「「ガトーショコラ、ください」」
ショーケースに一つしか残っていないそれを指差したのは、二人の少女だった。
クレインは、金髪のウェーブがかった、ただの少女にしては姿勢がしっかりしている彼女に、違和感を抱く。
「今日は、久しぶりにお姉さまが帰ってきてくださいますの」
「今日は、馬鹿兄に頼まれてお母さんのお祝いするの。譲ってくれる?」
「お姉さまは、いつもはお仕事で家には滅多に帰ってきてくださいませんの」
「うちの兄も、危ない仕事してて、ケーキ楽しみにしてるの」
「なら別のものでも良いのではなくて?」
「それで納得するような奴じゃないのよ」
「お姉さまも、チョコレート系じゃないと茶がうまくない、と言いますの」
「お茶なんて、ケーキに合わないじゃない」
「お姉さまは、なんでも美味しく食べますの」
「へぇー、男みたいね」
「ええ、お姉さまは貴族らしくないですけれども、お仕事柄気性が荒くないとやっていけないのですわ」
「でもこれは馬鹿兄のために買うわ」
「いいえ、わたくしのお姉さまのために、このケーキはあると思いますの」
頑固な二人は、互いに譲り合うことはない。
それで一番困っているのは、店員だった。
「ガトーショコラなら、新しいのできたよ」
と厨房から運ばれたそれを、喧嘩中の二人に渡し、店員は肝が冷えるのだった。
「あなた、頑固ね。ふつう、貴族のお嬢様なら、下の者に譲らない?」
「あなたこそ、軍人なら、一般人に譲るのが常識では?」
それぞれケーキ屋を出た頃、ふつうに並んで、二人は帰り道を歩いていた。
「――なんで、軍人だってわかったの?」
「こう見えても、わたくしも軍人だから、ですわ」
クレインは全然わからなかった、と目を丸くした。
「今日は私服でないと、ちょっと困るので、わからなくても仕方がないですわ」
「貴族なのに、軍人やってるの? わざわざ危険な仕事につかなくても良いんじゃないの?」
「お姉さまのほうが、よっぽど危険なことをしてらっしゃるの。わたくしも、人の役に立つために、軍人を目指したんですわ」
「立派ねぇ……」
クレインは、自然な感想を述べる。
「うちの馬鹿兄みたい。小さい頃から、軍人になって国を守るんだ―って、馬鹿みたいに言ってた」
実際、才能もあったのだ。
「私は監視の意味もこめて、クライスにくっついてったけど」
「あら? ベルドルード?」
「ん? ああ、私はクレイン・ベルドルード。挨拶してなかったわね」
「わたくしはメリテェア・リルリアですわ」
「リルリア? どこかで聞いたことあるような……」
「ふふ、たいしたことのない名ですわ」
「そうよね。お互い、お目当てのケーキ買えたし、いつかまた会う時は、お茶でもしましょう」
「ええ、休日が重なったら、是非」
くすりと優雅な指の仕草に、クレインは内心どきっとした。
「ということがありましたの、お姉さま」
「へぇ。面白いわね、あんたと張り合うなんて」
緑茶をすすりながら、バルコニーの柵に腰掛けて、紅葉・リルリアは言った。
「仲良くしなよ? ただでさえあんたは頑固なんだから」
「お姉さまに言われたくありません」
いったい、誰のせいでこんなことになったのか。
両親の反対を押し切って、姿をくらませた姉を探すため、軍人になったら姉は社会の裏側の人間になっていて。
姉のために軍人になったはいいが、頑張りが良すぎて地位も高いところまで来てしまった。
ここで辞めますなんて、無責任なことも言えず。
「全部、お姉さまが天真爛漫なせいですからね」
「んー、家と縁を切って、迷惑かけたくなかったんだけどねぇ。上手く伝わらんもんだ」
「小さい時から、お姉さまのせいで何度泣いたと思っていらっしゃるの?」
「あー……不良ごっこしてた時から、メリテェアは泣いてたもんね」
「お姉さまがぜんっぜん反省しないから、お父様も痺れを切らしたのですから、せめて人並みになってほしいですわ」
「裏から足を払う気はないよ。こっちも、メリテェアと同じく、トップになっちゃったからね」
「……もう、捕まっても知りませんから!」
「なに、そんなトチはしないさ。それより――」
そう、これがリルリア姉妹の日常であり非日常。
姉と情報交換しながらも、互いに一線は超えない。
必要最低限のやり取りで、現状を知る。
それが、自然と二人の属する組織にとって、裏をかいていたりしているのだった。
「キルストゥ姓は、こっちじゃ珍しいからねえ」
「そうですわね。皆、その姓を名乗る方はいらっしゃらないのがふつう」
「まあ、姓なんてふつう変えないわな」
捨てることはできるけど、と紅葉はケーキを食べながら告げた。
「だが、一部は『神』を殺すことができる。仕組みは知らないけど、行方不明者の何人かは『神』と関わりがあるらしい」
「お姉さまにしては、珍しく不確定なことを仰るのですね」
