哀切ゆえの処刑

 空は透き通るような青色。
 アスファルトで舗装された道の車の往来は少ない。
 だが通り過ぎる人々の流れに沿って歩きながら、背の低い少女の横顔をちらっと兄たる少年は見る。
 流れるような金髪は、陽光を宿したような、平凡な顔つきの少年と少女だ。
「なあ、クレイン」
「なに? 馬鹿兄」
 賑やかな商店街の喧騒が遠くなっていくのを耳にしながら、閑静な住宅街へ向かう二人の兄妹だ。
 どこにでもいるパーカーにジーンズの少年クライスと、ジーンズのサロペットをまとう少女のクレイン。
 エルニーニャ王国の中では、古い住宅が目立つものの、人はそこそこおり、平穏の象徴のような場所に、二人は暇を持て余して来ていた。
「家から追い出されたわね」
「言うな――よ?」
 クライスが憎まれ口を叩こうとして、止める。
 不吉な違和感を覚えたと思ったと同時にまるで紙を破ったかのような平穏の終わりの合図が耳に入った。
「今、銃声しなかったか?」
 険しい顔をする兄に、クレインは吐息をつく。
「日常茶飯事でしょう」
 歩道の道路側を歩きながら、少女は肩にかかる程度の長い金髪に触れる。
 そんな妹の判断が甘い、と内心で毒づく。
 二人は共に軍人として、国を支えている。
 妹は事務員として、兄たる少年は表立っては便利屋として、どこにも属していない代わりに誘われた部署がある。
 その部署で長いこと勤めたゆえに、遠くでも音が聞き分けられた。
 ぴた、と足を止めて、まだ子どもといえる少年は、目を鋭くする。
「軍支給の銃声音じゃなかった……誰かが私物で犯罪者でも捕まえたのか?」
「はぁ。そんなことわかるなんて、仕事熱心ね」
 妬ける言葉を吐きながら、妹――クレインは肩の髪をいじる。
 短髪の毛先を指先でくるくると回す妹の気楽さに対して、クライスの顔は緊張に満ちていた。
「まあ、事務仕事のクレインには区別つかないだろうけど――」
「そりゃあね。基本訓練はしてるけれども、戦闘経験なんてないに等しいもの」
 と少女たるクレインが当たり前だと告げる。
「そうだな。物騒なのはいつものことか」
 珍しく二人して非番だったので、両親から頼まれたお使いのために古い商店街を歩いていた。
 音もなく、横風が吹き抜けていく。
「誰か走ってったな」
 クライスが呟くと、クレインもその視線の先を見て、頷いた。
「この辺りの住人ね」
「だ――」
 と、言葉を遮るように、近くから、悲鳴が聞こえた。
 瞬間、クライスはぞわりと背筋が凍りつく。
 それも一瞬、思わず隣りにいた妹を見下ろす。
 怯えの表情はあれど、真剣な目を震えながらも保っていた。
「ねえ、クライス……」
「ああ。ここは――」
「あはっ、これでキルストゥは殺せた! さて、写真も撮ったし、さっさとずらかるか!」
 聞き間違いのような言葉に、クライスは足を止めて振り返る。
「見たことのないけれども、どこかの国の軍服みたいね」
 クレインが頭を軍人モードに切り替えて呟くと同時に、隣を軍人とすれ違うように、茶髪の少年が俯いて走り抜けていく。
「血?」
 少年の学生服――見たところ、軍人ではないが――が、濡れていることに、クライスは歩いてきた商店街のほうに視線をやる。
 近くから悲鳴が、不協和音のごとく耳に届いた。
 断片的に聞き取れたのは、殺人、軍人、発砲、カップル――そんなところだった。
 荷物を抱きしめながら、クライスはせっかっくの休暇に、と舌打ちした。
「全く、こんな町中の昼間に堂々と人殺しなんて」
 妹たるクレインのほうを向くと、茶髪の殺意のこもった瞳と、手にした包丁が見えた。
 嘘みたいに、どこにあったのか、と思うほどの量の血液が、隣にいた妹の首から、少年を濡らし溢れ飛び散る。
「え……?」
 わからなかった。
 びしゃびしゃと噴水のごとく噴き出る血の池に、彼は、崩れ落ちた少女を、妹を、見下ろすことしかできなかった。
 なにかが落ちて、軽くなる。
 音が消える。
 明らかに騒がしいのに、一切の騒音が消え去った。
 周囲が、ばたばたと立ったまま眠ったかのように、致命傷を負った人々によって――血の池ができていた。
「ク、レイン……?」
 ところどころから、遅れて悲鳴が響き渡る。
 それさえ耳に入らず、クライスはゆっくり、首を裂かれて即死し、血の海へ倒れた金髪の少女へ、手を触れる。
 まだ残っている温もりに、彼は動けなかった。
「嘘、だよな? 寝てる、だけ、だよな? あ、はは、な、クレイン」
 認めたくない。その心は雄弁に語っていた。
 こんな現実は嘘だと。
 ――そう、信じたかった。
 顔を上げる。
 銃声が聞こえてくる。
 発砲許可が出たのか、とどこか冷めた心でそれを見る。
 遠くからでも、道道に血潮ができているのがわかった。
 あれは、人なのか?
 これは、クレインなのか?
 ぐるぐると、鍋でかき混ぜるように、思考が止まらない。
 不快感で手を見れば、べったりと血が、ついていた。
 声が出ない。
 守れなかった。
 国を守る。
 そんなのは大言壮語で。
 本当に守りたかったのは――失って、初めて気づくなんて、それこそ笑い話だ。
「は、ははっ」
「ベルドルード……」
 やってきた軍人は、広報課の、軍の裏側――暗部を担う青年だった。
 あまり任務で一緒になることはなかったが、紫の目が印象的な、好青年だ。
 名前は覚えていないが、クライスは気にしなかった。
「妹、さんか。巻き込まれたのか、あれに」
 説明してくれるが、どうでもよかった。
 クレインの命はもう、消えた。
「犯人の少年の確保は無理でしたか。ええ、キルストゥ、ですね。ベルドルードの妹も、その、巻き込まれたみたいでして」
「はは、はははっ、おれは、なにしてたんだろう」
 唐突に、クライスは笑い出す。
「犯人は、死んだのか?」
「的確に急所に銃弾は当たっていたんですが、運動能力が下手な人間より桁違いで。そこの小山の上で、遺体で発見されました」
「そうか、はは、ははははは」
「べ、ベルドルード……?」
 壊れたレコードのように笑う金髪の少年は、瞳に狂気が明らかに宿っていた。



