「軍人なんてね、ろくなもんじゃないのよ」
いつの日か、母さんが話していたことを思い出す。
それは、オレが軍にでも入ろうか、悩んでいるときのことだった。
「いい? 傭兵やってた身で言うのもあれだけど、誰かを守るため、なんて言いながらも暴力振るうことを正当化してる時点で、人として壊れてるの」
「壊れてる?」
「ツキは、拳銃渡されて、嫌いな人をそれで撃てる?」
母さんは指で銃の形をつくり、オレに向ける。
「いい? 国を守るために、人を殺すのが平気にできるのは、頭のネジがどこか飛んでるのよ。どんなに平凡ですって顔しててもね」
「母さんは、そういう経験をしてきたの?」
「そうよ。傭兵なんてね、屑よ。人を金のために殺せるなんて、まともな人間のやることじゃないしね」
「母さんは、確かにちょっと変だけど、ずっとやってきてたんだろ?」
どうして、やめようと思ったのか。
「今やめたのは、なんで?」
「あー、うん、続けてたのは、それしか能がなかったの。馬鹿よね、普通の日常を送れるなんて、お父さんに出会うまで、そんなことも気付かないんだから」
そう言って、母さんはテーブルをとんとん、とつついた。
「弱い人間を守る。それは格好いいわ。表面上はね。でもやることは自己満足なのよ」
「自己満足? 自分より、弱い人を助けることは、いいことだろ?」
「ええ、世間体ではいいことよ。そのために、強者でいなければならない。いつづなければならい。勝利し続けなければならない。負けてはいけない。まだだ、まだだと英雄のように駆け抜けなければならない」
くそったれ、と母さんの顔には書いてあった。
「強者は、弱者がいて初めて成り立つの。だから、弱者を作り出している社会構造が必要なわけ」
「……母さんは、それが気に入らない、と?」
「お父さんと出会ってね、やっと気付いたこと。弱いものいじめだったからねぇあれ」
父さんは、母さんに助けられたと言っていたっけ。
「チンピラなんて殺す価値もなかったから、のしただけにしたけれど。撃鉄引くような相手でもないし」
「母さんは、厳しいな」
「甘いこと言ってたら、傭兵なんてやってらんないわ」
そして、自らを見下しながら、母さんはオレの目を見ていた。
「いい? 軍人にはなるな。ここが軍事国家でも、ツキには似合わない」
「だから、普通の学校に行かせるのか?」
「友達もいるんでしょう? 軍人ってのはね、国のために死ぬ、使い捨ての駒みたいなもんなのよ。今は平穏でも、その裏では何人死んでるかわからない」
「母さん、それは……」
「傭兵としての言葉よ。まあ、キルストゥの力も似たようなもんかもしれないけど」
そこで、母さんは立ち上がる。
「オレ、死にたくないな」
「なら、就職活動は軍人以外にしてね」
あと傭兵も、と付け加えることも忘れない。
その時の母さんの笑顔の裏は、気付かなかった。
そんな、ある日の主婦と息子の就職事情。
「うーん……オレ、精神病なのかなぁ……」
なんて言いたくなるくらい、居酒屋で夜の街に繰り出していた。
「あんなぁ、ツキ、それは精神病の人に失礼だ。就活落ちまくってるのは、相性悪いとか、そういう面だよ」
「家がギャンブルの町の町長の息子はいいよなーお先真っ暗なオレと違うもんなー」
「あのなぁツキ、ギャンブルの運はいいのに、どうして就活ではその実力が出ないんだろうなーとか考えてみ?」
氷を連想させる悪友の髪を睨む。
そんな腐れ縁のアイスは、呆れていた。
