ワイシャツに青色のズボンという私服のまま、ツキ・キルストゥはレジーナのビル街を歩く。
「今頃、アイスたちはエルニーニャ王国の国王と謁見かぁ」
曇り空の中、ツキは青い線の入ったスニーカーでアスファルトを力なく蹴る。
「レリアおばさん、ベック―連れてきたのに忘れてきたとかいうからなー」
スーツ姿の人間が多く行き交う中、ツキは場違いな格好をしてる。
そんな余分な思考で思わず赤信号を渡りそうになる。
寸前でで立ち止まると、意識をとある捜し物の気配を知るため、瞼を閉じる。
そして矢印に手足をつけた、子供の落書きみたいな存在を脳裏に浮かべる。
「はぁ。まったく、あの矢印――ベック―め。勝手にうろちょろして」
軍人のいる中央司令部から離れたこのビルの立ち並ぶ街の方角にいるが故に、追ってこれた。
青の宿命という役目のためか、赤の宿命より魔――死者の怨念が星になった者――やそういったものがどこにいるか、わかりやすいのだ。
そう、つまりベック―は、そういった、特異なものだ。
「中央司令部だったけ。あの時の教訓として、レリアおばさんとフォークも護衛という名目でアイスに付き添ってるけど」
ビル街のさらに先に、異質な気配を糸のように感じ取った。
当たり、のはずだとツキは、車の行き交う歩道で感じ取る。
「ビル街の先だ――」
呟きながら、ツキは街の中、ビル街のその先に気配を読み取った。。
「えっ、こんなところに?」
信号が青になる。
目にして、言葉を失う。
噂では聞いたことがあった。
だが、実在するとは、さすが大陸中央にある世界だ、とうむうむと納得する。
「ショッピングモール……とかいうのかな?」
いろいろ謎が残るが、ツキはベック―の気配を読み取って、信号が青になると同時に歩き出す。
ついさっき行った中央司令部とは相当遠くにある、テレビでしか見たことのない、人々の憩いの場。
車や一般人の出入りが激しい、駐車スペースも広い、そしてなにより、車でそこが半分以上埋まっている。
そんなに大きな施設に、ツキは来た道を振り返る。
「アイスたちには悪いけど……あそこに、気配がするなぁ……」
ベック―がなぜそんなところにいるのか、ツキに推し量ることはできない。
信号を渡りながら、スーツから私服の人も増えてきた道を、急ぎ足で進む。
歩行者は少なかったが、老年の人が多い。
「学校行ってる時間帯だから、かな」
主婦の姿が見えても不思議はないのだが、と見渡すが、子供は幼児程度しか見ない。
「国にはあそこまで大きなとこってないからなぁ……ベック―のやつ、軍人の施設を抜け出して珍しくて遊びに行ったのかな?」
首を傾げるが、問いただすまでわからない。
こういうこともあり得たと相談したので、廊下に軍人たちを立たせてもらったのだが。
その目を盗むとは、とツキは息をついた。
「えっと……謁見が終わるまでの時間なら、まだ余裕があるな」
ふむふむと、ツキは肩まである茶髪を揺らす。
見た目は一般人なので、軍人と鉢合わせても尋問されたりはしないだろうと結論づける青の宿命たる男。
そんな彼は、足を止めて息を吐きながら、ショッピングモールの自動ドアを開いた。
賑やかな店内放送と音楽に、ツキは目を丸くした。
その横を、慣れた様子で軍人らしき人、主婦、子供などが通り過ぎていく。
「うわぁ……人が多いなぁ」
大きく人通りの多い通りの左右に、服屋やアクセサリー、飲食店などが並んで入っている。
見ているだけで都会に来たんだな、とツキが疲労の濃い顔色になっていた。
「うん、いる気配はするな……よし」
ツキは気合を入れて握りこぶしを作る。
ゆっくりベック―の気配がするほうへと人混みにそっていく。
気配だけで、ツキは人気が減り始めたほうへ足を向けていく。