 思い出す。
「私ね、いい女っていうのになるの」
 いつかの二人部屋。閉まった窓から、橙色の明かりがこぼれている。
 似通っている少年と少女が、それぞれ学習机に教材とノートを広げながら、横にあるベッドに横たわっていた。
「クレインなんかになれるわけないだろー」
「なによ、そんなんだから、女の子と恋できないんだよー」
 平穏な夕飯前。少女――妹は、怒気を孕んだ目ではっきり言った。
 それぞれ、寝室のベッドで、向かい合って話し合う。
 だが妹たるクレインの台詞は図星なので、クライスは身体をよじり、そっぽを向いてやり過ごす。
 まだ大人になるには幼い二人は、けれども本音で話ができていた。
「なによー。クライスの国を守るなんて大きくてちゅうしょうてきな考えよりも現実味あるもん」
「う……、難しい言葉覚えたんだな、クレイン」
「いい女になるために、頑張るもん」
「なら、――その姿、見せてくれるか?」
「え?」
 きょとんとした声に、少年――クライスは頭を掻いた。
「いや、なんでもない!」
 口にしてから、照れている自分に気づく。
 こんなことクレインに言ったところで、笑われるのがオチだろう。
 と思っていたのだが。
「うんっ、必ず、クライスにも見せてあげるから! 覚悟してね!」
 夕食前のなんでもない口約束。
 二人っきりの、大事な言の葉は。
 ――守りたいと、兄になった瞬間だったように、クライスは思う。



 地面が、崩れた。
 血に塗れた地面。
 人形のように数えるのも億劫になるほどの人々が、倒れ伏している。
 クライスは、口を開いては、閉じた。
「――おれ、は」
 唐突なことだとしても、見えていた。
 なら、クレインを、妹を守ることは、できたはずだ。
 ふらっと、視界が歪む。
 ぴしっと、心の何処かがひび割れる音がした。
 めまいだ――と気付いた時には、クライスの意識はとんだ。
「クライス、クライス・ベルドルード!」
 声をかけても、彼は血の海へ身体が倒れていく。
 意識を失った彼を介抱しながら、その軍人は下唇を噛んだ。
「……く。防げなかったのは、我々の責任だ……」
 もし、たられば。
 そんな言葉が、あの頭の固いクライスに通じると、好青年な軍人には思えなかった。
「どうか、恨みで動くようになるなよ、クライス」
 それは、まるで予言だった。
 彼の末路の。