「ったく、うつになるほどならうち来るか? でも弟くんとは離れたくないだろ?」
「うん……フォークはしっかりしてるから、仕事なんていくらでもありそうだし」
なにより、シーザライズさんやフォアさんたちが守ってくれている。
それに甘えるしかない現状は辛いが、感謝している。
フォークの通う公立学校にはリタルさんが作物育てるという名目上で学校内にいる。
ローテーションで守ってくれているらしいが、ここ数年は襲われることはない。
「青春だねぇ」
「ちょっ、オネーサン、この歳で青春とか言われても嫌なんだけど!」
「ああ、ママ、ツキの惨敗にかこつけて今日のギャンブルでもしようぜ! 気晴らしに!」
赤毛を後ろでまとめた店のママ――というか、主人は満面の笑みを浮かべた。
「今日は肉とカット野菜一式。カレー用。をかけての恨みっこなしの賭けだけどいいかい?」
「おぅ!」
オレはカレーに喜ぶ弟の姿を見る。
商店街の飲み屋は、影でこういうこともしているのだ。
軍に知られても、金銭ではないため問題はない……と思う。
「俺らも入っていいかい、ママさん」
「おや、負け通しのあんたも参加かい?」
「あーじゃあ俺は降りるわ」
「ツキのやつ、いっつも勝ってやがるからな。絶対に何かしらの裏がある」
常連のおっさんは、頭を反射させながら告げた。
「オレは普通なんだけどなー」
苦笑しながら、オレは答える。
運がいいのは、いつからだったか覚えていない。
仕事に関しては、いつも入社試験には落ちている。
が。
その後の会社が倒産したり脱税してたりするので、そういう意味では入らないことで助かっている。
とはいえ、いつまでもふわふわしてるわけにもいかない。
母さんの遺言みたくなってしまった、軍人と傭兵にはなるな、という言葉に応えた結果、オレはふわふわを消せない。
「四十五のババア、今日はなにでやる?」
「ロシアンルーレットにしよう」
こめかみを引きつかせながら、店の主人が言い切った。
こういうところで働けたら良いのかもしれない、なんて思ったりする。
が、夜中に働くのは避けたい。
いや、こうして夜の街に繰り出していること自体が、悪いことなんだろうな、とは思うけれども。
「いや、ここはトランプにしよう」
「あ、それなら俺とママで勝負して勝敗で決めよう。まずおっさん、どっちが勝つと思う?」
「あたしを巻き込むんかい」
「良いだろ別に。死にゃしないし」
アイスがにひひ、と意地の悪い笑みを浮かべる。
「そりゃ店主に決まってんだろ?」
「俺はツキが勝つ。勝負事で負けるなんてこと、ギャンブラーとしてはないからな」
「ほう、よっぽど腕がいいのか、イカサマ師なのか。見極めてやる」
「言ったな」
アイスが手を挙げると、ママがトランプをどこからか取り出す。
「あんたたち、イカサマがないように、全員でシャッフルしな」
おう、とオレたちが答えて、カードを全員が見える位置で切る。
「これでイカサマがないのはわかったね」
「確かにな」
「じゃあ、いつものように赤か黒、どちらの色か三回言い合う。そして、二回当てたほうが勝ち。いいね? じゃんけんで順番は決めるよ」
オレたちは慣れた手付きでじゃんけんをした。
「ママが先行だな」
「ええ、それじゃあ、赤にしようかしら」
「じゃあ、オレが黒だな」
じっと四つの目に見つめられながら、オレはママが一番上のカードをめくるのを待った。
それは、予想通り、黒のスペードだった。
「ツキに一票ね」
弾む声に、男はむっとなる。
「なにかしたんじゃないだろうな?」
