストンは深く深く息を吐く。
「まあ、面白いものが見られたりしてね」
 なぜか笑うセプテットに、フォークとウィズベットは首を傾げながら、軍の詰め所を後にする。
 その背中を見送りながら、青年軍人は帽子を被り直す。
「さて、と。結界内では人殺しで、外は怪しい新興宗教か」
 観光客の避難誘導など、警備員と協力して治安を立て直すか――。
 彼はおたおたと人混みを抜けてやってきた後輩に、これから忙しくなるぞ、と釘を刺すのだった。
 まだこれは始まりだと、空を飛ぶ鳥が数羽、ぴいぴいと告げたように青年軍人には思えた。