「『神』は、ここに来る前に一度、小さい時に会ったことがあってね。記憶はおぼろげだけど、そいつは予言だけ残した。いつか、拾ってくれる人間が現れるって」
「昔の、話ですのね」
「そう。食べ物にも困ってた時にね、母さんが拾ってくれた。知り合いに似てるからって」
まあ、その知り合いも迷惑かけた上、母さんから離れてしまったらしいけど、と付け加える。
「メリテェアは、母さんに迷惑かけんじゃないわよ。まあ、軍人辞めない時点であれだけど」
「ええ。わたくしは背負った以上、軍人として生きますわ。でも――」
「ティータイムには、身分も職業も関係なく。ね?」
片目を瞑る姉は、どれだけ危険な橋を渡っているか。
メリテェアにはわからないが、自分も同じ道を行く。
ふつうの貴族の友達には、理解できないと言われるが、メリテェアは選んだ。
いつの日か、姉と対峙して。
光へ、連れ出したいときっと、誰より願っている――。
「リルリア……って、確かかなり階級高い女の子じゃなかったか?」
「ああ、噂なら聞いたことあるな」
と、クライスの父親はアニメから目をそむけずに、ケーキを頬張った。
「え? そうなの?」
「そんな事も知らずにケーキ屋で喧嘩って、怖いもの知らずだな、クレインは」
「馬鹿兄にそこまで言われる筋合いない。しかもタルトの方食べてるし」
「まあまあクレイン。今日はお祝いなんだから、ほら、あなたも」
ばんっと父親の足を母親が踏みつけ、意識を自らに向ける。
「お母さん、誕生日おめでとう」
「さっき花ならあげただろう」
「父さん、アニメ録画しておくから、今はテレビ見るのやめような……」
と、クライスはフルーツタルトを食べながら、ため息をついた。
「今いい所だったんだが」
「あの、お母さん怒ってるよ、お父さん」
「いいのいいの。この人は、一度、殺さないと、自分の立場がわかってないんだからぁああああっ!」
「痛い、痛い痛いから足を踏むのをやめてくれ、悪かった、悪かったから!」
母親が的確に足の小指を踏む。
「これが、伝説の中将か……」
ぼそり、とクライスが呟く。
偶然調べていた、ベルドルード中将の退役。
副官共々、軍を去った人間が十人以上いた。
詳しいことはスピードスター先輩にでも尋ねろと言われたが、あの人は広告課で忙しく動き回っている。
しかも、あそこは広告柱であるショートケーキの巣穴。
可愛く棘のある彼女らは、しかしその実態は暗部の粛清係だ。
先代は諜報系だったときく。
二人組のユニットで、戦闘能力もアイドルという皮をかぶってはいるが、化け物クラスの能力を持っているとか。
普段はマイクで、軍人インタビューやテレビ出演もしている。
そして、そんな軍のイメージを支える重要な役目がショートケーキなら、それを支えるのがスピードスターたちだ。
音響やらスタジオもある広告課のチラシ配り。
確か、スピードスター自体はそういう地味な作業をしている。
だから、簡単にいけば会えるという少年ではないのだ。
珍しい白髪――アルビノではないらしい――の少年は、いつ見ても人目を引く。
そして、彼女らと同じく、粛清や後始末を担当している、暗部で活躍している連中であり――同類。
「父さんは、スピードスターって知ってるか?」
「ゲームの話か?」
まあ、そうだろうな、とクライスはため息をついた。
「もしスフィアのことを言っているなら、発言は気を付けたほうが良い。敵に回れば確実に仕留められるからな」
すらりとした答えに、おれは目を丸くした。
「詳しいことは、きっと担当者が知ってるだろう? クライスはその人からきちんとどういう奴か知るべきだ。キルストゥ姓にも、関わりがあるからな」
わりかし真面目な回答に、クライスは呆けたように首を縦に振った。
クレインは興味なさそうに、ケーキを食べている。
その落差が、クライスの心に陰を落としていた。
「ふふ、仕事のことを話すなんて、珍しいわね」
母が片付けに入りながら、クレインたちを見る。
「うちは代々の軍人じゃなくて、この人が勝手に軍人やってただけだからね?」
「母さんだって、軍に医療品送る仕事してたんだろ?」
「昔はね。今は……内緒」
「お父さん、お母さんや子供に養われてて恥ずかしくないの?」
「……いや、それは、な、クレイン。違うんだ」
「いつも家にいるとアニメ見てるし。見放題だからって」
「いいのよ、クレイン。お父さんは、それがお仕事なんだから」
意味がわからない、とクレインは父親を見つめる。
「詳しいことは、中将にでもなったら教えてやる」
「ああ、おれ頑張るよ!」
「それ、わからせる気ないってことね」
はぁ、とクレインは深い深い溜息をつくのだった。
二人の少年少女の軍人が、寝入った頃。
「『星座』が完成している、か」
通常ではない電話回線で、昔の副官とベルトルードの父親は話をしていた。
自室には、二人には極秘で軍人だった頃の仲間と連絡が取れるように、配線が蜘蛛の巣のように部屋中を覆っていた。