 被害者が数十人をこえるた、エルニーニャ王国首都レジーナで起きた、大量殺人事件。
 犯人は死亡。
 名前は、フォーク・キルストゥ。
 高校生だったという。
 一般市民で、軍人とは縁遠い生活をしていた。
 両親と兄の四人家族だった。
「クライス、なーに暗い顔してるんだ」
「せん、ぱい」
 金髪の少年は、紙を取り上げたネームレスへ、弱々しい声を上げた。
 休憩室とも会議室にも使われる小部屋で、クライスは暗い色の瞳のまま、彼を見上げた。
「今回の事件は、元は別の国の軍人の殺人事件がきっかけだ。まあ、かといって、許されることではないけどな」
 先輩こと、名無しゆえにネームレスと呼ばせる男は、小さく息をついた。
「キルストゥの中でも、随一の戦闘能力を持つ人間、だったらしい。それが災いして、歴史に残る惨殺事件に発展した」
「――許せません」
 クライスの怨嗟がこもった声に、ネームレスは眉を寄せた。
「以前、表の諜報活動か、裏の粛清部隊に所属するか、尋ねられました」
 はっとして、ネームレスは上官を思い浮かべる。
 クライスが入隊してから、暗部へ誘ったのはネームレスだ。
「おれは、粛清部隊に配属します。もう、こんな事件を発生させないために」
「やめておけ」
 きっぱりと、ネームレスはクライスへ言い切った。
「お前は、たしかに妹を失った。だからといって、他人を殺める道を歩けるほど、強くはない」
「それでも」
 ぎゅっと、力を入れて、クライスは金髪を風になびかせながら。
「おれは、人を殺してでもこの国を守りたいんです」
 ネームレスは思う。
 幼い頃の自分と似ている、否、妹が目の前で殺されたことで――。
(クライスの心の支えが、壊れたか)
 冷静に分析し、そして吐息を漏らす。
「逆の立場には、なるなよ、クライス」
 その呟きは、宙に消えていった。
 奇しくも、紫目の軍人と似た言葉だった。



「基本的に、暗部に通じる軍人は、通信課か広告課に配属される」
 もう誰からも忘れられた、中央司令部本部の最奥にある、紙の資料で溢れている部屋で、ネームレスは目を伏せた。
「俺はまあ、いろいろ偽って特別に諜報と粛清の両方を担当してるが、クライスは……うん、広告課所属となっている」
「それは、上官が決めるんですか?」
「んー、どうだろうな。ただ、けっこうあちこちからのスパイは入り込んでるんだぜ? まあ、立ち回りが下手な奴は簡単に事故死に扱われるけれどもな」
 説明を受けながら、クライスは周囲の紙が詰まった部屋を見回す。
 置き忘れたものたち。
 まるで自分のようだ、と口元をほころばせた。
「クライス。間違えるなよ」
 仕事用なのだろう、冷めた声で、ネームレスは言葉を紡いだ。
「あくまで国にあだなす人間を、殺すのが粛清部隊の基本的な仕事だ」
「わかっています」
 暗い目をした金髪の少年は、それ以上の言葉は不要と言わんばかりに、ネームレスを見上げる。
「それ以外はふつうの軍人と同じだ。その目は、やめておけ」
 指摘されて、クライスは目を見開く。
「妹さんのことは、残念だと思うが……それでも。その代わりに人を殺す、ってのは常人には苦しいことだ」
「おれは、やってみせます」
「その目は、いかにも人を殺す、って言ってるようなものだから、やめとけ。せめて、形だけでも笑みを作っとけ」
「それは、命令ですか?」
 凍えた声音に、ネームレスは確信した。
 ――もう、壊れてしまった人形のような、部下に。
 それと同時に、もう、時間は短いことも。
「ああ、命令だ。任務以外は妹がいたときと同じ顔をしろ。でないと、怪しまれる」
「そう、ですね。忠告、ありがとうございます」
「そういうつもりじゃないんだがな」
 ネームレスは目を細めて、学生服に身を包んだ少年を見つめる。
「クライス……すまない」
 そう言って、瞼を閉じるクライスの先輩軍人は、きびすを返す。
 上官へ、伝えるために。
 このままでは、クライスの心は完全に壊れると確信したから。
「誰も、今のクライスは支えられないか、くそっ」
 言葉が、いくら浮かんでも薄っぺらくて、彼の魂まで響かせることはできないだろう。
 そう、わかってしまったから。
 まるで死地に自分から飛び込んでいく。
 そんな気配を、撒き散らしているから。
 無力なネームレス、本来の名をもたぬ彼でさえ、その空虚さを埋めることはできなかった。