「ああ? 一緒にトランプ切っただろう? 男のくせに、玉の小さい男だね」
店主――ママが一睨みした。
「んだとこら」
「ああん?」
「喧嘩するなら、勝者はツキ、そして具材もツキに渡す。それでいいよな?」
アイスのやつ、さり気なく漁夫の利を狙ってやがる。
「次、やらんのか?」
「はっ、おれさまに喧嘩売ったこと、後悔してやるぜ!」
「じゃあ、次。またシャッフルからね」
他の客は、あーあ、と残念そうな雰囲気をかもしだしながら、オレたちを見守っている。
その顔は常連。
学生服に、軍人である印をつけた者も幾人、見る。
――軍人にはなるな。
母さんの言葉が、脳裏に響く。
「それじゃあ、じゃんけんとしようか、ツキ」
「あ、ああママ」
店主はカウンター越しに手を出し、じゃんけんをする。
「えっと、オレの勝ちだから……黒」
一番上のカードの色。
「あとついでに、一番下は赤のハート」
「おや、そこまでつつくんだね、あんたは」
面白い、と店主が笑った。
勝つのはオレだとわかっている笑みだった。
そして案の定。
「二回とも、当たる、だと?」
「だから、ツキの運はギャンブラー向きなんだよ」
「いや、でもディーラーによってはまれに負けるぞ」
「カジノの街でのイカサマ相手、って前提だろ? ここはただの居酒屋だろ?」
まあ、そうだが。
顔を赤くして、今にも噴火しそうなおじさんは、何も言わずに立ち上がる。
そして飲み代をばんっと怒り心頭の表情で置いて行くと、そのまま立ち去っていった。
「あー、ありゃー怒ってたね。短気なのは運が寄り付かないよ」
「その点、ツキはちゃんと運を味方につけたわけだ」
「はぁ。でも、いいのかそのまま外に出して」
他の人にふっかけられたりしないだろうか。
そんな不安を、ママは振り払うように笑った。
「あんたらガキが気にすることじゃないよ。それに、ここは軍人様がいるんだ、騒ぎを大きくしたくはないだろうさ」
店主はあっさり袋をオレに押し付けた。
「待ってるんだろ? なら、酒代だけ置いてさっさと帰りな」
「ありがとう、店主」
「ママでいいってんじゃん」
くすりと微笑むその笑顔を背に、オレはアイスのほうを見る。
「大丈夫だって。酒の残り飲んだら都のほうの家に帰るから」
「ならいいけど」
事件は、いつどこで起こるかわからない。
あの日、オレが銃口を向けられていた時のように。
あいつ、軽く振る舞っているが、町長の息子だ。
他に兄弟もいないと聞くし、いなくなったら大変だと思うが……。
「オレみたいに、護衛でもいるのかねぇ」
いて当然とは思うが。
今日は、良い月夜だった。
「カレーは明日作ります」
えっへん、と胸を張り、我が弟は鍋の具を食卓に並べていた。
「帰りが遅くなってすまない」
「仕事、やっぱり見つからない?」
「ああ……」
就職先は、まるで逃げていくように見つからない。
ギャンブラーを名乗ってはいるが、正直、ただのニートだ。
これじゃあフォークや守ってくれている人たちに申し訳ない。
母さん、父さん、オレはどうしたらいいんだろうか。
リタルさんのコネで、農協に入る、という手もあるが……。
あの死をまとう、農業命の人だ、下手な仕事をしたら本当の意味で殺されそうだ。
元暗殺者、がなんで農協の偉い人になったのかはわからないが、知らないほうが良いことは山とある。そういうものだ。
とはいえ、クルアさんの情報屋というのも頭の悪いオレには向いていない。
あの人も謎だらけだ。