『はい、でも動きがないことを鑑みるに、もう『神』はいないと見ていいと思います』
電話先の女性――副官の言葉に、ふむ、と彼は息をつく。
「なら安心……というほど楽観するわけにもいかないか。いつでもレジーナ全土を焼き尽くせる、それが『星座』だったな」
『その心配はないと。カーテンコール中将、こと大地の名もなき自然神の言ですが……』
軍すら知らない情報を、共有する。
『『星座』は常に一人一つ。それも運良く選ばれなければたどり着くことさえ不可能。どんな兵器でも、使う者がいなければガラクタと同じ。動きがまったくないということは、使用者はすでにいない……だそうです』
カーテンコール中将。
前は地位を使っては暗部の使い方もろくにできなかった者が、いつの間にか別人になったかのように変わった。
いや。
誰もが口にしないだけで、わかっているのだ。
別人が成り代わったと。
「まあ、ろくな死に方はしなかったろうな」
そして、その正体を知るのはもう本来なら退役している元暗部たちと、数名の軍人として戦っている『神』だけ。
元は、反乱が目的だった。
自分を含めた軍で反乱分子をまとめ上げ、まだ幼かった大総統の地位を確固とするためクーデターを起こそうとした。
それで、軍内外で彼が助かると信じて。
だが、それをたった一人で収めたのが、今のスピードスターだ。
弾丸より速く。何より速く。
死人は出なかったが、大総統直々に、やることを看破されていたとは思わなかった。
そのため、反乱分子とその首謀者である自分と副官、その他十名以上が『退役』という形で軍を去ることを余儀なくされた。
それから暗部の中将が変わったと知った時は、女癖が悪くて無能なあいつ――知り合いだった、に務まるものかと思ったが。
「自然神か。キルストゥといい、なかなか面白くなってるじゃないか」
そこに自分が入る隙間がないことを多少悔やみながら。
ベルトルード兄妹の父親は、くすりと笑った。
「行方不明者の続出といい、テロといい、治安の悪化は『神』が手引きしている可能性が高いな」
『お言葉ですが、行方不明者に関しては、平年と変わりありません』
「そうか。……『神』は全て食らう。血肉も残さない。だったな」
『はい。ですが……最近の教会、傭兵シーザライズたちが関わっているとも噂にあります』
「ほぅ。一度、会ってみたいと思ったのだがな。今は暗部の狗か?」
『それはわかりませんが。セッティングはできなくもありませんけれど?』
「今はいい。子らの成長を静かに見守る。父親としてな」
『軍人になるのを止めなかった。父親だから、ですか?』
「本人たちの希望だ。止める方が無粋だ」
『子供たちと、ちゃんと遊んでますかー?』
「その暇もないらしくてね。そろそろ、寝るところだ。すまないが、今日はここまでだ」
『たいした情報も渡せず申し訳ありません、中将』
「今はただのおじさんだ」
『……日中なにしてるんですか』
答えることなく、ベルドルードは電話を切った。
「アニメ見てるなんて、言えないからな」
だがそれも、仕事の一環だ。
合間に挟まるニュースと、部下たちから集められる情報をまとめる。
「昔助けた闇医者が、ギャンブルの町にいたな」
大変なアニメ好きで、軍医に言えない傷の治療のときにはよく世話になっている。
「あの闇医者と、話を合わせるのもなかなか苦労する」
国のため、という背中を見せたせいかもしれない。
クライスが、国のために軍人になりたい、と言ったのは。
「他の道を、選ばせてやれなかった……」
ため息交じりに、父は目を閉じてひっそりと置かれていたベッドに横になった。
そのまま、一気に眠りに誘われた――。
夢の中、クライスはその背中を追いかける。
白い世界の中、大きくて、どう見ても自分には届かない、けれども忘れられたくない背中だ。
「おれ、もっと頑張るから!」
守りたい人ができた。
守りたい家族がいる。
誰にとっても、奪わせたくない人がいる。
もっと知りたい。
もっと――強く、なりたい。
シーザライズや、父なんかよりも強く。
誰の背中かはもう、記憶に残っていないけど。
その人は、大人で。
立ち止まることを知らないまま、おれにも気付かない。
でもいいのだ。
縁が結ばれたのならいつか、また会える。
もう出会っている人かもしれないけれども――。
「おれは、クレインや、フォークを、守ってみせるから!」
この国ごと、ひっくるめてこの手で守る。
だから。
「待っていてくださいね!」
止まらない。いくら足を進めても、誰にも届かなくても、諦めたくはないから。
――一瞬、かすかに死の気配を感じた。
「え?」
目を開けば、家の自室の天井が見えた。
まだ薄暗い部屋は、当然個室だから誰もいない。
けれども、何か――。
「錯覚?」
とても大切なものを手放した。
そんな、悪夢の始まりの日となったことを、彼はこれから知ることとなる。