 レジーナ、中央司令部にて、放送が流れる。
 自身の名を呼ばれたクライスは、広報課に向かう足を止める。
「第3資料室……司令部の、紙資料の保存場所であり、密会にはもってこいの場所……」
 虚ろに似た瞳で呟くと、彼はくるりと向きを変えて歩き出す。
 いろいろ陰で言われているのは、わかっていた。
 妹が殺されたからって、あんなに暗くなるなんてね。
 関わらないほうがいいよ。
 なにされるかわからねえよな。
 いろんな声で、まだ幼かったころの妹を思う彼への言の葉が棘としてさらに、追いやる。
 救いを差し伸べられる手はなく。
「クライス・ベルドルード、来たか」
 ノックをする前に、名を呼び捨てられた。
 内心驚愕しながら、クライスはノックをする。
「いい、必要はない。入れ入れ。我とて暇ではないものでな」
 大総統とは違う、尊大な態度に戸惑いを隠せないまま、クライスは中へ入る。
 きしむ扉の向こうは、電灯一つ、あとは紙の束やファイルが壁にぎっしりと詰まった見たことのない部屋だった。
「あなた、は?」
「これからネームレスから我が上司――上官として、使役する。粛清部隊の隊長、ノーマだ」
 赤褐色の髪に燃えるような朱色が詰まっている。
 野心に燃えながらも、階級を言わない。
「粛清部隊は特殊でな。我の采配一つで軍人だろうが犯罪者だろうが一般人だろうが必ず殺す。これは、絶対の掟だ」
 その圧力に、クライスは顔を強張らせる。
「ふむ。やぱり表の暗部のほうが似合っていたな、ベルドルード」
「暗部には、裏があって、それが、粛清部隊ということ、ですか?」
 かろうじてこぼれた問いに、はははっ、と豪快にノーマは笑う。
「一応、王国ではあるからな。王の暗殺を狙う者がいてもおかしくはないだろう? それを未然に防ぐ血塗れ役でもあるのだよ」
 話が、大きくなってきた。
 つうっと伝う額の汗を拭うのも忘れて、クライスはノーマを見つめる。
「あと一つ。ここが一番大事なところだが、ベルドルード、復讐心だけで粛清部隊を希望したと知ったが」
 こつん、と底冷えするような朱色から、クライスは逃げたくてしょうがなかった。
「殺される覚悟はあるか?」
 どこにいたのか、いつの間にか側頭部にライフルが押し付けられていた。
 全く、気配に気付かなかった。
「大将。いかがいたしますか」
 単なる確認としか思えない、機械じみた感情が削ぎ落とされた声の主さえ見えない。
「退去だ。ベルドルード、指示があるまで表の広報課での仕事、せいぜい励むがいい」
 そう言い残して、笑うノーマがいなくなった紙の広がる部屋で、クライスは唇を噛んだ。
「くっそ……くそっ!」
 手足が震えていた。
 怖かった、という伝染が全身に広がる。
 こんなんじゃ、誰も守れないというのに。
「強く、なりたい――」
 ノーマは一人で出ていった。
 では、もう一人いたあのライフル使いは、どこに消えたのか。
 部屋を調べ尽くせばわかるかもしれないが、そんな手間をかける暇はない。
「おれは――誰かを犠牲にしてでも、今度こそ、守り抜きたいんだ」
 小さな決意と、本物の闇を垣間見た彼は、作り変えられていく。
 それを、二つの目が、静かに見下ろしていた。