神々の遺産とかいう、わけのわからないものを探しているとかなんとか言っていた。
それと、レリア。
同じキルストゥで、もう何年も前に処刑された少女。
だというのに、この人たちは姿を変えない。
「……はぁ。オレ、本当に運がいいのかなぁ?」
仕事をしない後ろめたさを覚えながら、オレはフォークを見る。
まるで女の子のような後ろ姿のデザインは、父さんのものだ。
大切に大切に使われるそれを見ると、どうして絵の才能がなかったか、悔やまれる。
フォークは料理が好きだし、運動もいい。
頭はなんでか悪いが、オレよりはましだろう。
仕事探しはしているが、悪友とつるみ、居酒屋でギャンブラーごっこ。
はぁ。死にたくなる。
「はい、お兄ちゃんの分。白菜ももやしも入れたから、食べてよ―」
振り向くと、前髪をヘアバンドで上げていた。
男とは思えない華奢な姿は、運動神経のよさと反比例している。
必要最低限の筋肉しか見えない……まあ、見る人によっては、フォークを女と間違えそうだが。
「ねーねー、今日のだし美味しい?」
「塩か。美味い」
「良かったー。今日はね、フォアさん来てったんだよ。明日はちょっと遠出するから、注意してって」
「傭兵さんは?」
「フォアさんの護衛だって。シーザライズさん、強いよね」
「そうだな。てか、オレの周りは変わった人ばかりいるな」
「お兄ちゃんも十分変わってるよ」
男の娘、にも見えるフォークに、言い返せない。
「運だけはいいんだから。きっと、仕事見つからないのは、その運が導いてるんじゃない?」
「適当言うなよ……」
「本当に、そう思う?」
「……はぁ。フォークもさ。運しか取り柄がなくて、金も稼げないニートだぜ、オレ」
「そんなことないよ。お兄ちゃんは頑張ってる。アイスさんや、他の人達だって知ってる。あと仕事長続きしないのも」
なんか、腑に落ちないことも混ぜられてる。
「あーあ。オレ、このままじゃまずいよなぁ……」
「やっぱり、スーパーのバイトとかにしたら? お兄ちゃんお金の扱い下手なのは知ってるけど」
「辛口だけど本当だから胸に痛い!」
「ふ、ぼくはお兄ちゃんのこと、好きだから何でも知ってるよ」
「女の子みたいな口説き文句言うなっつーの」
「えへ」
ぽん、と頭を叩く。
いつもの日常。
でも、いつかは終わりを迎える日常だと、オレはその次の日、向き合うこととなるとは、思わなかった。
「フォークぅ、テストの名前消して交換しようぜー」
「クッキー、体育の答案だけそう言うのやめてくれない?」
ぼくは日の射す学校の教室で友達と、わやわややっていた。
というか、気付いたらもう誰もいないくらい、クッキーは手をのばす。
まるで亡者のようだ。
「いいからー、殺されるからー」
「いつも大げさだし、運動に関してはクッキーもいいとこいってるじゃん」
「でもフォークには敵わないしー」
そう、ぼくは体育だけは得意なのだ。
他は、ちょっと国語がよくて、数学は記号にしか見えなくて、理科は暗号で、社会はよくわからない。
けれども、それは嫌いなのではなくて。
「買い物いかなきゃならないから、ぼくもう行くね!」
答案――うちの学校は変わっているのだ――を手に、ぼくは教室を出ていく。
すると、黒ずくめの、細目の用務員さん――のふりをして学校にいるリタルさんと出会った。
「フォークさん、今日は夜から護衛に入ります。なので、なるべく人の多いところにいてくださいね」
「はい!」
「フォークぅ!」
クッキーが叫んでいるけど無視。