「うーん……この場所から動いてないみたいだけど、どうしてここにいるんだ?」
首を傾げながら、ショッピングモールの大通りから道が外れていく。
ツキは、放送の音が小さくなっていくのを感じながら、ゆっくりと人気の薄れていく場所へ、足を蹴る。
「ここは……」
薄暗いコンクリートがむき出しの場所。
スタッフオンリーと書かれた階段を塞ぐ鎖が張ってあった。
人がいない理由も納得がいった。
お昼時という時間もあるのだろうが、そもそも人の気配がなかった。
それ以上に、勝手に入るわけにもいかない場所だ。
「んー。困ったなぁ」
ちょこっとハネている右の髪をいじりながら、ツキは解決策を頭の中で練る。
スタッフのフリは、スタッフを知らないから無理。
迷子を探している――ここの先から強い気配を感じるということで、迷子センターとか行っても無理。
「うーん、どうするか」
「なにが困ったんかー?」
びくっとツキの肩が震えた。
一切の気配がないうちに声をかけられて、思わず声のほうを見る。
「迷子にでもあったんかい? なんなら、案内しまっせー?」
「いえ……あの、動く矢印見ませんでしたか?」
ツキは、まるで獣の獲物になった気分になった。
生存のためのセンサーが、危険だと心音を上げていく。
まるでレリアと特訓しているような――命を奪われかねない錯覚を覚える。
すると、紫髪に空色の目をした、スタッフ証を首からかけた青年が首をかしげて目を細めていた。
先程と別人だと思うほど、敵意も気配もある。
細目と言葉は、好奇心に満ちていた。
「おもちゃなら、サービスセンターのほうだけど……キルストゥさんが探してるのとはちゃうか?」
びくっと、背筋が凍りそうになる。
一言も、名乗ってはいないし、ツキはここには初めてきた。
それでも知っているということは、中央司令部で会った軍人か――?
覚えがなかった。
でも、レリアの軍人への大立ち回りというか喧嘩を売ったのだ、近くにいて顔を見られていてもおかしくは、ない。
ならなぜこんなところにいる?
去らなければならないと、警鐘が脳内で鳴り響いた。
「ここで出会ったのも偶然で、今はどの隊も出払ってるから、一緒に探したるわー」
「とか言って、始末するとか?」
かまかけただけだった。
「なに言うとんねん。お客様を殺すなら、数秒前にしてたわ」
異様な説得力があることばに、ツキは唾を飲み込む。
裏表のない言葉は、出会ったレジーナの軍人と違った。
まるで親しい人間へ語るように、彼はにっこりと無害な笑みで目を線みたいにする。
「まあ、遠い国の人だから案内がてら誘ったけれど、ここのことは他言無用でな?」
「は、はい」
こんなことになるなら、ベック―と仲良しのフォークに探してほしかった、と今更な願いを抱くツキだった。
コンクリートの階段を上った先には、ついさっき行った軍の中央司令部と同じ入口があった。
「は?」
全体を見渡すと、人こそいないが、入ったところと寸分たがわない軍の司令部が広がっていた。
「ん、いい反応。これで驚いてくれんかったら、ちょっと寂しかったわ」
男は誰も人気のない中をズンズン進む。
よく見ると、彼の手には買い物袋が握られていた。
ベック―の気配もある。ただ、具体的にどこに逃げ込んだかまではわからない。
魔の気配もない。ここで使うことはないと信じているが、彼らは難敵だ。
会わないなら、会わないほうがいい。
思考を高速回転させながら、ツキは、言葉を紡ぐ。
「あの、誰もいない……のに、中は、中央司令部と、同じ……?」
「うーん、まあ、他言無用ってことだし、ここではタネ明かしと言っちゃおうか」
にっと、悪戯をするように紫頭の男は笑った。
そこに、かすかな狂気を感じた。
と同時に、違和感を覚える。
ベック―がいるのに動いていない。
――他に、誰かいる、とか?