 人を殺すこと。
 一日も立たずに、クライスは広報課のデスクに置かれたキャラクターが描かれたファイルに目を落とす。
「誰? これ置いたやつ?」
 なんとなくそんな相手を殴りたくなり、クライスは思わず昏い声を出す。
 ちょっと殺意が混じっているが、ショートケーキと呼ばれる二人組みのユニットがどれどれーと顔を出してくる。
「ああ、これノーマじゃない?」
「カーテンコールのお友達だよ?」
 カーテンコール中将は、表の暗部のまとめ役だ。
 いい噂を聞かないという意味では、ノーマと呼び捨てにされた彼のほうがよっぽどなにも情報がない。
 広報課でさりげなく名前を出すと、食堂でよく見かける一般人だという。
 しかし――あの燃えるように熱い目を持つ男が、なぜ一般人に扮しているのだろう。
 ここは、軍の施設なのに、だ。
「とりあえず、さっさと中見て行ったらいいよ、クライスー」
「そうそう、待たされるの嫌だから、ノーマは」
 なんとなく嬉しげに笑う彼女たちを見つめつつ、中身を見る。
「――早いな」
 顔写真と、簡単な経歴と、そして罪状。
 居場所は刑務所、殺害方法は任せるとのこと。
「オススメは軍支給の拳銃だよー」
「あれはばれにくいからね」
「二人とも――」
「裏表、両方のお仕事とアイドルをこなすのが仕事ですからねー」
「クライスも、いつかわかるよ」
 人を魅了する笑みを放ちながら、ショートケーキたちは笑みを浮かべる。
「でも、クライスはもっと笑顔を増やしたほうがいいよー?」
「なにが、笑ってられるか」
 ショートケーキたちは顔を見合わせて、同時に嘆息した。
「幸せが逃げちゃうけれども、こんなんじゃ――」
「しっ。表の人に聞かれちゃうから、めっ! だよ」
「そっかそっか。ふふ」
 二人に態度に違和感を抱きながらも、クライスはため息とともに憎悪に満ちた目で周囲を見渡す。
 欠けたピースは、もう戻らない。
 消えた命は、もう戻らない。
 それが世界の真実で、変わらない現実で、生き残ったものの後悔は底なし沼のように深く、果てがなく。
「気付いていないね」
「うん。この調子なら、判断されちゃうね」
 二人の広報向けアイドルたちは、こそこそと彼の状況を言いながら、撮影用の舞台へ歩いていく。
「録音した?」
「おっけい。ノーマに渡しちゃおう。きっと――」
 その先は言葉にしなかった。



「というわけで、ここに配置だ、クライス」
 刑務所の一つ、人気のないレジーナの北端にあるちいさな刑務所に、クライスとネームレスはやってきた。
「中に入るぞ」
「はい」
 夜も帳が降りた頃、二人は中へ入る。
 埃もなく、よく清掃された刑務所内は、両側に鉄格子があった。
 が。
「来たな、ネームレス、ご苦労」
 電灯もない中で、クライスは月明かりが差し込む中、驚愕に足を止めた。
「誰も、いない――」
 呟いた瞬間、右足から痛みが脳天を貫いた。
「ぁああっ!」
「すまないね、クライス・ベルドルード。あの書類は嘘だ。我が、貴様を呼ぶために」
「な、んで」
「軍内の士気に関わるのでな。まあ、御三家とも縁もない輩一人消えたところで、軍内は問題ないからな」
 朱色の眼光は、無慈悲な光を宿していた。
「せん、ぱい」
「クライス。お前は、軍人を辞めるか、諦めるかするべきだった。……その憎悪で、粛清部隊に配属は――無理だ」
「くそ……なん、で、最初から」
「言っても聞かないだろう?」
 ネームレスは、役目は終わったとばかりに、刑務所の外へとかつかつと出ていく。
「せん、ぱい」
「すまない、クライス。お前が無駄な殺生をしないために、――もう、親御さんにも亡くなったと伝えてあるんだ」
「ベルドルード元中将は、頷いていた。あの人ほど軍を憂いていた人間を、我は知らぬ」
 ノーマは告げると、誰もいない刑務所の中、銃の安全装置が取り外される音が一斉に響く。
「来世で、幸せにな、クライス・ベルドルード」
 そして、放たれた弾丸の音を聞きながら、ネームレスは夜空を見上げる。
「もし、クライスが別の道を見つけられていたなら……別の未来があったんだろうな」
 見ずともわかる、
 外までは聞こえずとも、全身に穴が空き、血を垂れ流して死んだクライスのことを。
「なにも、できなかったな……」
 死に場所すら選ばされなかったクライスに、親身になっていたからこその後悔を抱くネームレスは。
「どうか、天国で妹さんと一緒にな……」



 ――許せない。
 ――許さない。
 ――あいつら、全員、許さない。
 ――して、やる。
 ――たとえ、今は無理だとしても。
 必ず、――してやる。



 その憎悪は、時空を、世界を超える。
 誰もそんなことなど、知らぬままに。