というか、そのいつも騒いでいるはずの声が、止まる。
「では、失礼します。くれぐれも、気をつけて」
裏の社会では、キルストゥという名は相当な金額の懸賞金をかけてるとか言ってたっけ。
この国ではキルストゥと名乗る人はほとんど皆無だから、安心なはずだったのだけれど……。
「ん? フォークも珍しく寄り道するのか?」
「クッキーは勉強したら?」
「こんにゃろう、お互い様だろ」
ぼくらは顔を見合わせて、くすりと笑った。
ああ、やっぱり日常は良い。
でも、それもいつまで続くかわからない。
ぼくは守られている。
けれども、いつかは自立しないとならないんだ。
お兄ちゃんのためにも、他に、守ってくれる人たちのためにも。
「あ、鞄忘れた」
「じゃあ、先行くね」
「おう、また明日なー」
テストの答案用紙だけ持ってきたクッキーを間抜けだなと思いながら、ぼくは靴を履き替える。
学校のみんなはぼくがキルストゥだったことを知ってるけど、殺されることはなかった。
というか、両親が離婚したの! とかニュース見てない意見が多くてたすかった。
軍の偉い人の子もいて、上手く皆を誘導してくれたのかもしれない。
今日は、誰にも守られない、珍しい一日だ。
でも気を抜いちゃいけない。
「あ……綺麗な人……」
腰まである長い金髪、凛々しい顔つきの女性が、学校の職員玄関から出ていく姿が見えた。
腰には何かがある。
でもそれが何か分かる前に、人混みに消えていってしまった。
「誰だろう?」
軍人さんかな、となぜか直感したけれど、関係ないことに関わらないことにしよう。
ぼくは商店街へと足を向け、帰路についた。
夕方の、帰り道はどこか物悲しい。
本当ならあっただろう、両親のことをふと、思い浮かべてしまうからだろうか。
「人、今日はいないなぁ」
ぼくはなんとなく、静かすぎる商店街への道を歩いていた。
「人払いしたからなぁ、おい、そこのガキ」
にやりと嗤うような声が聞こえた。
悪寒となぜか安堵がぼくの胸の内に広がる。
なぜ安心したのかはわからない。
ドスのきいた声だった。
悪意も、憎悪もこもっている。
「ツキ・キルアウェートの弟だな?」
わかってて聞いてくる。
なんとなく、この人だけではないと悟る。
理由はわからないけれど、感覚が研ぎ澄まされている。
日常から、非日常へのスイッチの切り替わり。
フォアさんと出会った時には感じなかったことだ。
ぼくは、変わってしまったのだろうか。
いくつかの視線が、ぼくに絡みつく。
「軍人がくると厄介だ。大人しくしてれば怪我はさせねえよ」
目の前に立つ男は、憎悪の目でぼくを見下ろす。
ぼくは――なぜだろう。
怖かった。
守ってもらえていたから、慢心していたのだろうか。
違う。
この人はキルストゥを知らないと思う。
お兄ちゃん、何してたんだよ。
情けないなぁなんて思いながら、ぼくはその人の後についていく。
怪我はしたくない。
フラッシュバックする、両親の亡骸と、抱きしめてくれて、泣いてくれたフォアさん。
お兄ちゃんに何かする気なんだ、とはわかったけれども。
「物分りが良すぎるな、お前」
不意に、足が宙に浮く。
唐突の行為に、尻もちをついて見上げる。
「ああ、何。なんで怖がらない?」
取るに足らない者だから。
不意に浮かぶ言葉に、ぼくは心の中で首を傾げた。
まるでもう一人、ぼくの中に誰かいるみたいな、客観的な視点があった。
恐れないと。
この人の憎しみは、そんなことでは癒やされない。
ならどうする?