でも人気はない。
奥の部屋にはいるのだろうか。
「ここはな、本家がなにかあったときの代わりに使われる、支部ってところやな」
「支部?」
「そう。国を作った御三家を守る、少女、少年たるものたちもいる。今は昼食で出払ってるから、あんたを連れてこれてんだがな」
「へぇ……」
まるで暗部みたいだ、と思った。
それにしても、中央司令部と違わないほどの支部を秘密裏だろうが作るとは、さすが軍事国家か、とツキは見渡す。
「ここは本家の中央司令部の連中は知らん。知るのは、暗部でも粛清部隊の連中と、研究者のごくごく一部と、その唯一の上官のみ」
「大総統は?」
「知らんよ。元々はそこを食らうために作られたんだが、表に出る時は国が滅びる時と、歴史の流れで役割が変わったら、かなぁ?」
「そういうこった、客人」
野太い声に、ツキの心臓が跳ねた。
だが、同時に違和感も解決した。
そのスキンヘッド頭の男は、矢印――ベック―を手に、机の下から出てきたからだ。
「おや、大将。忘れ物でも?」
紫色の髪の案内役が、そう呼ぶ。
軍内でもそうとう地位が高いのだろうか。
「いやいや、この矢印を探していたんだろう、キルストゥとか言ったか、先程は大変楽しめたぞ」
がはは、とスキンヘッドの男は笑う。
「えーと、あの」
「なに、言いふらされても他国の客人の寝言としか思われないからなぁ、そろそろ謁見も終わる時間だ」
「キューガ上将、詳しいっすねー」
「ゲーティ副官、お前もたまには一般人として中央司令部に顔を出せ」
スキンヘッドのがたいのいいキューガは、紫髪のゲーティへしっしと手を払う。
「だってあそこ堅苦しいし、怖いんですもんー」
ぽいっと投げられて宙を舞った懐かしのベック―をツキは手にする。
「いまは昼休みだから人がいなくてわりぃな、キルストゥの……青、か?」
「お詳しいんですね」
と、声を震わせてツキはまるでレリアを見ているようだと思いながらスキンヘッドの男を見る。
「ここは、中央司令部と同じ作りをしてるのは――聞きましたが、本当ですか?」
「そりゃあな。この国住まいの人じゃなくてよかったな、キルストゥ」
「いやー、用がこの好奇心旺盛な変なのだけでよかった!」
非常に明るく、副官と言われた紫の青年は頬を緩める。
「ここは本来スタッフオンリーのはずだが、来たついでだ、見送ろう」
「また勝手に部外者を連れてきたのね、副官」
冷水のような声が浴びせられる。それは、幼い少女のもので、ツキは出入り口に目を向けた。
「少女たるものか。全く、遅いぞ」
息をつくと、大将と呼ばれているスキンヘッドが手を合わせる。
「今度は異国の人を水死体ですか」
「いやいや、勝手に入ったわけじゃあないぞ? 連れてきたんだよ、これがな!」
それが誇らしいと言いたげに、副官たるゲーティはツキを叩く。
「今日の謁見者の護衛のキルストゥだから。あの迷惑な矢印を引き取りに来てくれたんだよ」
えっへんと胸を張り、副官は二人の少年少女に主張する。
「つまり、見逃すと」
「他国の会話のネタになるだろ? こんなところに第二の司令部代わりがあるなんて、誰も思わないからな!」
「えっと、入り口しか案内されてないので……この辺で、失礼させていただいてもいいでしょうか……?」
「インフェリアとは縁はないのね」
「他の御三家とも」
少年少女の声には、感情がこもっていなかった。
ツキは粛清部隊という言葉を思い出し、さすが大国、やることが違う。
「ないない。今日来て明日には帰るよ」
と答えると、二人は表情を消した。
思わず、表情豊かな弟と、付き添いの金髪の少女とは正反対だと理解する。
「あまり長居すると他の人とも会うから、もう帰らせてもらえます?」
「案内してきますんで~」
「そうしてくれ、ってか、お前が連れてきたんだ。責任はとれよ」
それって殺すって意味なのかな、とツキはベックーが看板を顎へつんつんするのも恐れずに考える。
「いやぁ、照れるなぁ~。たまにこういう刺激も必要でしょ。お互いに生死をかける間柄なんですし」
道を左右にひいて、開いた少女と少年に頭を下げて、ツキは中央司令部と同じ部屋から出る。