目と目が、交錯する。
身体は震えている。ような気がする。
ぼくより背が高くて、ぼくに平気で暴力を震える人だ。
怖くて当然。ぼくはそんなもの――。
本当に、持ってないのだろうか。
あの時、呆然とした時、フォアさんが泣いて抱きしてくれなかったら。
身体が震える。
ぼくは、――怖い。
ぼくが、怖い。
誰も助けが来ないのがわかりきっている今の状態なのに、心は黄金の稲穂畑にいるように、穏やかで。
だから怖い。
でも大丈夫、ぼくは殴られるんだろう、乱暴されるのだろう。
――その前に。
「お前、その目、ムカつくな」
男の人が、ぼくの目を射抜く。
「怯えてねぇ。怖がってるふりだ。気付かねぇと思ったか?」
「ぼ、くは……」
人の死を見てきた。
守られてきた。
ぼくは、一人でなんとかしないといけないのだ。
皆に守られ続ける人生なんて、望んでない。
「ぼくは、もっと怖い思いを知ってる」
なぜだろう。
勝てっこないのに、口から出てくるのは虚勢だ。
そのはずなのに、この人に負ける気がしない。
――助けて。
いつかの、そしてあり得ないぼくの想いが木霊する。
夢でみたような、幻のような、いや、これはぼく自身が目の前の死を見た結果の――ものだ。
情けない格好だけど、痛い想いをするだろうけれども、ぼくは震えながら、声を出す。
「お兄ちゃんが迷惑かけたなら、謝ります。ごめんなさい」
でもそれは、ぼくには関係のないこと――。
「なにか、勘違いしてるなガキ」
男のこめかみが浮き上がる。
なぜ怒っているのか、ぼくにはわからない。
ただ、いい状況じゃなかった。
「このガキ、しばくぞ」
ぱちん、と指を鳴らす音がした。
「抵抗したら、お前の友達にも手を出してやる」
ざざっと、がらの悪そうな――今まで見たことのない人種の人が、ぼくを取り囲む。
ぼくだけならいい。
でも、クッキーや、学校の皆に、危害を加えさせたくない。
先程の想いは風船のようにしぼんでいく。
どうして、ぼくはこの人なら死なないと思ったんだろう。
その恐怖に身をすくめる。
「さあ、処理の時間だぁっ!」
「んっ!」
ぼくはとっさに、身体を丸くして蹴られるか殴られるか、そういう行為を覚悟した。
ばちいんっと、音がした。
暗闇に目を閉じていたぼくは、こない痛みに、小首を傾げた。
そして、ガラの悪い男たちの声が、耳に――入ってこない。
ばたばたと、そしてぱたぱたという足音がした。
何か言っているが、ぼくには聞こえない。
ふわり、とまずいい匂いがした。
それから、まるで鈴のような声が、ぼくの耳に届いた。
「もう大丈夫よ」
何人かの声がする。
「商店街の人たちが学校に向かうチンピラの集団を見たときいたの」
落ち着かせるように、ゆっくりと声は告げる。
「だから、様子を見に来たら、こうなっていたの。でももう大丈夫よ。軍にも連絡したから、すぐ彼らは捕まるわ」
まあ、きっとこってり絞られて外に放り出されるだけでしょうけど、と彼女は苦笑した。
「さあ、顔を上げて」
ぼくは、ゆっくりと顔を上げた。
綺麗な金髪に、制服姿は学生のよう。
でも胸元のバッチが、軍に付属する者だと示していた。
軍事国家であるここで、軍人に目をつけられるというのは――。
「怖かった?」
「あ……」
安心、しなかった。
どうして、あの時お母さんたちを助けてくれなかったの?
そんな問いが、扉が開いていく感じがする。
「あの、ありがとう、ございます」
「うん、でもこれも仕事の一環だから、お礼は気持ちだけ、受け取っておくわ」
手を差し出される。
もし、あの時こんなふうに、軍人がいたら、お母さんたちは死ぬことはなかったのではないか。
素直になれないぼくに、彼女は困ったように眉を寄せた。
「どうかしたかな?」
「いえ、その……」
「あ、今行きます! ごめんなさい、この人たち引っ張っていかなくちゃいけないの」
「は、はい……」
ばっと立ち上がると、そのお姉さんは、男を引きずりながらぼくに背を向ける。
軍に入るな。
お母さんの言葉が蘇る。
けれども、この人は助けてくれた。
でも、お母さんは助けてくれなかった。
当然だ。その場にいないものを助けることなんてできるはずがないのだ。
だから、向ける怒りはお門違いにもほどがある。
でも……と、胸が締め付けられる。
近くに、軍人さんがいたら、防げたかもしれない事態で。
ぼくは、立ち上がると、その金髪のお姉さんを見つめていた。
「フォーク!」
はっとして、ぼくは心配そうなお兄ちゃんを見つめた。
「夕食もまずかったし、何かあったのか?」
そういえば、家に帰ってくるまでの記憶が曖昧だ。
「……アイスから、話は聞いた。オレのせいで、悪かった。怖かったよな、ごめん」
テーブルごしに告げるお兄ちゃんを見ても、ぼくの思考ははっきりしなかった。
「チンピラに襲われそうなところを軍人に助けられたんだもんな。……はっきり聞くけど、大丈夫か?」
真剣なお兄ちゃんの目に、吸い込まれそうになる。
「えっと……」
「フォークが軍人嫌いなのは知ってる。でも、全員が全員、敵なわけじゃない」
ぼくの態度で気付いたいのだろう。
考えるのも、億劫だった。
「金髪の、女の人が。助けてくれた」
ぽつりと、それだけ呟く。
チンピラとかいう人より、軍人さんのほうが心を抉る。
「――その人、名乗ったか?」
「ううん。名前は知らない」
「じゃあ、調べるか」
気楽に、お兄ちゃんは笑顔を浮かべた。
「どうして?」
「助けてくれたんだろう? お礼くらいしないと」
「でも……」
言葉が出ない。
沸騰する胸の内に、お兄ちゃんは気付いていない。
それが、もどかしくて苦しくてぼくは――。
「軍人じゃなかったら、良かったか?」
ふと、もしゃもしゃと髪をかきむしられる。
「あひゃっ、もう、何するのさーお兄ちゃん!」
怒りに満ちた目で、顔を上げる。
優しい瞳に、不意に吸い込まれそうになった。
「お兄ちゃんに任せとけ。何、アイスのほうが動いてるから、もう、こんな目には合うことはないだろうし……」
その先は、失せていた。
でも、なぜか不吉な予感がした。
この日常が、壊れてしまうような錯覚に、ぼくは手をのばしたくて。
「怖がらない方法、見つけてやるから」
まるで寝かしつけるように、お兄ちゃんが呟いたのだった。
そして。
「寝室の置物も、フォークも怒るだろうな……」
決意はできた。
皆の約束を破る、背徳の行為だと自覚はしている。
フォークは寝ている。
アイスから聞いた、ギャンブルでの一件での逆恨みによる犯行だと知った以上、もうそっちは本当の遊びでやるしかない。
なら。
「運が味方してくれれば、なんとでもなる」
薄明かりの中、呻くフォークの声がする。
どれだけ怖かったろう。
兄として、そしてなにより残された家族として。
「軍人なら、中に入っちまえば楽に見つけられる、かな?」
入隊のチラシをアイスの野郎から入手している。
若年層が多い軍隊だし、オレが入れるか、そして耐えられるかはわからない。
けれども、やらねばならない。
フォークは、耐えてくれるだろうか。
そう、試さなきゃいけない。
フォークの軍人嫌いは筋金入りだ。
オレがちょっとミスって軍人と口論した、と言った時の形相は怒気が含まれていた。
「さあて、と。オレも、明日のために寝るか」
いいのか? と置物が問いかけてくる気がした。
「大丈夫だ。まあ、見つけて礼さえ言えれば、やめたって良いんだから」
ここは軍事国家だ。
代わりなどいくらでもはいているだろう。
「ってことで、明日は忙しくなりそうだ」
まだ悪友にしか伝わってないだろう事実に、オレは苦笑する。
みなが止めると思ったからだ。
家を出ることにも繋がるかもしれない。
それでも――。
「生かされた命、無駄に散らさない」
あの日。
シーザライズさんが他国の軍人から守ってくれたあの日から、オレの運命は決まっていたのかもしれない。
この異常な運の良さ。
そこに、意味がある。
はずだと思いながら、オレは目を閉じる。
今日フォークを助けてくれた女性を思い描く。
金髪の女性。