その先はコンクリートがむき出しの、来る時と同じ、事務室にしか見えず、あとは階段だけだった。
「さ、先に行くから。いい思い出になった? よな?」
めちゃくちゃ興奮状態になっている副官に、ツキは口を開く。
「矢印を回収したの、あなたですか?」
「まっさかー。上官じゃねー? 今日は中央司令部には行ってないからね、ぼくは」
先程の会話を含めて考えると、嘘ではないと理解する。
「まあ、キルストゥは凄いってことはわかったよ。スキンヘッドの人いたでしょ?」
「大将って呼んでたよな」
「あの人、ここの最高責任者。それが見逃すってことは、大きな意味を持つ。その理由は、考えてね―?」
にっこりと笑いながら、ゲーティと呼ばれた彼と一緒にスタッフオンリーの場所から出る。
背中から、冷たい汗が伝う。
あそこはいつでも人が死んでもおかしくない場所なのだと。
故に徹底的に秘匿され、殺人すらも厭わない。
眼の前で嬉しそうにしている彼も、例外ではないだろうとツキは動けない。
「殺さないよ。こんな人目がつくところでやるわけないじゃんっ!」
砕けた口調で彼は無垢な笑顔で告げる。
「あまり長居すると、思った通りになるかもよ。って脅しはしとく」
ぽんっと肩を叩かれて、ツキは目を見開く。
「あの、矢印連れてきてくれてありがとうございますって、伝えてください!」
思わず出た本心だった。
「あいよ~」
と間が抜けた声とともに、彼の姿は階段の奥へ消えていった。
「ベック―、怖くなかったか?」
人が多くなるショッピングモールのほうへ歩きながらツキが呟く。
よくいなくなるベック―だが、ツキはこの国の裏の一面を見たと感じた。
「よく生きて帰れたな、オレ」
寒気を覚えながら、ツキはゆっくりベック―を抱えてショッピングモールを迷いながらも出た。
――今日見たことは忘れよう。
紫髪のおちゃらけたようで、平然と人を殺せる男や、第二のもしもを想定してある中央司令部。
全部、芝居だといいのだが、と思いながらも、気配のない現れ方をしたのは、忘れたくても忘れられない。
「は、あ……」
賑やかだったショッピングモールを後に、息を吐いて、曇り空の下へと出た。
「やべ、時間っ!」
利き手の反対を見て、ツキは時計の針を見る。
「えっと、待ち合わせ場所に……走ったら間に合うかな? いや、タクシーでホテルまで行くという手もあるな」
ベック―が小さい看板を手にツキを叩くのも気にせず、彼は周囲を見渡す。
「おーにーちゃーぁーん!」
反射的にベックーを抱きしめて、フォークの蹴りをもろに食らう。
そうして倒れた瞬間、疾風が切り裂いていった。
「はぁ。いたわよツキ」
「いや、レリアさん、目立つことはやめてくださいお願いします命令です」
とことこと肩を落としながら、青空色の髪を持つ国王が私服に着替えて登場した。
上にシャツを羽織りながら、ジーパン姿はナンパ男に見えなくもない。
「危なかったな、いろいろと」
「国王との謁見、無事終わったんだな」
ツキは倒れながら、アイスへ言葉を飛ばす。
「まあな」
「もう、皆様、早すぎますわー」
はぁ、はぁとふわふわなウェーブのかかった金髪を揺らして、メリテェアは白いドレスに汗を吸わせて立ち止まった。
「レリアおばさん、メリテェア置いてくなよ」
「ごめんねメリテェア」
ごんっと、ツキの頭に拳を振り下ろして彼女は立ち上がり、貴族の少女の頭を撫でる。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
弟に心配されながら、ツキは茶髪の頭を撫でる弟に感謝する。
そしてなぜかベック―の看板に叩かれながら、曇り空を見る。
「心配の裏返しだからな、ツキ」
「うん。そうだよ」
「鉄拳制裁する女のやることじゃない……」
と、ツキは覗き込んできたアイスを見ながら、小さく息を吐いた。
今日は厄日だ、といわんばかりに、目を閉じる。
「あ、気絶した?」
「そんなに強かったとは思わないけれど……」
というフォークとの話を聞き流しながら、ツキは眠りにつく。
ばしばしと看板で叩かれながら寝るのも慣れたものだった。
あれは夢だったのではないか。
そう思いながら――。