「うん、見つけられたら、運が味方してくれたと思おう」
はっきり言って、フォークの軍人への憎悪が強すぎて、それしか覚えてなかったらしい。
どこにでもいるよなぁと思いながら、軍の階級とか、細かいことは明日以降、そもそも入隊できるかもわからないのだし。
「さ、頑張りますか」
ぱんっと手を合わせて、オレは寝るための準備をする。
フォークとしばらく会えなくなるだろうという予感とともに。
「入隊、ねぇ。ツキの情けなさ見てると、軍人として耐えられないと思うがね」
ツキたちの一軒家の屋根の上で、シーザライズはため息を付いた。
元軍人といえば自らもだ、とフォアに目を向ける。
「良いんじゃない? あの運の良さなら、筆記も実技も乗り越えちゃうよ」
「てか、金髪の女探すなら、窓口行けば対応してくれるんじゃねえの?」
「だよねー。もしかすると、ツキさんは、軍に入りたかったのかもしれないよ」
でもね、だめなんだ、とフォアは呟く。
「本当なら、役割は反対。まあ、フォークくんを守るためにぼくらはいるわけだから、ツキさんのことはクルアたちに任せよう」
「いいのか? 死ぬかもしれないぞ」
「死なせないために、ぼくらがいるんだろう?」
フォークはウィンクすると、手をかざす。
夜空は星をかすかに投影している。
「軍人にも『神』はいる。怨念が星の光と結びついた時、彼らは生まれる」
「もし、殺されたら?」
「そうはさせないために、シーザライズ、きみの力が必要なんだ」
「無を有に変えるだけしかできないぞ」
「怨念さえ祓えばいいのさ。そうすれば、人と同じ。怨念の『神』は、それで崩壊するか消え去るか……うん、生きてるかもしれない」
「なら殺せ、と」
きつい眼光を受けても、フォアは空を見上げていた。
「また一人、怨念から『神』が生まれた」
わかるのか、は愚問だ。
「軍に入るかは、彼の意思だ。で、そんな彼と――フォークくんを守るのが、ぼくたちのやること」
「『神』相手にゃどうすればいい?」
「キルストゥは祓いで『神』と怨念を切り離せるけど、君にはできない。ならどうするか。これ、聖水」
するっと手の中に生まれた小瓶を見て、シーザライズはつくづく、人間離れしてるな、と感想を抱く。
「怨念と『神』を切り離せるから、それで『神』から怨念を切り離して、怨念を実体化させて」
「できるのか?」
「きみの力は具現化。神の力と怨念を切り離せば、彼らは生身の人間と同じ。あとは祝詞で怨念化を防いで、魂を世界に還す」
「あー、なんかそこいらのファンタジーじみてんな」
「そうだね。面白いでしょう?」
「はん、このたぬきめ」
「きつねが言ってることは、わかりませーん」
『神』を生む空を見て、フォアはすっと背後へ振り向く。
「全ての『神』が悪ではないけれども、キルストゥとわかれば何かしらの行動をすると思う。その時はたのんだよ、相棒」
「わかってるさ、フォア。――力の使い方を教えてくれた、恩人」
ぱりんっと、シーザライズは小瓶を割って、聖水の構造を理解する。
ゼロからの錬成。
制限がないゆえに、扱いきるのがとても難しい自身の能力。
歳を取ることもない、異能力者。
だが、シーザライズは思う。
フォアを具現化させ続けても衰えないこの力。
だんだん、やっとだが少しづつ制御できるようになってきた。
「戻れ」
すっと、さっき壊した聖水の入ったものが、何事もなかったかのように蘇る。
いや、創造させる。
「これで、よしと」
「ぼくは残るから、シーザライズは先に帰っていいよー」
「いいのか? 人間だろ?」
「ちょっと、星を見たいから」
暗くてその表情までは読み取れなかったが、シーザライズは頷いて屋根を蹴る。
「お星さまの光は、見えずとも地に届く。たとえ、地下だとしても」
人に見えないだけだ、とフォアは呟く。
「寝入ってるみたいだし、ツキさんの運がどれだけ味方するか、お手並み拝見といきますか」
上手く行っちゃうんだろうな―とわかっていながら、フォアは笑う。
それが、当たり前のように。
夜空を、飽きるまで見上げた――。